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2-5

◇◇◇◇


 雲の上に立っているようだった。


辺り一面テオフィニアの花にめつくされて真っ白だ。

甘い芳香(ほうこう)ただよっている。


「ルシオン・・・・・・」


名前を呼ばれたような気がして振り返ると、そこには(なつ)かしい(ひと)の姿があった。(あで)やかな黄金の髪を風になぶらせながらアメジストの瞳で少年を見つめている。


 ルシオンはうれしくて彼女の名を口にするのももどかしくけ寄ろうとする。


だが、一向に距離はちぢまらない。走っても走っても彼女の元へはたどり着けないのだ。それどころかどんどん遠ざかっていく。


とうとう、ファラムリッドの姿は見えなくなってしまった。



 ついさっきまでやさしくそよいでいた風が冷たく吹き付け、テオフィニアの花びらを空へと巻き上げていく。


テオフィニアはどれも花も葉もない枝だけのみすぼらしい姿になってしまった。


 辺りを見まわしても動くものは見当たらない。荒涼こうりょうとした空間にひとり取り残されたのだと知り急に心細くなる。


「だれかいないの?!」


大きな声で呼んでみても返事はない。冷たい風が心の中にも吹いているようだった。


 その時、ほのかに輝く白いものが舞い降りてきた。ひとつ。またひとつ。空を見上げると花びらのようなものが無数に舞っている。


   雪が 降っていた



 不意ににぎやかな話声が聞こえてきた。振り返ると雪景色の中に3本のもみの木と小さな丸太小屋が建っており、ホームのみんなが遊んでいる。


モニカは年少の子供たちと一緒に雪だるまをつくっているところだ。シスターアナはカールを手伝っている。


フィヨドルはせっせと雪玉をこさえては年長の子供たちと雪合戦の真っ最中だ。


「ルシオン、なにしてんだ。おまえも手伝え!」


 声をかけられそちらに行こうとすると、目の前にレイチェルが現れ首にマフラーを巻いてくれた。


そのあざやかなブルーとふわふわの感触には覚えがある。遠い昔、母が彼のために編んでくれたものだ。


レイチェルを見上げる顔に舞い降りた雪が、溶けてあたたかい水になる・・・・・・





「どんな夢を見てんだか」


 ルシオンは微笑(ほほえ)みながら涙を流していた。レイチェルからの輸血のおかげで命をとりとめてから丸3日眠り続けている。


指先で涙をぬぐってやるとルシオンのまぶたがピクリと動いた。また動いた。目を開けたいのにまぶたが重くて開けられない。そんな感じだ。


やっと開いたまぶたはすぐに閉じてしまい、そんなことを何度か繰り返してやっと目を開けることに成功した。


すっかりやつれちゃいるが、青緑の瞳はドキッとするほど澄んでいる。


「気が付いたか。バカ野郎、死ぬほど心配させやがって。バカ野郎、バカ野郎・・・・・・」


 まったく。こんなしんどい思いをしたのは生まれてはじめてだ。文句のひとつも言ってやらないと気がすまない。


オレは怒ってるんだ。怒ってるはずなのに勝手に涙があふれて止まらない。

ああ、くそっ! カッコ悪い。こいつの前で泣くなんて。



 ルシオンはなにか言いたそうに口を動かすが声は出ない。のどがつぶれているのだろう。当然だ。長いこと叫び続けていたんだからな。


『みんなは?』


こんなとき特殊能力ヴァイオスがあると便利だ。テレパシーで話しかけてきた。


「ホームの子供たちはみんな回復に向かってる。フロークにも抗血清こうけっせいを届けたから大ごとにはならないだろう。おまえが、みんなの命を救ったんだ」


 オレは相棒のひたいに手の平を当てる。


「よくがんばったな。もう心配はいらない」


ルシオンの瞳がよかったと言ってる。


これでおまえは免罪符(めんざいふ)を手に入れることができたのか。

生きていてもいいんだと自分を許すことができたのか。



『フィル?』


 ルシオンはオレの右手の包帯に目を止めている。


「ああ、これか。たいしたことないさ。おまえのありさまに比べればこんなもんなんてことない。


ひとのことより自分のことだろ。さっさと元気になれ。おまえのバースディパーティをやるんだからな」


オレの言葉にルシオンはかすかにうなずく。


「もっとうれしそうな顔しろよ!」


銀色の頭を無造作につかんで髪をくしゃくしゃにかき混ぜると、不器用な笑顔を作って見せた。



 ドアをノックする音がした。マーガレットが入ってきてルシオンが目覚めていることに気付き喜びの声をあげる。


「ああ、ルシオンくん! 気が付いたのね。よかった!!」


マーガレットはハラハラと涙をこぼした。


「よかった。本当によかった・・・・・・」


 ルシオンにもしものことがあったら、マーガレットも生きてはいなかったはずだ。そう考えると改めてぞっとする。無茶をしたもんだ。


上手くいったのはたまたまだ。奇跡きせきと言ってもいい。


そもそもルシオンがあんなことを言い出さなけりゃ、ホームに子供たちの笑い声がひびくことは二度となかったんだ。


でも、そうはならなかった。この気持ちを誰にどうやって伝えたらいい?



「なんだ、この香り」


 オレは鼻をひくひくさせた。甘い香りが漂っている。


「この花よ。いい香りね。レイチェルにもらったの。ここは殺風景だから飾って欲しいって」


マーガレットはポルッカの小枝を持っていた。


『どうして・・・・・・』


 ルシオンは事情を知らない。今が打ち明けるときだ。


「オレがレイチェルをここに連れて来たんだ。おまえの命を救うためにはどうしてもレイチェルの血が必要だったから。


それでさ、隠しておけなくてなんもかもしゃべっちまった。すまん!!」


ルシオンの青緑の瞳が大きく見開かれた。


 実は、レイチェルには知らせないで欲しいと頼まれていたんだ。自分がルシオンだと、生きていると明かすことはできないと。


それなのに、なにもかもぶちまけちまったんだ。責められても仕方ない。


しかも、マーガレットにまで秘密を明かしている。だが、これも仕方のない選択だったんだ。



 あの日。レイチェルから息子への輸血が終わり、ルシオンに回復のきざしが見え始めたとき。


レイチェルに説明を求められたオレは、マーガレットにも一緒に話を聞いて欲しいと頼んだ。


 出会ったばかりで正直マーガレットのことはなんも知らない。だが、悪い人間でないことはわかる。あとは信じるしかなかった。


ルシオンのことを誰にもしゃべらないようにしてもらうためにはそうするしかない。ルシオンがセイラガムだと明かすしかなかった。


どうやって抗血清を作ったのか、本当のことを言いふらされたらルシオンの秘密を守るどころの騒ぎじゃなくなる。それだけはどうしてもけなければならない。


だから、マーガレットにも聞いてもらったんだ。


 真実を知ったマーガレットは驚いていたが、どうしてこんな無茶苦茶な方法で抗体を作ることができたのか納得がいったようだった。


話の最後にオレは念を押しておいた。


「他の特殊能力者ヴァイオーサーで同じことをためそうなんて考えるなよ。ルシオンは特別なんだ」


「わかってる。私だってもう二度とこんな思いはしたくないもの」


そして、マーガレットはルシオンについて一切口外しないと約束してくれたのだった。


 一方のレイチェルはなにか思い悩んでいるようだった。その後一度も隠し部屋には来ていない。



 ルシオンは順調に回復していた。はじめは生まれたての赤ん坊みてえに一日中眠ってばかりいたが、徐々に目覚めている時間が長くなってきている。


起きているときはいつもドアの方を見ていた。レイチェルが来てくれるのを待っているんだ。だが、待ち人は一向に姿を見せてはくれなかった。


 先に我慢がまんしきれなくなったのはオレの方だった。花びらが落ちたポルッカの枝を、表情のない顔で見つめている相棒を見ちまったときのことだ。


本当は会いたくて会いたくてたまらないだろうに、決して会いたいとは口にしない。強がりなルシオンが哀れでならなかった。


死ぬほどの思いをして多くの子供たちの命を救ったんだ。ほうびのひとつもあってもいいはずだ。


 オレはルシオンが眠りにつくとレイチェルに会いに行った。



 レイチェルはすぐそばに、教会の中にいた。神像の前にひざまずき、手を合わせて一心に祈りをささげている。


「レイチェル、ルシオンに会ってやってくれ。あいつはずっとあんたが来るのを待ってるんだ。


あのバカは強がりだから絶対に泣きごとは言わない。でも、本当はすごく(さび)しいんだ」


「知っているわ。そういうところは変わっていないのね。夜ひとりでは眠れない子だったのよ。わたしはいつもい寝をしてあげたわ。


怖がりで寂しがりやで、甘えん坊な子なの。・・・それが・・・どうして・・・・・・」


 レイチェルの背中は震えていた。





◇◇◇◇


 レイチェル・ミラ・マーキュリーはすべてを知った。だが、この重すぎる事実をどう受け止めたらいいのかわからなかった。


5年前に死んだと聞かされていた息子のルシオンが本当は生きていたこと。ジョシュアがそのルシオンであったこと。


彼女の知らなかった事実がそれだけならどんなに幸せだったろう。


 彼女の思い出の中で生き続けている、やさしくて怖がりで甘いお菓子が大好きな子供のままでいてくれたなら、この再会を心から喜ぶことができたのに。


すぐにでも駆け付けて抱きしめてやれたのに。



 だが、彼女の知らないうちに愛する息子はもうひとつの顔を持つようになっていた。


その(うわさ)はこんな見捨てられたような島にまで届いており、どれもが耳をおおいたくなるような恐ろしい内容だった。


彼の手にかかってどれほどの人命が奪われたのかと考えると、決して許すことはできない。


しかも、マルティの両親と片足を奪い、自由と未来を奪った張本人でもあったのだ。


 レイチェルは敬虔(けいけん)なロマーノ教徒だ。ロマーノ教では殺生を禁じている。家畜ばかりか害虫でさえ殺してはならないと唱えているのだ。


この世に生きとし生けるものすべて神がつくりたもうたものであり、それを(あや)めることは神の意志に(そむ)くことになると説いている。


もっとも、30年前ならともかく当世でこの戒律(かいりつ)を守る者はほとんどいない。現に“みんなの家”でも肉や魚が食卓に並ぶ。


それでも、レイチェルがそれらを口にすることはない。


 彼女を愛したフレイはもう二度と人を殺めることはしないとちかった。そして、最後までその誓いを守って命を落とした。


そんなフレイとレイチェルの息子がロマーノ教の教えを踏みにじっているのだ。


人間の命を奪うなど天地がひっくり返っても容認できようはずがない。



 そして、もうひとつの驚愕(きょうがく)の事実。


ホームの子供たちばかりでなく多くの子供たちの命を救った抗血清は、ルシオンが命をかけて作ったものだった。


あのとき、義足のカタログと小切手をおいていったのは、死を覚悟しなければならないほど危険なことだと承知していたからなのだろう。


 実際、死ぬ程の苦しみを味わい、命の危険にさらされているところをレイチェルはその目で見ている。今思い出してもめまいがしてくるほど凄惨(せいさん)な光景だった。


 一方では無数の人命を奪い、もう一方では子供たちの命を救っているのだ。

もう、レイチェルにはどうしたらいいのかわからない。



 ルシオンのそばについていてやりたい。その顔を見ていたい。そんな衝動(しょうどう)が突き上げてくる。だが、それが許されるはずはない。


 レイチェルは神に祈りを捧げながらも平静を取り戻すことのない心に戸惑っていた。こんなことは初めてだった。


いつもならどんなに心の中がかき乱されていても、祈りを捧げれば次第に(しず)まって冷静になることができたのに。あれ以来どれだけ祈っても心に平和が訪れることはない。


 様々な思いがせめぎ合い渦巻く心を持てあましたレイチェルは、一心に祈り続ける・・・・・・





 オレにはそれ以上言葉を重ねることはできなかった。そんなことをすればきっとレイチェルを苦しめることになる。ルシオンだって母親を苦しめたくはないはずだ。


「レイチェル。あの花、まだ咲いているかな」


オレは別の話を切りだした。


「ひとつ分けてくれよ。あいつに持って行ってやりたいんだ」


 レイチェルは祭壇(さいだん)に向かったまま振り返らない。


「好きにしてちょうだい。もう水をあげることもないから」


あんなに大事にしてたのに。どうでもよくなっちまったのかよ。


「そうか」


オレは教会を後にした。



 レイチェルは本当にここには来ていないんだな。


水を断たれたポルッカの木は葉がしおれ元気のない姿をさらしていた。それでも、いくつかの花が枝にしがみつくように咲いている。


ジョシュアが毎朝早起きして水をやってたのにな。枯れたら悲しむんだろうな。


 水場と木の間を何度も往復して乾いた土にたっぷり水をかけてやった。これでポルッカの木も生き返るはずだ。


「おまえだって必死に生きてるんだよな」


木に話しかけるとこたえるように葉がざわめいた。



 目を覚ましたルシオンは甘い香りに気が付いて、取り換えておいた花びんのポルッカに目をやった。


誰が持って来たんだろうとか考えてるんだろうな。

レイチェルが持って来てくれたって言ってやろうか。


いや、ダメだ。そんなウソ、すぐにバレる。


 ルシオンはなにもきかずに花を見つめている。

この花がほんの少しでも相棒のなぐさめになってくれることを願わずにはいられなかった。 

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