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精霊を、いつまで信じてた?
生まれたての赤ん坊にひとつ取りえをくれて、感謝祭には子供たちにプレゼントをくばる。子供のあこがれ=精霊がエルンストだってのは、3歳の誕生日には見破ってたさ。
そんなオレが神様だけは13になっても信じてたんだから笑えるよな。見たことも声を聞いたこともないくせに、どうして13年も信じてられたのか、謎だ。
神なんてもんは自分じゃどうにもならないことを、なんとかしてもらおうってひ弱な人間が作りだした幻にすぎないってのに。
そもそもこの世界を動かしているのは人間の欲と憎しみだ。500年も続いているバカげた戦争がその証拠だ。
はるか昔から、たぶん人間という種が誕生したときから、いつもどこかで戦争は起きていた。
何千年もの大昔から殺し合いを続けている人間は救いようがない。もし本当に神様がいたとしてもとっくの昔に見限ってることだろうさ。
だけど。なんかこう見えないものの力が運命をもて遊んでると感じることは、よくある。
でも、そいつは絶対に神様なんかじゃない。
「おまえは教会で育ったのに神様ってのを信じてないのか?」
オレの生い立ちを知っているヤツは決まって同じ質問をしてくる。その度にオレも決まって同じ言葉で返すようにしている。
「そういうおまえが教会育ちなら神を信じたか?」と。
その質問に“イエス”と答えたヤツはひとりもいない。
そういうことだ。
「だったら、なんで讃美歌なんか聞いてんだよ」
余計なことに気が付くヤツはそんなことまできいてくる。そこはスルーしていいとこなんだよ。オレだってうまく説明できないんだから。
要するにアレだ。讃美歌だってただの歌だし、物心ついたときから聞いてたもんだから耳になじんでるんだ。ぽっと出ちゃすぐに消える流行歌なんてうるさいだけだろ。
ああそうさ。今、船内に流れているBGMも讃美歌だ。ロマーノ教の讃美歌第128番。オレの好きな曲のひとつだ。讃美歌全878曲をそらで歌えるって言ったら驚くか?
でも、もう、オレが讃美歌を歌うことはない。祈ることを止めたときに歌うのも止めた。5年も昔の話だ。
「せっかく精霊にもらった声なのに」
幼なじみのモニカはオレの顔を見るたびそう言って溜息をつく。いい加減あきらめてくれ。まあ、確かにきれいな歌声だったと自分でも思う。
他所の島まで評判になってミサにはいつも大勢のひとが詰めかけて来たもんだ。
目当てはこのオレ、フィヨドル・キャニングが歌う讃美歌だ。“天界の歌声”なんて言ってもてはやされもした。
ちなみに、オレの名は讃美歌の多くを作った大作曲家、フィヨドル・ペレーダとベント・キャニングの名を合わせたもんだってさ。
オレにそんなおおげさな名前を付けたことをシスターアナも後悔してるだろうぜ。
もっとも、オレをその名で呼ぶヤツはほとんどいない。仲のいいヤツはみんな“フィヨドル”をひっ縮めて“フィル”と呼ぶ。その方がオレもしっくりくる。
今のオレは運送屋という仕事を隠れ蓑に、アブナイものを運んで金もうけにはげんでる。“運び屋アリアーガ”と言えば裏の世界じゃちったぁ知られてんだぜ。
モットーは“金にならないことはしない” “取れるヤツからは取れるだけ取る”
この世はすべて金だ。金がなけりゃ生きちゃいけない。その現実をイヤというほど思い知らされた。だから、金のためだったらなんだって運んでやる。
例外はたったのひとつ。商品としての人間、奴隷だ。ヒトをモノとして売り買いすることだけはどうしても許せない。
オレが運んだ武器やクスリで不幸になる人間が大勢いることはわかってるし、罪悪感がまったくないと言ったらウソになる。だが、他人の心配をしてる余裕はない。
オレはまだ半人前だから自分の手の内にあるモノを守るだけで精一杯だ。
昔のオレはなにも持っていなかった。18年前、教会の前に捨てられていた赤ん坊には名前すらなかったんだ。
今のオレはそれなりのものを持っている。どれひとつ手放す気はない。だからこうして、せっせと金もうけにはげむのさ。
ところで。さっきから気になっているんだが。
あれは、真昼の太陽が見せる幻じゃないよな。どうしてこんな所に船がいるんだ?
しかもあの船、こっちの進路をふさいでやいないか。
なんだかイヤな予感がしやがる―――
「こりゃあ、なんのマネだ!?」
前方の船に気を取られているうちに別の船が後ろにまわり込んでいた。しかも3隻もいる。島の影に隠れてやがったな。前も3隻に増えた。
はさまれた! この辺に海賊が出るって話は聞いたことがないぞ。
「くそっ! 油断した!!」
オレはフィヨドル・キャニング。この小型貨物船ファビウスⅡ世号のオーナー兼船長だ。ついでに航海士と機関士までこなしてる。
ひとりで船を航行できるだけの技術と資格を手に入れるにはそれなりの苦労はした。
15でこの仕事を始めたときオレは22だとウソをついた。15のガキに仕事をくれるもの好きはいなかったからだ。
ラッキーなことに、長身と大人っぽい顔立ちとでいつも実年齢より年上に見られてたから、年をごまかしても見破られたことは一度もない。
そんなワケで今は25歳ってことになってる。
老け顔なのかって?
冗談じゃない! オレみたいなイケメンはそうはいないぜ。・・・たぶん。
燃え立つような真っ赤な髪と意志の強そうなアッシュグレイの瞳が、女心をつかんで放さないのさ。とは言え、オレのまわりにいるのはババァとちびっ子ばっかりだけどな。
オレの中でサイレンがけたたましく鳴り響く。海賊なんぞにくれてやるもんはなんもない。そこの島は無人島だし、周囲に助けを求められる船もない。
しゃあない。こいつの手を借りるしかないか。
急いでとなりのシート、の下で眠りこんでいる相棒を起こしにかかる。
こいつはいつでもどこでも眠れるという特技を持っていて、気が付くと地べたや床の上に転がっている。今も身体を赤ん坊みたいに丸めて冷たい床の上で眠ってる。
ルシオン・フレイ・アスターシャ
相棒と言ってもほんの子供。たったの9歳だ。
こいつの見てくれは印象的で、誰でも一度目にしたら忘れられなくなることは間違いない。地上に舞い降りた天使そのものだ。
腰まで届く髪は風を集めたような銀色。形のいいこじんまりした鼻に愛らしい口元。
閉じられたまぶたの下に隠れてる瞳は、青とも緑ともつかないなんとも神秘的な色をしている。まだ未完成とは思えないほど整った顔立ちだ。
オレは教会で育ったこともあって多くの天使の絵や彫像を見てきたが、こいつほど天使のイメージをリアルに具現化したものをいまだかつて目にしたことはない。
天使が実在するとしたらそれはこいつの姿をしているに違いない。ま、天使なんかいるワケねえし、こいつも天使じゃないけど。
それどころか・・・・・・
「ルシオン、起きろ!」
そんなことをしてる間に、6隻の海賊船はオレの船を取り囲むように散らばっていく。
「ちっ! そうはさせるか!!」
舵輪をがっしりとつかんで加速、包囲網を完成させようとしている船団のすき間めがけて突っ込んで行く。
床の上で寝ているルシオンがどっかに転がっていったがかまってるヒマはない。
加速のよさにほれ込んで大枚はたいたファビウスⅡ世号は、囲みが完成する前に外に脱出することはできた。
だが、包囲網の外側で待ち構えていた船に進路をふさがれ、その時にはもうすっかり取り囲まれていた。
大きさも装備もバラバラの船が全部で8隻。海賊としては大規模だ。
なんだってそんな連中がこんなところで待ち伏せなんかしてやがる? このあたりを通る船は滅多にいないってのに。オレか? オレの船が狙いなのか?
いや。それはない。今回の積荷はアレだけだから全部奪っても稼ぎはビビたるもんだ。8隻も船を動かして奪いにくる価値はない。
「こちらファビウスⅡ世号。おまえら襲う船を取り違えてないか。それとも便所が壊れちまったのか?」
ワケがわからないオレは通信機で呼びかけてみた。
「こっちの積荷は紙オムツだぞ」
応答なし。シカトかよ。
「オイオイオイオイ!! ちょっと待てえええっ!!!」
相手の出方をうかがっていたオレの声は引きつった。海賊船の砲身がこっちに向かって照準を合わせようとしている!
冗談じゃねえ!!
「あいさつもなしにいきなりかよ!」
問答無用で攻撃たぁ、どうゆうつもりだ。海賊に命を狙われるようなことはしていない。
・・・・・・していないはずだ。
していないと思う。
していないんじゃないかな。
たぶん・・・・・・
とにかくこのままやられるワケにゃいかない。買ってまだ日の浅いファビウスⅡ世号のローンはたっぷり15年も残ってるんだ。
海賊船を見まわして真っ先に撃ってきそうな船を見定めると、そっちに船首を向けて急加速、小ぶりだが火力は充分のバッカレン砲を発射。
よし! 命中した。
このスキにわずかなすき間をすり抜けて包囲網を突破。小型で足が速いファビウスⅡ世号だから可能な荒業だ。
後は最大船速で逃げるしかないが、相手は海賊船だ。積んでいるのは並みのエンジンじゃない。積荷で重たいこっちが不利だ。次第に距離をつめてくる。
撃ってきやがった! 当たってたまるか!! オレは巧みに舵を切って砲撃をかわす。
「ガガガ・・・・・・・・・」
通信が入ってきた。今さらワビを入れたって遅いからな!
「よお、アリアーガ」
ん? この声には聞き覚えがあるぞ。右手で舵を操りながら、左手で通信機をつかむ。
「おまえジョンか!? どうゆうことだよ? 説明しやがれ!」
話している間も砲撃をかわし続ける。
「悪いな。おまえには借りがあるのにこんなことになっちまってよ。船長命令にゃ逆らえ
ねえんだ。一応わび入れとこうと思ってよ。じゃあな」
「おい! なんだよ、そりゃああ!!」
床にたたきつけた通信機にひびが入り破片が飛び散る。
しまった! 修理には金がかかる。それもこれも全部あいつらのせいだ!!
右に左に舵を切るファビウスⅡ世号の中、床の上を転げまわっていたルシオンが舵輪の下に転がってきた。オレはすかさず背中を足で押さえつける。
「いつまで寝てる気だ。さっさと起きろ!!」
「ヤダ。眠い」
オレのコメカミには血管が浮き出ているはずだ。絶体絶命の緊急事態だってのに“ヤダ”はないだろ! ちったあ危機感を持てってんだ。
「仕事しないってんならこのまま踏みつぶす!」
と言ったときにはもう思いっきり脚に力が入っていて、ルシオンは手の平で床をたたいている。胸を圧迫されていて声が出ないらしい。脚をどかしてやると飛び起きて猛抗議だ。
「ひどいよ!! 起きるところだったのに!」
勉強しろと言われて、今やろうとしていたのにと言いワケするガキみてえだ。
「文句言ってないでさっさとあいつらをぶちのめしてこい。オレの大事な船には傷ひとつ付けるな。そしたらボーナスを払ってやる」
「ほんと!?」
ルシオンは顔を輝かせた。そんな顔を見るとうれしくなる。こんな時だってのにな。
出会った頃のルシオンはまったく感情を表にださない人形みたいな子供だった。だが、感情のない人間なんかいるはずがない。ただ、感情表現が下手なだけだった。
そんな子供になったのは育った環境のせいだと後から知った。
ある事情から特殊な環境下で育てられたルシオンは、大勢の大人たちに囲まれていながらいつもひとりぼっちだった。
感情を受け止めてくれる者も言葉に耳を傾けてくれる者もいなかった。
幼いがゆえにむきだしの純粋な感情は行き場を失い、やがて気持ちを伝えようと努力することを止めてしまった。
そして、はけ口のないつらいことばかりの毎日に耐え切れず、心を凍らせなにも感じていないと思い込むことで幼い心を守ってきた。
こいつの無表情は悲しすぎる。だからオレは、ルシオンが素直に感情を出せるようこっちも思いっきり感情をぶつけるようにしている。
口より先に手が出ちまうのはオレの性分だ。あきらめろ。
ルシオンは背中をさすりながら外の様子をうかがう。
「敵の数は?」
「完全武装の海賊船が8隻だ」
「いっぺんにやっていい?」
「ダメだ」
ルシオンの力なら8隻の船を一度に沈めることぐらいワケない。だが、それをやっちまうとこいつの正体に感づくヤツがいないとも限らない。
「1隻ずつ動けなくしろ。足の速いヤツから順番にな」
「ん。わかった」
次の瞬間にはもうルシオンの姿はない。瞬間移動したんだ。あいつは人智を超えた力を操る特殊能力者なのだ。
テレポートといってもどこでも行きたい所に自由に行けるワケじゃない。その場所の様子を頭の中ではっきりと思い描けなくちゃならないのだそうだ。
つまり、今見えている範囲内か、過去に見たことのある場所でなくてはならない。ただし、実際に行ったことがなくてもテレビや写真で見ただけでもOKらしい。
記憶力が重要ってことだ。その点、ルシオンの記憶力は抜群だからとんで行けるポイントは無数にある。
ほどなく、海賊船の1隻が味方の船に向かって砲撃を始めた。不意打ちをくらった海賊船は横っ腹に砲弾を受けてあっけなく沈んだ。
さすがに海賊は容赦ない。裏切りを働いた船に一斉攻撃を浴びせる。だが、船体を丸ごと包み込む盾に守られていて砲弾は届かない。
ルシオンに乗っ取られた船は集中砲火をものともせず船団の一角に突っ込み体当たりで海賊船をけ散らしていく。
ただ力任せにぶつかっていくだけの乱暴な戦い方が成立するのは、体当たりの衝撃にも耐えうる強力なシールドがあればこそだ。
仲間の船がなんの抵抗もできずに破壊されていく様を目の当たりにして、残りの海賊船は逃げようとしていた。だが、ルシオンは見逃してはやらない。
シールドを解除して砲撃を開始する。反転途中の海賊船はまともに砲弾をくらって次々と沈んでいく。
「あのバカ、やりすぎだ!!」
オレは叫んだがあいつには聞こえない。
最後に、乗っ取った船を破壊して海賊船団は全滅した。船を捨てて海に飛び込んだ何人かが海面に顔を出している。
なんてこった・・・・・・ 生き残ったのはたったのあれだけか。。
あまりの惨状にオレは茫然と海を見つめる。8隻の船を飲み込み、少しばかりの残骸が浮かんでいる海を。
姿を消したときと同じように忽然と姿を現したルシオンは、散歩から帰ってきたときとなにも変わらない。いつもの無表情に背筋が冷たくなる。
―――罪の意識はないのか。
ジョンはお調子者で小ずるい男だが殺されなければならないほどの悪人じゃなかった。
カッとなったオレは相棒のえり首をつかんで吊るしあげ声を荒らげる。
「なんで殺した! 船を動けなくするだけでよかったんだ。そこまでやる必要はないだろうがっ!!」
ルシオンは感情を映さない瞳でオレを見上げている。
「どうしておこっているの?」
まるで小さな子供が「どうしてお空は青いの?」とたずねているみたいな声だった。
ああ、そうだった・・・・・・
オレは愕然と思い出す。
外見は天使にさえ見える相棒は、いわば究極の兵器だ。わずか5歳のときから敵を殲滅するための訓練を受けている。殲滅が目的だから手加減なんか必要ない。
さしずめ生きた大量破壊兵器といったところか。
オレは無言のまま手を放しドサリとシートに身体を沈めた。両手で顔をこすり大きく息を吐き出す。
「いいか、殺しはなしだ。簡単にヒトを殺すんじゃない」
「どうして? みんな殺してるよ」
「・・・・・・」
オレは返答につまる。
どう説明したらいいんだ・・・・・・
我がアビュースタと宿敵リトギルカは5世紀にも渡って戦争を続けている。ヒトを殺すことを大人が肯定してるんだ。
ルシオンはそんな大人たちの戦場で長い間戦わされてきた。今さら人命は尊いものだなんて言って聞かせたところで説得力ゼロだ。
「とにかく、ダメなもんはダメなんだ。コ、ロ、ス、ナ!」
我ながら情けないほど一方的な要求にはルシオンでなくても“ヤダ”と言いそうだ。どうやって説得しようかと考えていると意外にも素直な反応が返ってきた。
「わかった」
はあああ?
なにがわかったんだか。拍子抜けだが小難しい理屈をこねなくてすんだのはうれしい。