高速の先の君へ
Episode1 [HighSpeedRacing]
ギアを一段落とす。
急な減速に伴い、強力なGが私に襲いかかるが、その間にも車体は前へ前へと進もうとする。
およそ一般的とは言えないような、常識外の速度で走行するそれは、しかし、とうとう選択を迫られる事となる。眼前に迫る曲がり角までは、もう数秒とかかるまい。
ガシャン――更にギアを一段階落とす。
コーナー目前のこの距離でギアを落とすなど、常識で考えればあまりに遅く、場合によっては自殺行為にすら見えるだろう。
案の定、車体はバランスを失い、全てのタイヤが予測不可能な挙動を起こす。誰が見ても、この車はスピンに移行する。
「ヨーシ!」
声の主は、今まさにスピン直前の車体を操るドライバー、早佐賀 一番である。
危機的状況にあるにも関わらず、元気で明るく余裕に満溢れ、どこかイタズラ好きな子供のような笑みを浮かべている。
そして、スピンするかと思われた車体は物の見事に体勢を立て直し、綺麗なドリフト状態に突入する。
周りで観戦しているギャラリーも、一瞬、息を呑んだものの、いつもの事だと言わんばかりに揃えて嘆息をもらす。
「ほんと、あいつのドライビングは見ているこっちがヒヤヒヤさせられるぜ」
最前線でコーナリングを眺めていた男が愚痴を漏らす。
「全くだ。どうしてあの状態から車体を持ち直せるのか、さっぱり理解できん」
同じことを感じていたのだろう、隣で観戦していた巨躯な男もガッチリと腕を組み、大きく頷く。
現在の順位は三位、彼女の前を走るツートップはやや前方(約二コーナー先)で一位争いに並々ならぬ闘志をぶつかり合わせている。
「……まー、ギリギリ間に合う……かなぁ?」
先ほどのコーナーは曲がり終えた後、またすぐに逆コーナーが待ち受けている、所謂「S字コーナー」と呼ばれるもので、このコースの一番の難所でもある。
彼女はそのS字コーナーを難なくクリアし、そしてトップと二コーナー差という状況からなんとか勝算を見出したらしく、苦笑いを浮かべつつも凄まじいキレでコーナーを走破していく。
まあ、彼女のレース人生はこれからもなんか続くんじゃないかな。
おしまい。