梓、限界を知る5
その女子トークの最中、残り1時間というあたりで店員が、「あの、幹事様はどなたでしょうか」と声をかけてきた。
「あたしだけど」
琴音が呼ばれて店員と話す。梓もそれをちらっと見る。
(まだ時間あるよね。どうしたんだろう)
ちょっと遠くで話しているので話は聞こえないが、琴音の顔からだんだん笑顔が消えていくのが分かった。
なんかこっちのテーブルを見ながら、うなずいたり、手を合わせたりしている。
「なんだろう」
最後に店員が頭を下げる。琴音がきっと踵を返してこちらに返ってきた。
テーブルに戻ってきた琴音の表情は珍しく真剣だ。
「ちょっと聞いてくれ」
「ん」
みんな少しずつおしゃべりを止めて、琴音の声に耳をかたむける。
「たいへん言いにくいんだが」
「なに、改まって。珍らしいじゃん」
「この店な、全部食べないと違約金があるんだよ。言い忘れてたけど」
「えっ?」
と全員の声がそろう。そして全員がテーブルの料理をながめ始めた。
まだ、『これから食べ始めますけど私たち』っていう量の食糧がテーブルの上に乗っている。
「これ、ぜんぶ違約金になるの」
「そう」
「いくらくらいになるの」
「だいたい7万だ」
「まじー」
と全員がハモった。
「そんなお金持ってないよ」
「みんなはある?」
「私もない」
「私も」
「ことねー、儲けからだせないの?」
「もう5千円しかない」
「もう、食べる前に言ってよ!」
「だから、すまないって言ってるじゃん」
「これから、これ全部食べるの?」
だれかが不安そうな声で言った。
「食べれば7万円はなくなるけど」
「いやムリっしょ。わたしのお腹をみてよ」
「わたしも、もうパンパン。こんなに食べたの初めてってくらい」
「わたしも」
と衝撃的な展開にみんな困惑する。
琴音も明らかに動揺していた。その動揺は自分の失敗からくるのか、それとも打ち上げの楽しい時間を壊してしまったことなのか、全身がこわばったようになっていた。
そして梓も迷い動揺していた。
(たぶん私なら食べれる。そしたら皆がなんとかなる。でもここで大食いって言ったら私はどうなるの。またイヤな思いをするかもしんない)
自分の中に、苦々しい思い出がよみがえり、実際に舌が苦くなるのを感じた。
(でもなんとかしたい。琴音も。超たのしかった夜市も。今日のことも。ぐちゃぐちゃにしたくない)
(どうしよう)
(先生、どうしよう)
先生を想い目を閉じた。先生の顔が見える。照れた笑いを浮かべた先生の顔。わたしが食べる姿を愛おしそうに見る先生の目・・・
(先生・・・)
梓がぽつりと
「わたし食べようか・・」
自然とその声が出ていた。いや出てしまった。
「えっ!」
視線が梓に集まる。
「え、何いってんの梓!むりっしょ」
誰かは分からないが、当然の指摘が聞こえた。
「分かんないけど、もしかしたら食べれるかもしれない」
「えーーー!」
「だって、もう梓だって結構食べてんじゃん!」
「この量だよ」
「まじっ」
全員から様々な『何言ってんのコール』がかかる。
「たぶんここにあるのって6キロくらいだと思うんだ。だからみんなが少し食べてくれたらいけるかなって」
「6キロ!!?」
「あんた、何言ってんの?6キロだよ!ムリに決まってんじゃん!」
沈黙が流れる。
・
・
・
「わたしさ、みんなにずっと黙ってたけど」
そこまで言って言い淀む。
全員が梓に注目している。
(言いたくない。だけど・・・)
梓は琴音を見た。立ったままうつむいている琴音・・・。
「わたしさ、大食いなんだ」
申し訳なさそうに梓は言った。
「えー」
「知ってた?」
「ううん」
「琴音知ってたの?」
「いや・・・」
全員が騒然となる。
「ごめんね、別に秘密にしてた訳じゃないけど・・ううん、隠してたけど・・・はずいから・・」
だんだん声が小さくなる。
「梓、なに小さくなってんの。すごいじゃん!」
「ぜんぜん分かんなっかったよー」
「なんで隠してたの!?」
その騒然が興奮に変わった。
ぜったい引かれる!
そう思っていたが、予想に反してみんな受け止めてくれたのだ。逆にスゴイというキラキラした目で見てくれている子もいる。
「ホント、食べれる?」
「うん、このテーブルの量なら、なんとなく行けそうな気がするんだ」
というと全員が、テーブルの上の料理を見た。
しゃぶしゃぶが大皿で5枚、焼きそばが3皿、カレーの2皿、チャーハン・しゅうまいが合わせて3皿分くらい、から揚げや焼き鳥が大盛り一皿、パスタがまるごと2皿。なぜかてんぷらが山盛り。中華まんじゅうが4つ、ケーキが全部あつめると10個くらいあるだろうか。
「だれだよ、てんぷら山盛りで持ってきたのは」
「・・それあたし、だって家でお母さん、てんぷら作らないから」
「けいちゃん、それにしても取りすぎだって」
冗談めいたセリフはそれくらいしか出ない量だ。
梓は冷静に食べられそうか計算を初めた。
(6キロから7キロくらいだ。焼きそばがキツそうだけど、みんなの協力があれば・・・)
「大丈夫!絶対私達ならいけるって」
「残ってる飲み物とお茶わんのご飯は自分で食べて。あとは、わたしが食べるから」
急に梓の表情が真剣になる。
みんなも顔を見合って言葉のない会話を交わす。
(梓を信じよう)
(みんなやろう)
他に選択肢はないのだ。自然と14名も真剣な空気に変わった。
「じゃ、食べようよ」
梓は自分に向けて言うと、ブレザーを脱いで、あと1時間という時間を意識し始めた。
みんなもそれぞれに自分の皿に残った食べ物やお茶碗のご飯を食べる。
「きつーい」「う、もう入らない」「きぼちわる・・」とか言っているが、まだギリギリ大丈夫そうだ。
それぞれが自分の持ち分を食べ終わると、余裕が出てきたのか冗談を言うゆとりも出てきた。
「もう最後にケーキ10個もってきたやつ、怒るよ」
「いつもなら取り合いなのにね」
「はは」
その間、梓はもくもくと食べる。
経験的に肉系から食べた方が楽に食べられることを知っているので、まずてんぷらやから揚げから食べ始めた。
味が同じだと飽きるので、てんぷらとからあげを交互に食べる。
最初は味をつけない。
ぱく、んぐんぐ。
ぱく、さくさく、んぐ。
ぱく。
さく、はく。
梓が食む音が小さく聞こえる。
そして山盛りのてんぷらとからあげが、確実に一つずつ梓の胃袋に入っていく。
「梓、ぜんぜん休まず食べるね。息してる?」
「コク」
無言でうなずく梓。
普段なら、味わって食べる料理だが、今日はとにかく食べきるという今までにないシチュエーションだったので、梓も料理との向き合い方が分からない感じだった。
それでも10分でこの二品を完食した。
(ちょっとペースが遅いか。おなかが膨れると食べきれないからあまり水は飲めないなぁ)
無言で計算する。次は、は、しゃぶしゃぶを食べよう。
「みんな、これからしゃぶしゃぶを片付けちゃうから、作るの手伝って」
「うん」と間髪いれずに琴音が答えた。
しゃぶしゃぶは、琴音が責任をもって作る。
熱湯にしゃぶしゃぶとして、お肉の赤みがなくなるまでお湯に通しとんすいに上げる。
けいちゃんは隣でアクをすくう。そういう連携プレイだ。
けいちゃんは「こんなペースでアクをとるの初めて。なんか病み付きになるね」なんてのんきな事を言っているが、梓はそのペースで梓は肉を食べているのだ。
みんなの目は梓の口に一心にそそがれていた。
ペースを全く落とさず食べる梓にみんなの視線はどんどん引き込まれていく。
梓の小さい口に、しゃぶしゃぶ肉がぽんぽん放り込まれていく。それをあまり噛む様子もなくするっと飲み下すと、また新しい肉を口に放り込む。
それが5皿分、永遠と続く。
(すごい・・)
だれもが抱いた率直な感想だった。
隣に座っている、ひなはペースを上げて食べる梓のお腹がどんどん出てくることに気づいた。
梓の背中もお腹もどんどん膨らんでいる。
ちょっと目を離すと、もう1分前のサイズではなくなっている感じだった。
興味津々のひなは、どこまでお腹なのか知りたくてとちょっと触ってみた。
そっと手を伸ばす。
「ひゃ!」
と梓の背中が伸びる。
「ひなちゃん!なに!」
「ごめんごめん。どこまでお腹か確かめようと思って」
といって、おなかの周りをするすると触ると、カッターシャツのだぶつきかと思っていた部分は全部お腹だと分かった。
「すごっ!全部お腹だ」
「え、わたしも触るー」
みんな集まって、おなかを触りまくる。
梓は時間が気になって構っている暇はなく、触られるにまかせてひたすら食べ続ける。
みんな梓に集まる中、ひとりしゃぶしゃぶ鍋の前に立ち、ぽつんと梓をみつめている琴音。
「おまえら、梓がオレたちのために食べてくれてるんだ、じゃますんな・・・」
消沈した琴音の声がきこえる。だがみんなはその気遣いを気にするでもなく、「ごめん、でもすごくって」と、目の前で大食いする梓の虜になっていた。
「分ってるって・・・」
自分に言い聞かせるように琴音はつぶやいた。