既読スルーの代償
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
既読スルーの代償
スマホの画面を、私は今日も無意味にスワイプしていた。
既読。
それだけが、二ヶ月前から変わらず表示されている。
返信はない。
「……また、今日もか」
ため息が漏れる。
名前は大地。大学時代から付き合って三年。卒業してからも変わらず、結婚の話だって出ていた。
彼は不動産会社に勤めていて、忙しいのは分かっている。だけど——。
二ヶ月も返信がないなんて、普通じゃない。
最初の一週間は「忙しいのかな」で済ませられた。
一ヶ月を過ぎた頃には、不安が疑念に変わった。
そして、今。
「……もう、わかってる」
私はスマホを伏せた。
——これは、終わっている。
私は製薬会社に勤めている。研究職ではなく、営業寄りの仕事だが、それでも忙しさはそこそこだ。
それでも、私はどんなに忙しくても、好きな人の連絡を二ヶ月も放置したりはしない。
つまり、そういうことだ。
「白石さん、今日の資料チェック終わりました?」
「あ、はい。今送ります」
声をかけてくれたのは、同じ部署の神谷だった。
入社して一年ほど。穏やかで、気配りができて、どこか安心する人。
「最近、ちょっと元気ないですよね」
「え、そうかな」
「はい。前はもっと、こう……ピリッとしてたというか」
「それ褒めてる?」
「半分くらいは」
苦笑いする神谷に、私は少しだけ気が緩んだ。
「……ちょっとね。プライベートで」
「恋愛ですか?」
「ストレートだね」
「分かりやすいので」
図星だった。
私は少し迷ってから、ぽつりと漏らす。
「……二ヶ月、既読スルーされてる」
「え」
神谷の表情が固まった。
「それ、もう……」
「うん。分かってる」
言葉にされなくても、分かっている。
分かっているけど、認めたくなかった。
決定的だったのは、その週末だった。
たまたま立ち寄ったカフェ。
休日にしては珍しく空いていて、私は一人でぼんやりコーヒーを飲んでいた。
そのとき。
「……大地?」
思わず声が出た。
少し離れた席に、見慣れた後ろ姿。
そして、その向かいには——知らない女。
距離が近い。
笑い方が、あまりにも自然すぎる。
私は立ち上がった。
心臓がうるさい。
一歩ずつ、近づく。
「……大地」
呼びかけると、彼は驚いた顔で振り返った。
「え……あ、お前……」
“久しぶり”でも、“どうしたの”でもない。
ただの、困惑。
それがすべてだった。
「この人、誰?」
静かに問う。
すると、彼は一瞬だけ視線を泳がせてから、あっさりと言った。
「あー……彼女」
頭の中で、何かが切れた音がした。
「……私、何?」
「いや、その……自然消滅っていうか」
「二ヶ月既読スルーして、それ?」
「いや、だから忙しくてさ」
「浮気してる暇はあったんだ?」
言葉が鋭くなる。
でも、止められない。
「ちゃんと別れ話する時間くらい、作れるよね?」
「……めんどくさくて」
その一言で、全部が終わった。
怒りも、悲しみも、一瞬で冷えた。
「そっか」
私は微笑んだ。
「じゃあ、終わりでいいよ」
「え」
「ありがとう。三年分、勉強になった」
それだけ言って、私は店を出た。
涙は出なかった。
それから一ヶ月。
私は驚くほど普通に生活していた。
むしろ、楽だった。
あんな中途半端な状態に縛られていた時間のほうが、よほど苦しかった。
「最近、顔つき変わりましたね」
神谷が言う。
「いい意味で」
「そう?」
「はい。なんか、吹っ切れた感じ」
「……振られたけどね」
「いや、それ振られたっていうより」
神谷は少し言葉を選んでから言った。
「捨てた、ですよね」
思わず笑ってしまった。
「それ、いいね。採用」
その日、私たちは初めて一緒に飲みに行った。
仕事の話、どうでもいい雑談、少しだけ恋愛の話。
神谷は無理に踏み込んでこない。
でも、ちゃんと隣にいてくれる。
その距離感が、心地よかった。
変化は、そこから早かった。
神谷と過ごす時間が増えていった。
休日にランチに行ったり、映画を観たり。
気づけば、私は笑うことが増えていた。
「白石さん」
「なに?」
「俺、結構本気です」
ある日の帰り道。
さらっと言われた言葉に、足が止まる。
「今すぐじゃなくていいです。でも、ちゃんと考えてほしい」
まっすぐな目だった。
逃げ場のない、誠実さ。
「……ずるいね」
「はい?」
「その言い方」
私は少しだけ視線を逸らした。
「好きになっちゃうじゃん」
「もう、なってます?」
「……なってるかも」
その瞬間、神谷が少しだけ笑った。
それから5日後。
私は正式に神谷と付き合うことになった。
穏やかで、安心できて、それでいてちゃんとドキドキする。
こんな恋愛があるんだ、と初めて知った。
そして——。
ある日、突然それは来た。
通知。
大地からのLINE。
『久しぶり。元気?』
思わず笑ってしまった。
あまりにも都合が良すぎる。
無視してもよかった。
でも、私は少しだけ考えて、返信した。
『元気だよ。どうしたの?』
すぐに既読がつく。
今度は早い。
『最近、色々あってさ』
『やっぱお前が一番落ち着くなって思って』
——ああ、そういうことか。
新しい彼女とうまくいっていないのだろう。
だから戻ってきた。
都合よく。
私は、ゆっくりと打ち込んだ。
『そっか。でも、もう遅いかな』
『え?』
『私、今彼氏いるから』
少し間があってから、返信が来る。
『は?』
『いつから?』
『あなたが既読スルーしてた二ヶ月の間に』
既読。
沈黙。
そして——。
『別れてくれない?』
思わず声に出して笑ってしまった。
どこまで自分本位なんだろう。
『なんで?』
『俺たち3年だぞ?』
『だから?』
私は一度深呼吸してから、最後のメッセージを送った。
『その3年を、二ヶ月で捨てたのはあなたでしょ』
そして、追撃。
『私は、ちゃんと大事にしてくれる人を選ぶ』
既読。
それきり、返信は来なかった。
「何かいいことありました?」
翌日、神谷が言った。
「顔がスッキリしてる」
「うん。ちょっとね」
「元カレ?」
「正解」
「で?」
私は微笑んだ。
「完全に終わった」
「……そっか」
神谷は少しだけ安心したように息を吐いた。
「じゃあ、改めて」
「なに?」
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
私は自然に答えた。
二ヶ月の既読スルー。
あの時間は、無駄じゃなかった。
あれがあったから、私は気づけた。
大切にされることの意味も。
自分を安売りしないことも。
そして——。
本当に大切にしてくれる人の存在も。
もう、後ろは振り向かない。
既読スルーの先にあったのは、終わりじゃなくて。
新しい始まりだったのだから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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