この体に流れるのは…③
「本当にありがとうございます。あなたがいなかったら、俺はあそこで...。」
「クスノキ、お礼はもういい。それより、今の感覚を忘れる前にもう一度、魔素の操作に集中するんだ。」
「え?」
楠木の言葉がさえぎられる。
「君の後半の言葉を聞き取ることができなかった。今、途中まで出来ていた魔素操作が途切れたんだ。落ち着いて、もう一度まその操作をやり直してみなさい。」
「┈┈あ…。」
楠木は思わず自分の喉に手を当てた。そこには先ほどまで感じることができた魔素の流れは一切ない。
そこで初めて、途中から自分が魔素を流さず、ただ思うがままに話してしまっていたことに気がついた。
魔素の操作は楠木にとって覚えたての技術。
発声しながらの操作は、楠木にとってまだ至難の業だったのだ。
目頭に溜まった涙を拭い、小さく深呼吸をする。もう一度、魔素の操作を両手から始める。
じんわりと僅かな温かさが手にこもった。その熱を、ゆっくりと右へ左へ流す。
だんだんと、その感覚が自分の中で定着していくのを確かに感じ取った。
その熱の流れを、今度は喉に込める。
「…どうでしょう。」
楠木の問いかけに、レーン老人は短く応えた。
「うん、出来ている。」
* * * *
「レーンさん。こっち積み終わりましたよ。」
「おぉ、助かる。」
楠木の呼び掛けに、高草の中から元気な答えが返ってくる。
そして間を開けず、ガサガサと音を立てて、草の中からレーン老人が姿を現した。
楠木のたどたどしい会話に、老人が自然に返答する。
そんな当たり前の光景が定着して、一ヶ月が過ぎようとしていた
この1ヶ月で、楠木とレーン老人の生活は変化を遂げていた。
未だカタコトながらも会話ができるようになった楠木は、レーン老人の農作業を手伝いながら、老人の家に居候することになっていたのだ。
手伝う代わりに家に住む。
これは1ヶ月前、楠木から初めて諸々の事情を聞いたレーン老人からの提案であった。
『行く宛てが無いのなら、ここで一緒に暮らしてみるか?』
もとより帰る場所もなく、出来ることも少ない楠木にとって、この提案は断る理由もないありがたいものであった。
そしてレーン老人も、そんな楠木を息子や孫のように面倒を見るようになっていた。
「この調子なら明日には刈り入れも全部終わるの。」
高草をかき分けながら姿を表したレーン老人は、まだ刈り入れ終わっていない範囲を見ながらそう呟いた。
楠木はそんなレーン老人を横目に、地平線の向こうに見える沈みかかった夕日を見つめた。
「そろそろ日が落ちますし、今日は早めに切り上げてしまって、朝に残りを済ませますか?」
「うーむ、そうだな。この時期は夜が冷える。今日は引き上げよう。」
そう応えるとレーン老人は、足元に置かれた大量の作物が入ったカゴを軽々と抱えあげ、近くの荷車に押し込んだ。
楠木も、荷台の横にある作物の束に手をかける。
「──ふんっ!」
足腰と腕に力を込める。しかしそれは単なる力任せではない。
力むと同時に、各部位の筋肉に魔素を集中させるよう意識するのだ。
そうすると、じわっと広がる熱が込められた瞬間、本来の楠木では考えられないほどの馬力が生み出される。
「っしょい!」
ドサッという重い音とともに、優に80kgはあろうかという作物の束は、勢いよく荷台に乗せられた。
これもまたレーン老人に教えられたことである。
初めてレーン老人の農作業を手伝った日、楠木は老人の年齢に見合わない異常な力に面食らった。
「ほっ」という軽い掛け声で、いま楠木が必死に持ち上げた物と同等量の荷物を、易々と持ち上げてみせたのだ。
果たしてその常識はずれな力が何処から湧いて出てくるのか。
老人曰く、力を込めた場所に意識的に魔素を込めることで、一時的に爆発的な馬力が出るのだそうだ。
この1か月の生活で楠木は、魔素とは実にお節介なほど万能な【新時代の進化した血液】だと結論付けた。
魔素は、血液とは異なり純粋な流動体のエネルギーのようなものであった。
これを意識的に操作してエネルギーとして消費することで、体の性能を底上げすることもできる。
楠木が今、本来なら考えられない力を発揮したのも、この魔素の操作と消費による一時的なドーピングのようなものであった。
一方で、レーン老人達現代人の体には、血液の代わりに魔素が流れている。
故に現代人は、大きく意識せずとも普段から魔素で強化された強力な肉体を持っているのだ。
人類は、血液から脱却して魔素で生きることで、種として進化していたのだ。
そして同時に、この世界時代において、楠木は血液に依存した非力な古代人なのだ。
────しかしなぜか楠木の体には、古代人であるにもかかわらず少量の魔素が流れていた。
それは現代人に比べれば非常に貧弱で、比べ物にならない量である。
楠木はそれを、ほんの一瞬だけ筋肉を魔素で強化することで、最小限の魔素の消費で最大限の馬力を出せるように工夫していた。
非力な古代人の楠木がこうしてレーン老人の役に立っているのも、その工夫ありきであった。
「これでっ今日の分は最後だ。」
魔素の操作と消費で必死に作物を持ち上げる楠木の横で、レーン老人は軽々と荷物を持ち上げ荷台に乗せていく。
見かけと馬力が見合っていない老人を横目に、楠木はため息をついた。
「魔素が流れる現代人。それに比べてこの体に流れるのは…。」
【血液】
楠木は、必死にこざかしく魔素を節約して頑張る自分が、やや情けなく感じ始めていた。
* * * *
「クスノキ」
食器を洗う楠木の耳に呼びかけが届く。
声のほうを見ると、老人が家の外から手招きをしている姿が目に入った。
木製シンク(仮)から手を放し、タオルで手を拭きながら外に向かう。
小走りで木製の床がキシキシと音を立てた。
やがて楠木が傍まで来たのを確認すると、老人はこう話をつづけた。
「クスノキ。連日の収穫作業お疲れ様。」
まず楠木が耳にしたのは、ねぎらいの言葉であった。
「ああ、いえ。居候ですから、これぐらいのことは当然ですよ。」
決して謙遜などではなく、本心からの返答であった。
しかし老人は「いやいや」と首を振りながら言葉をつづけた。
「での、明日じゃが…この作物を売りに村に行く。」
思わず楠木は目を見開いた。
『む ら に い く』
その言葉はつまり、ここからいける距離に、村があるということを意味していた。
「折角だ。一緒についてきてみないか?」
レーン老人以外の現代人がいる、村に行く。
それは、楠木にとって願ってもないことであった。
実のところ、レーン老人の家にある書物や参考資料は、実生活の知恵や農作業の知識に偏っていた。
実際に過去の歴史において何があったのか、そういった教養的な内容が不足していたのだ。
故に、いまだ楠木はこの世界の全貌を把握することが出来ずにいた。
村に行くということは、さらにこの世界についての知見を広める大きなチャンスである。
「行きます!」
迷うことなく、楠木は即答した。




