目覚め②
「……」
カナカナカナカナ…キリキリキリ…キシッキシッ
────聞き覚えのある音であった。
小学生の頃、楠木は田舎の祖父母の家に泊まりに行くのが好きだった。
自然に囲まれた祖父母の家は、夜になると月明かりに照らされていた。
心地よい自然の音に、小学生ながら楠木は感動したものだった。
縁側でうちわを仰ぎながら、月の明かりを頼りに一人静かに将棋をさす祖父が好きだった。
70手前とは思えないしゃんとした背中で、キッチンに立つ祖母が好きだった。
「……じいちゃん、ばあちゃん……」
静かな虫の鳴き声と、布で何かを磨くような音で、楠木は意識を取り戻した。
「**、***********。」
直後、誰かの声とともにぺしっと腹部が叩かれる。
腹部に痛みが走る。
皮肉にもその痛みが、微睡んだ楠木の意識を目覚めさせた。
「あっぎぃ痛った!?」
「*、*****?」
見開いた視界に飛び込んできたのは、白髪に立派な髭が生えた齢70前後のご老人であった。
楠木の横に椅子を置き、こちらの顔を覗き込むように見ている。
「……え俺生きてる?え?」
「**********、********」
「いやわかんない分かんない。」
楠木には、老人の言葉が理解出来なかった。
耳触りはかなり日本語に近いにも関わらず、意味が理解できないのだ。
一度落ち着いて周囲を見渡す。そして腹部を見る。
楠木は部屋でベッドに寝かされ、傷には手当が施されていた。
どうやら手当をされてここで寝かされていたようだ。
「******、********、**************。」
「わかんない……。」
老人も言葉が通じないとは分かってはいるのだろうが、諦めたかのように捲し立ててくる。
しかし一目見ればわかるが、この老人には敵意がなく、恐らく楠木を助けてくれたのもこの人なのだろうと予想がついた。
腹には包帯のようなものが巻かれ、さらに薬液が浸された湿布のようなものが張り付けられている。
今しがたの腹の痛みはこの湿布を貼った時のものだろう。
そしてご老人が座っている椅子の足元には、簡易的なバケツとタオルが置いてある。
つまり、このご老人は命の恩人なのだ。なんなら、楠木が目覚めるまで横で様子を見ていてくれたのだろう。
「ちょっとよくわかんないけど、本当に助かりました。あのままだと死んでました。本当にありがとうございます。」
楠木は、痛む腹に無理ない程度に深々と頭を下げた。
老人は短く返事をしてすっと立ち上がり、奥にある扉から別の部屋に消えていった。
恐らく「気にするな」や「無事でよかった」のようなニュアンスだったのだろう。
一人部屋に残った楠木は、壁から伝わってくるひんやりとした空気に気を取られた。
そこに手を伸ばし、ごつごつとした表面をゆっくりなでる。
ベッドのすぐ横に広がる壁は、所謂石積みや石造りと呼ばれるものであった。
改めて部屋を一周見渡すと、それは楠木がよく知る整った室内ではなかった。
荒く整えられた木々と、石積みで作られた壁。フローリングのない、木製の床。
そして、先程のご老人の話す言語。
楠木は悟る。
「ああ、ここは……」
ここは、楠木が知るかつての日本ではない。
* * * *
しばらくしてご老人は、シチューのようなものが入った椀と食器が乗ったお盆をもって再び現れた。
ベッドの横に座ったご老人から、椀のひとつが楠木に差し出される。
「*れ、**る*?」
「すみません、ありがとうございます。」
椀と食器を受け取り、軽く頭を下げる。
ツゥっと、椀のふちを指でなぞる。それは表面がきれいに磨かれた木製の食器であった。
木を通して掌にじんわりと伝わるシチューの温かさに、楠木は思わずうっとりとしてしまう。
それを見た老人は、満足そうに微笑んだ。
そして、食器を別のテーブルにのせ
「いただきます」
────両手を合わせ、聞き覚えのある言葉を発した。
「え」
楠木は思わず固まった。そして自分の耳を疑った。
ご老人は、両手を合わせはっきりと「いただきます」と声にしたのだ。
硬直した楠木に気がついたご老人は、不思議そうに眉をひそめる。
「ど**し*?**に**ん***か?」
「あ、いえあのえっと…。」
取り繕うように楠木は椀の中の料理を口に運んだ。
味はシチューに近い野菜スープのような物だった。
多くはないがちらほら肉も入っている。
暖かい料理であった。口の中に広がる温かさが心地よい。
楠木はゆっくりとかみしめるように、一口ずつその料理を口に運んだ。
「…あっ……」
────気がつくと、楠木の頬には涙が一筋流れていた。
「あっこれっは、その。」
慌てて目元を隠して涙を拭う楠木に、老人から小さなタオルが差し出される。
少し慌ててしまったが、観念したように大人しくタオルを受け取り、目元を抑えた。
皮肉にも、差し出された料理の温かさを通して、楠木は今改めて自分の置かれている状況を直視してしまったのだ。
誰もいない施設と森、なぜか治っている末期がん。
見知らぬ動物、慣れ親しみのない古い作りの家。
理解できない言語、木製の食器。
「俺は…。」
おそらく、眠りについたあの瞬間から、果てしない時間が過ぎているのだ。
それも、ただ時間が過ぎただだけではない。
残酷なまでの時間の流れが、人類という文明をまるっきり様変わりさせてしまったのだ。
楠木は、この時代にたった一人の【古代人】であった。
そもそも、ある日突然発覚した末期癌、そして余命宣告と緩和ケアの紹介。
ただの平凡な学生であった楠木 葵の精神は、眠りにつく前から既に限界を迎えていた。
施設で目覚めた時から、発狂せず今まで正常に活動できたこと自体が異常だったのだ。
むしろ、死にたくないという本能だけが、逆に楠木の精神を麻痺させていた。
張り詰めていた精神が今、差し出された料理の暖かさで、一気に解けてしまったのだ。
「あっ…うっ…うぐっ……」
にじむ程度だった涙が勢いを増し、頬を流れ落ちる。
頬を伝う生暖かさが、また楠木を現実に引き戻す。
楠木は、息を押し殺すように泣き続けた。
やがて楠木は、食事を終えた後疲れ果て眠りについた。
崩壊寸前の楠木の心を支えたのは、特に何かを言うでもなく、静かに楠木に寄り添ったご老人であった。
月猫です。
この作品は全体のストーリや流れがざっくりと決まっているので、あとは読める形に出力していくだけ……という都合上、体力があればどんどん次を投稿してしまっています。
確か「新着作品」の項目がおかしくなってしまうから、あまり良くないやり方だと何かで聞きました。
あと数話ほど乱闘してしまうと思います。申し訳ない……。
何はともあれ、頑張って更新していきます。
もし良ければブクマや、感想も気軽に下さい。
泣いて喜びます。




