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目覚め①

 暖かい木漏れ日、心地よい小鳥のさえずり、頬を撫でるそよ風。


「なんだ…これ。」


 そんな豊かさ溢れる情景とは裏腹に、少年──楠木葵は、目前に広がる大自然に絶望を覚えていた。

 その場にゆっくりと座り込む…というよりは、あまりの出来事に足に力が入らなくなってしまったのだ。

 ジャリッと、落ち葉に覆われた柔らかな地面が膝に食い込む。

 その痛みが、今この瞬間が夢ではなく現実であることを楠木少年に突き付けていた。


 足元のハッチに目を向ける。

 たった今、楠木はこのハッチから出てきたのだ。


 楠木は若干16歳にして、脳に悪性の腫瘍を抱えた…末期がん患者であった。

 ある日突然学校で倒れ、救急搬送先で発覚し、即座に緩和ケアに入るしかなかった。

 しかし、主治医であったDr.大山の提案で、当時まだ試作段階であった所謂【コールドスリープ】に入る事になった。

 いつ目覚めることになるか分からない。そもそもこのスリープが正常に作動するかどうかも実質ぶっつけ本番。

 それは今を捨てて未来にすべてを託した賭けであり、苦し紛れの先送りであった。


 ────果たして、楠木は目覚めた。

 しかしまず目にしたのは、自分が入っていた薄汚れたスリープ装置、そして荒れ果てた見知らぬ医療施設であった。

 周囲に人はおらず、それどころかここが何処で今がいつなのかすらわからない。

 崩れかけの壁や埃をかぶった冷たい床を裸足で踏みしめて、無機質な道を彷徨い続けた。


 そしてついに楠木は、上に続く梯子からこの森の真っただ中に放り出されたのであった。


 冷たい風が木々をすり抜け、楠木の首元を撫でる。

 それに後押しされるように、楠木は背筋が凍るような不安に包まれた。


 自分はいまどこにいるのか?

 あれからどれだけの時間がたったのか?

 なぜ誰一人として周囲にいないのか?

 様々な疑問が濁流のように楠木の頭を突き抜けていく。


 しかしそれらは、ひとつの絶望的な予想で説明が出来てしまう。

 地面についた膝から、全身が真っ暗な穴に落ちていくような感覚に陥る。


「…俺は、何年寝てたんだ…?」


 小さく発せられたその言葉は、依然として吹き続ける風にかき消されてしまった。



 * * * *



「っはぁっはぁっはぁ…」


 短く単調な息切れの音が、喉から漏れる。小石が足裏に刺さり、小枝が横っ腹をかすめる。

 腹と足に巻き付けた服が無ければ当の昔に、無数の刺し傷切り傷に覆われていたことだろう。


 今、楠木はひたすらに森の中を突き進んでいた。

 それは、直面した状況からの一種の現実逃避であり、そして死にたくないという一心であった。

 何処かもわからない森の中で、状況も時間もわからずひとりぼっち。

 このままでは野垂れ死ぬと、本能で理解したのだ。

 ゆえに、自分が末期がん患者であることも忘れて、楠木はひたすらに走り続けていた。


 そもそも、体に巣食う病による症状が、不思議ときれいさっぱり消えていたのだ。


 しかし今の楠木には、それを喜ぶ心の余裕すらなかった。


 ────が、楠木はもとよりインドア派、体には疲労がたまり息は切れる。

 幾度となく限界を迎え、立ち止まり、しばらくしてまた走り出す。

 それの繰り返しであった。


 そして今、また同様に走るペースが落ち、やがて歩きに移行し、遂にその場で立ち止まる。

 倒れ込むように、近くの木に体を預けた。幹に生えた苔が服にこびりつくが、それを気にする余裕もない。


 ガサッ────


「──っ!」


 背後の草むらが小さく揺れる。

 酸素を取り込もうと激しく動いているはずの肺が、一瞬止まったように錯覚した。


 ガサガサ…ガサ…


 依然として草むらは揺れる。何かがいる、姿は見えない。

 おそらく野生の小動物だろうと楠木は予想した。しかしだからと言って安全というわけではない。

 今の楠木は、施設内で拾った患者衣のような薄い服を数枚着ているだけである。

 仮にこの音の主が、イノシシのような牙を持つ生物であった場合、今の楠木は確実に勝てない。


 未だ収まらない息切れを押し殺そうと、片手で口をふさぐ。指と指の隙間から、自分のものと思いたくないほど情けない音が漏れ出る。


 次の瞬間、黒い何かが楠木をめがけて飛び出した。


「ヴっ!!」


 ドスッという鈍い音とともに、腹部に鈍い痛みが走る。

 授業で参加したバスケで、パスされたボールを取りそびれてみぞおちに直撃したあの時よりはるかに強い衝撃。

 あまりの鈍痛に楠木は膝を着いた。


「────カッ、カヒュッ」


 まるで酸欠のように、視界に光がチラつく。

 息が上手く吸えない、横隔膜が動かない感覚。

 姿はよく見えなかったが、黒く小さな生き物が草むらの中から飛び出してきて、腹部を掠めたのだ。

 楠木は直撃の瞬間、反射的に身を捩ってその黒い影を避けていた。

 結果、僅かに左の横っ腹を掠めただけで済んだ。にもかかわらずこの衝撃。

 仮にもう一度先程の黒い影が飛び出してきたら、次は避けられない。


「しっ────死っ」


 楠木の脳内に「死」の一文字がよぎる。

 次は死ぬ、次が来たら死ぬ。

 痛む身体と空気を吸えていない肺にムチを打ち、楠木は身を捩るようにしてその場から逃げようと試みた。

 しかし、腹部を抑えていた手のひらに、ぬるっとした生暖かい感触が広がる。


「えあっ……?」


 痛む腹から手を放し、ゆっくりと自分の手を見る。

 鮮やかな赤色に染まっていた。


 全身から力が抜け、楠木は地面に倒れ込んだ。

 次の攻撃など必要ない、すでに死が楠木の命に手をかけていた。


 ガサガサッと、草むらから物音。

 恐らく先程のものと同じ生物が全貌を表した。

 それは、この緑と茶色の森に馴染まぬ、黒い毛並みをした兎のような生物であった。

 ただの兎と違うのは、後頭部からヤギのような鋭い角が生えている。


「そん、そん…な……」


 傷口を目で見なくともわかる、全身から血の気が引いていく感覚。

 先程までチカチカと輝いていた視界が、今度はゆっくりとブラックアウトしていく。

 そんな楠木を、その生物はなんの感情もない黒い瞳で見下ろしている。


 楠木の意識は、ここで途切れた。

 

どうも。月猫です。第2話です。

でも前回の投稿はプロローグなので、判定的には第1話になるんでしょうか。


まあいいや。


あまり間を開けずポンポン投稿するのは良くないというのは把握しているのですが、まずは「こういう作品なんだ」と掴んでいただけるような所までスピーディに話を進めて行けたらと思います。


もし気が向けば、ブックマークや感想いただけると大変励みになります。

ではでは(_ _)

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