プロローグ
果たして魔王テアは、すでに姿の見えない男の残した、この何とも形容しがたい気配をかみしめることしかできなかった。
男に打ちのめされ廊下に転がる部下たち、そして部屋で待ち構える魔王とその側近である秘書。
「……なあ、また帰ってしもうたぞ」
ついに痺れを切らし、魔王 ヒビキ・テアは、傍に姿勢よく立つ魔族────秘書に話を振った。
しかし、その行為自体に大した意味が無いことは、テアも分かっていた。
「帰ってしまいましたねぇ。今回もまた、道中ひたすらに警備兵が蹂躙されただけでしたね。」
秘書は軽く溜息をつきながら、既にいない男の通り道に目を向けた。
白目を向いて地面に突っ伏す屈強な魔族たちが十数名、まさに死屍累々、圧巻の光景である。
その一人一人が、ここ魔王城の護衛を請け負う、紛うことなき【強者】であるはずなのだ。
「情けない限りです。」
目も当てられないといった様子で、秘書はこめかみに手を当てる。
「我らが魔族の総本山である魔王城が、毎度毎度たった一人の男に侵入され、あまつさえ敗北しているとは。」
「おい敗北などと言うでない。われは負けておらんぞ。」
「魔王様はそもそも戦っていないでしょう。」
ここは魔族の王────魔王の住む城、魔王城。
人族が恐れる、まさに恐怖の象徴、難攻不落の地。
その魔王城が、たった一人の人族の男に攻略されてしまった。それも1度や2度ではない。
男はこれまで何度も何処と無く魔王城に現れ、道中の警備兵を打ち倒し、魔王が待ち構える玉座の間まで到達していた。
それはまさに予兆なき台風、避けがたい災害である。
しかし一方で、男は今まで一度も、魔王が待つ玉座の間には立ち入っていない。
部屋の外から魔王テアを一瞥すると、その眼に憂いのようなものを少し浮かべ、そのまま立ち去ってしまうのだ。
「やはり次からは、私も部屋から出て戦った方が良いのではないでしょうか?」
カツッと、硬質な床を靴底が叩く。
魔王直属の側近にして秘書 ジェーン・エイベルは、姿勢を正して魔王テアを一瞥した。
「こうも毎度毎度してやられているようでは、我々魔王軍のメンツは丸つぶれですよ。」
「バカを言うでない。丸焦げになった玉座なぞ、われは嫌じゃぞ。」
「それはそうですが…」と、秘書エイベルは目頭を押さえながら俯いた。
魔王軍は、このどこからとも無く侵入してくる男に手を焼いていた。
そもそも魔王城の構造は、外部からの攻撃に対する防衛戦なら兎も角、城内に侵入した一個人に対する総力戦は想定されていない。
ゆえに、この侵入者に対して現状、魔王城では対応し切れていないのだ。
突然風のように現れては警備兵が犠牲になり、また消える。
侵入者が玉座の間の前にたどり着くまで、その繰り返しである。
「やはりあれか?われはあヤツに、魔王城なぞいつでも入れると挑発されておるのか?」
「一理あるでしょうね。事実、一度も侵入を事前に察知できておりませんので…」
「これはもう、われが直接相手をしてやった方がよいのか?このままじゃと、無駄に被害が出続けるだけじゃ。」
「では、魔王様が直々に城内を巡回なされますか?この通路のカーペットとカーテンを犠牲にして、一戦交えるという手も御座いますが……。」
「うーむ………」
魔王テアは、頭の中でかの男と戦うイメージをするが、何度考えてもこの豪華絢爛な魔王城の内装が犠牲になる未来しか見えず、直接戦うという選択肢を振り払った。
そこまで丁寧な戦いをする自信はない。
「正直、極端に頻度が高いと言う訳でもなし。普段は適当にあしらって於いて、まずは侵入経路を見つけ出すことが先決じゃのぉ。エイベル、今一度城壁付近の巡回強化と、魔力探知の精度を上げるのじゃ。ああそれと、普段通り負傷者の後始末もよろしく頼む。」
「かしこまりました。」
スっと頭を下げ、エイベルは玉座の間を後にした。
それから間もなく、未だ気絶したままの兵達が療養質へと運ばれて行った。
「……はぁ」
せっせこと後始末をする部下たちを見届け、魔王テアは玉座を後にした。
* * * *
「……来たか」
目を覚ました魔王テアは、月明かりが差し込む寝室の窓に目をやった。
地上から50メルは離れているであろう窓のカーテンの向こうには、人影がひとつ。
昼間に現れた男であった。
「今日も随分と暴れておったの。また強くなったのでは無いか?」
身体を起こし、カーテン越しにテアは声を掛けた。
返答はない、かと言って動く素振りもない。
テアにとって、これがいつもの事であった。
「昼間お主が最後に戦った、ほれ、大槍を使う男がおったじゃろ。あ奴はジーベックといってな。一応城内でも有数の精鋭じゃが、お主に負けた後、療養室でブチ切れておったぞ。『次はその面に風穴を開けてくれる!』とな。それはもうすごい剣幕で────」
いつ頃からであったか、昼間に魔王城へ侵入した日の夜、決まって男は魔王の寝室の窓際に現れるのだ。
そこに一切に敵意はない。
それどころか、昼間の侵入騒ぎの時でさえ、テアは男からの敵意を感じたことがなかった。
しかしカーテン一枚を挟んだこの瞬間において、テアが少しでも近づこうとする素振りを見せると、男は途端に姿を消してしまうのであった。
故にテアは、こうして現れる男に対して特に踏み込もうともせず、呑気に雑談をすることにしていた。
「………のう、結局お主は何をしに来ておるのじゃ?なぜそうも執拗にここへ来る。」
「………」
「わかっておるじゃろう。いくらお主とて、仮に運悪く城内で精鋭に囲まれてしまえば、生きて帰ることはできぬぞ。ましてやひとりでわれに勝てるはずもない。」
「………」
「何が目的じゃ?いつまで続けるつもりなのじゃ?」
「………」
テアはこの男の訪問を、今まで一度も他の者に伝えたことはない。
それは、言ってしまえば純粋な好奇心であった。
テアはこの奇妙な男に興味が湧いていた。
しかし、未だ嘗て一度も、その行動の目的を聞き出せたことはない。
テアが何を言っても、男は無言でカーテン越しに話が終わるのを待つのだ。
「………まあ勝手にするが良い。われはもう寝る。」
諦めて横になり、テアはそっぽを向いた。
それと同時に、男もいつの間にか姿を消していたのであった……。
どうも月猫です。
「勇者がボス部屋に入らない!」スタートです。
のんびり投稿していくので、のんびり読んでいただければと思います。
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