我が剣の進む道
龍涙谷の中央。
趙子龍は激しい消耗戦を演じながらも、その神経の全てを耳元に当てた竹製の伝声管に集中させていた。
周囲の喧騒が嘘のようにその管の中だけは静寂が保たれている。
そしてついにその静寂を破り、彼が待ち続けた声が響いた。
『――聞こえますか、子龍。…今です』
それは遠い本陣にいるはずの彼の主君の声だった。
『敵の本陣をその槍で貫きなさい』
その声を聞いた瞬間、子龍の全身に雷が落ちたかのような衝撃と歓喜が突き抜ける。
(…やはり! やはりこの消耗戦は全てこの一瞬のための『布石』だったのだ!)
彼は玲蘭の壮大な計略のその全貌を完全に理解した。
子龍は剣を天に掲げ、彼の部隊だけが理解できる特殊な角笛の合図を送る。
その瞬間、これまで敵と激しく打ち合っていた彼の中央部隊がまるで一つの生き物のように一斉に動きを変えた。
彼らは目の前の敵を無視し、まるで川の流れが向きを変えるかのように滑らかに反転。そしてがら空きになったテムジンの本陣へと一直線に矢のように突き進み始めた。
***
帝国軍本陣。
驚き戸惑う老将軍たちに玲蘭が冷静にこの戦術の真髄を解説する。
「あれがわたくしの本当の狙い。『鉄床戦術』です」
「今、我が軍の左翼部隊が敵主力を引きつける頑強な『金床』となっている。そして子龍殿の部隊が敵の頭脳であるテムジン殿を直接叩く、振り下ろされる『鉄槌』となるのです!」
前世のアレクサンドロス大王が得意としたこの戦術は、この世界の軍事常識を遥かに超えるものだった。
***
帝国軍左翼をまさに突破せんとしていたテムジンは、自軍の本陣から上がる異常な砂塵と混乱の叫び声に異変を察知する。
彼が慌てて振り返った先に見た光景。それはこれまで中央で戦っていたはずの趙子龍の騎馬部隊が信じがたい速度で自分の本陣に突撃している姿だった。
(…やられた!!)
(包囲殲滅は全て見せかけの『陽動』! あの狐の本当の狙いは最初から、俺のこの首ただ一つだったのか!)
テムジンは即座に左翼に投入した主力を反転させようとする。
しかし帝国軍の左翼部隊がまさにこの時のために決死の覚悟で彼の足に食らいつき、それを許さない。「行かせるかァァッ!」。
ついに趙子龍の部隊がテムジンの本陣に到達する。
わずかな親衛隊は子龍の部隊の怒涛の勢いの前に次々となぎ倒されていった。
本陣の奥。燃え盛る軍旗の下でついに二人の英雄が対峙する。
片や国の未来を背負い主君の剣として道を切り開く若き獅子・趙子龍。
片や全てを読み切られた屈辱と、それでもなお己の覇道を信じる孤高の狼・テムジン。
テムジンは槍を構え不敵な笑みを浮かべて吼えた。
「見事だ帝国の小僧! この俺をここまで追い詰めたのは貴様が初めてだ! 名を名乗れ!」
子龍もまた槍を構え直し、静かに、しかしその瞳に燃えるような闘志を宿して応える。
「黄龍帝国将軍、趙子龍! 我が主、皇女軍師・玲蘭様がため、その首もらい受ける!」
二人の英雄が馬を駆けさせ、その槍が甲高い金属音と共に激しく交錯する。
帝国のそして大陸の歴史の行方を決める、たった二人の男による伝説となる「一騎討ち」の火蓋が今、切られた。




