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前世歴女な後宮の姫は、こっそり軍師になる~誰からも忘れられた病弱皇女の密かなる献策が、傾国の危機を救うまで~  作者: ヲワ・おわり
第13章:龍涙谷の死闘

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開戦の狼煙(のろし)

 夜明け。

 龍涙谷りゅうるいこく

 その名の通りまるで巨大な龍が流した涙の跡のような長く深い谷。

 その谷を挟んで二つの大軍勢が対峙している。

 西側には丘陵地帯に整然と隊列を組む黄龍帝国軍八万。朝日を浴びて輝く統一された鉄の鎧と林立する無数の赤い龍の旗。

 東側には平原に自由奔放な陣形で広がる蒼狼国軍十万。色とりどりの革鎧と風にはためく狼の紋章の旗。

 地を埋め尽くす兵士の数、風の音、遠くで嘶く馬の声、金属が擦れる音。

 これから始まる戦いの壮大なスケール感を、戦場の全てが物語っていた。


 蒼狼国軍の本陣。

 大単于テムジンは愛馬の上から遠眼鏡で敵陣を眺めている。

 彼の目に帝国軍本陣の丘の上に立つひときわ小さな人影が映った。白銀の甲冑を纏った少女の姿。


(…あれが皇女軍師か。噂には聞いていたがまさかこれほどの小娘とはな)


 彼は一瞬侮りの念を抱きかける。しかしすぐにその瞳の奥に宿る自分とどこか似た、全てを見通すような冷徹な光に気づいた。


(…いや違う。あれはただの小娘の目ではない。この盤面の全てを支配しようとする者の目だ。…面白い。不足のない最高の獲物だ!)


 帝国軍本陣。

 玲蘭もまた遠眼鏡で敵陣の中心に立つ、黒い毛皮の外套を羽織った一際大きな男の姿を捉えていた。


(…あの人がテムジン。草原の覇王。私が前世の知識の全てを懸けて挑むべき最強の相手…)


 彼女は恐怖ではなく武者震いに似た静かな高揚感を感じていた。

 数里の距離を隔てて二人の天才の視線が初めて確かに交錯する。


 両軍にらみ合いのまま動かない。

 戦場の空気は張り詰めた弦のように極限まで緊張している。

 誰もが開戦を告げる角笛か太鼓の音を待っていた。

 しかし玲蘭が下した合図はそのどちらでもなかった。

 彼女は静かに右手の軍配を振り下ろす。


 その瞬間、帝国軍の後方に隠されていた数十個の巨大な壺――玲蘭が「震天雷しんてんらい」と名付けた大量の火薬を詰め込んだ陶器の爆弾――が、投石機によって両軍の中間地点の空高くへと一斉に放たれた。

 この世界の火薬はまだ武器としてではなく祝祭の花火や信号弾として使われるのが主流。これほど大量の火薬を音響兵器として使うという発想は誰にもなかった。


 震天雷は空中で炸裂。

 龍涙谷全体を揺るがす凄まじい轟音と、昼間でも目を眩ませるほどの閃光が戦場を支配した。

 この未知の「天の雷鳴」に蒼狼国軍はパニックに陥る。特に音に敏感な軍馬たちが恐怖で暴れ出し統制を失った。

 騎馬の連携こそが強さの源泉である彼らにとってこれは致命的な打撃だった。


 テムジンは馬を必死に抑えながらこの現象が敵軍師による計算され尽くした「心理攻撃」であることに瞬時に気づく。

(…小娘め! 剣を交える前に我が軍の牙をこうも容易く折ってくれるか!)

 彼は驚愕とそして自らのプライドを傷つけられたことへの激しい怒りに身を震わせた。


 敵陣の混乱を丘の上から冷静に見下ろしながら玲蘭は隣に立つ趙子龍に静かに告げる。

「――狼煙のろしは上がりました」

「子龍。…行けますね?」


 子龍は力強く頷くと鞘から剣を抜き放ち、天に掲げて絶叫した。

「全軍、突撃ィィィッ!! 帝国の夜明けは我らの手で掴み取るのだ!!」


 その号令と共に帝国軍八万が地鳴りのような雄叫びを上げ、混乱する蒼狼国軍へと一斉に雪崩れ込んでいく。

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