牢獄の再会
玲蘭は朝議の場を王皓月に任せ、自ら天牢へと向かった。
彼女が皇帝の代理であることを示す「虎符」を掲げると、これまで固く閉ざされていた牢獄の門が重々しい音を立てて開かれる。
冷たく湿った空気。黴と絶望の匂い。
松明の光が届かない闇の奥から罪人たちのうめき声が聞こえてくる。
玲蘭はその光景に眉をひそめるが、一歩も引かずに牢獄の最深部へと進んでいった。
最深部。最も厳重な鉄格子の向こうに一人の男が鎖に繋がれて座っていた。
髪は伸び放題で着物は汚れその顔はやつれ果てている。
しかしその瞳だけは暗闇の中でもなお決して屈しない、獅子のような鋭い光を放っていた。
趙子龍だった。
「…何の用だ。ここは貴女のような方が物見遊山に来る場所ではない。失せろ」
彼は牢の前に現れた玲蘭を、皇太子が送り込んできた刺客か何かだろうと警戒心を露わにした。
玲蘭は彼の敵意に満ちた視線をまっすぐに受け止める。
そして懐から一枚の古い押し花を取り出した。それはかつて彼が手紙に添えて彼女に送ってくれた、あの北の白い花だった。
「…この花を覚えていますか、趙子龍殿」
その押し花を見た瞬間、子龍の時間が完全に停止した。
その花は彼がただ一人尊敬する軍師「先生」にだけ送ったものだったからだ。
(まさか…? いやしかしなぜ…? 先生は白髪の老賢者では…?)
子龍が混乱の極みで言葉を失っていると、玲蘭は静かに、しかしはっきりと真実を告げる。
「――私が貴方に手紙を送っていた『軍師』です」
「迎えに来ました子龍。私のただ一人の、最高の『剣』」
「先生」の正体が目の前の儚げでそしてあまりにも若い、自分が守るべき皇女様だったという信じがたい事実。
そしてその彼女が自分を救うためにたった一人で、あの腐敗した宮廷と戦い、この光の届かない牢獄の底まで自ら迎えに来てくれたという、あまりにも大きな「想い」。
その全てを理解した瞬間、趙子龍という鉄の意志を持った男の目から、堰を切ったように大粒の涙がこぼれ落ちた。
彼は枷に繋がれたままその場に崩れ落ちるように深く、深く頭を垂れる。
嗚咽が喉から絞り出された。
「…申し訳…ありませぬ…!」
「俺は…貴女様ほどの尊い御方が、俺のような名もなき一兵卒のためにこれほどの、これほどの危険を冒してくださっていたことに気づきもせず…!」
「この趙子龍、万死に値します…!」
玲蘭は衛兵に命じて牢の扉を開けさせると、彼の前に静かにしゃがみこむ。
そして彼の泥と血に汚れた枷にそっと自らの手を触れた。
「顔を上げなさい、我が将軍」
「貴方は決して名もなき兵卒などではない。貴方は私の誇り。そしてこの帝国の唯一の希望です」
「さあ立ちなさい。ここから私たちの戦いが本当に始まるのですから」
子龍は涙で濡れた顔を上げ目の前の小さな、しかし誰よりも大きな主君の姿を改めて見つめる。
そして彼は己の生涯の全てをこの人に捧げることを魂に誓った。
「――御意。我が君主よ。この趙子龍の命、この剣、この魂の全てを貴女に捧げます」
牢獄の暗闇の中で軍師と剣は初めて直接顔を合わせ、そして血よりも濃い魂の誓いを交わした。




