負傷兵は語る
玲蘭は侍女の小桃に「凶報を聞いて気分が悪くなったので、気付けの薬をいただきに参ります」と、もっともらしい嘘をつき一人で薬草院へと向かった。
彼女が歩く回廊はいつもの華やかさは消え失せ、あちこちで妃や侍女たちが泣き崩れたりヒステリックに叫んだりしている。
誰も後宮の片隅の皇女である玲蘭のことなど気にも留めない。この混乱が逆に彼女の自由な行動を可能にしていた。
袖の下で、自分の手を強く握りしめる。
(怖い…でも、行かなくては)
書物の中でしか戦争を知らない少女が、これから本物の「戦場の匂い」に触れようとしているのだ。
玲蘭がたどり着いた薬草院は、まさに野戦病院と化していた。
戦場から怪我人の一部がここに運ばれて来たのだろう。
床には血の跡が残り、薬草と膿、そして死の匂いが混じり合って鼻を突く。屈強なはずの兵士たちが腕を失い脚を折られ、呻き声を上げていた。
これまでの静かで美しい後宮の光景と、この地獄のような光景とのギャップ。
玲蘭は思わず嘔吐きそうになる。しかし唇を噛みしめ、その場に踏みとどまった。ここで逃げ出しては何も分からない。
彼女は薬師に「心を落ち着かせるための薬草を自分で選びたいのです」と申し出た。そして薬草棚を調べるふりをしながら、治療を待つ比較的軽傷の兵士たちの会話に、全ての神経を集中させて耳をそばだてる。
玲蘭の耳に兵士たちの恨み節や嘆きの声が飛び込んでくる。
「畜生! なぜ将軍は城から打って出るなんて無謀な命令を…! 籠城していれば今頃…!」
若い兵士が悔しそうに壁を殴りつける。
「馬鹿野郎! お前は何も分かってねえ! 将軍だってそうしたくてしたわけじゃねえんだよ!」
それを、年かさの兵士が怒鳴り返した。
「…水が…飲みてえ…。もう三日もまともな水も飯も口にしてねえんだ…」
隅の方では、輜重兵らしき男が虚ろな目で呟いている。
断片的な情報。だが玲蘭の頭の中では、それらが高速で整理・分析されていく。
(籠城せず、野戦を挑んだ…それは確定ね)
(でも将軍は本意ではなかった…? 何かそうせざるを得ない理由があったと?)
(そして…兵糧と水が尽きていた…!)
兵士たちの会話の断片が玲蘭の頭の中で一つの線として繋がる。
そして黒鷲関陥落の、信じがたい「真相」が姿を現した。
(そうか…そういうことだったのね…)
玲蘭は、あまりの衝撃と自国の腐敗への怒りに奥歯をギリリと噛みしめた。
(黒鷲関の兵糧は帳簿の上では満たされていた。でもそれは嘘。首都から黒鷲関までの輸送路で輸送を監督する文官たちが兵糧を横流しし、私腹を肥やしていたのだわ!)
(李巌将軍は籠城したくてもできなかった。城の中にはもう数日分の食料しか残っていなかった。だから全滅を覚悟の上で一か八かの野戦に打って出るしか道はなかった…!)
テムジンが強いから負けたのではない。ましてや李巌将軍が無能だったからでもない。
この国は…内側から腐って自壊したんだ!
本当の敵は蒼狼国ではない。この国に巣食う、私利私欲にまみれた寄生虫どもだ!
玲蘭は薬草院を後にする。
彼女の顔からは恐怖も憐れみも全て消え失せていた。
そこにあるのは、敵を前にした冷徹な「軍師」の顔だった。




