未来の戦場図
趙子龍の手紙によって皇帝の心には息子・李誠への微かな疑念が芽生えていた。
しかし長年の情と帝国の常識がまだ彼を縛り付けていた。
「…百歩譲って趙子龍の忠誠は信じよう。だがそなたが軍師だと? 十六の娘が戦の何を知るというのだ。これはやはり誰かにそそのかされたそなたの戯言ではないのか?」
「――では父上。わたくしの『戯言』がこの国の未来をどれほど正確に描き出しているか、その目でお確かめくださいませ」
玲蘭は待っていたかのように静かに懐からもう一つの巨大な巻物を取り出す。
彼女はそれを皇帝の寝台の前の床に広げた。
それは帝国北部の恐ろしく精密な立体地図だった。
山は高く谷は深く川の流れまでが書き込まれている。玲蘭が静思堂の膨大な資料と前世の地理学の知識を総動員して作り上げた、まさに「神の視点」から見た戦場図だ。
皇帝はこれまで見たこともないその異次元の地図にまず息を呑んだ。
「これよりわたくしの『戦争』のルールをご説明いたします」
玲蘭は地図を指し示しながら、よどみなく未来の戦いの流れを「予言」し始めた。
「まず趙子龍という『牙』を失った今、敵将テムジン殿は必ずやこれを帝国を滅ぼす最大の好機と見て全軍を南下させましょう」
「そして彼が最終決戦の地に選ぶのはただ一つ。首都・黄都への最後の関門であるこの『龍涙谷』にございます。時期は次の満月の夜。夜襲を得意とする彼らが最も動きやすい月明かりを狙ってきます」
「そして兄宮・李誠様と呉将軍が指揮を執れば、彼らは必ずこの谷の入り口で何の工夫もなく正面から敵を迎え撃つでしょう。結果は言うまでもありません。我が軍は敵の騎馬軍団の機動力の前に蹂躙され半日で壊滅。首都は三日と持たずに陥落いたします」
彼女は兄の無能さとその必然的な結末を一切の情を挟まずに淡々と語る。
そして地図のある一点を指先で強く指し示した。
「――ですがもしわたくしに指揮をお任せいただけるのなら、この龍涙谷をテムジン殿の『墓場』へと変えてご覧にいれます」
彼女はそこで初めてこの世界の誰もが思いつかない驚天動地の作戦を皇帝に開示した。
「我々は谷の入り口では戦いません。敵を谷の奥深くまで誘い込み、あらかじめこの上流に密かに築いておいた『堰』を切り、谷ごと敵軍を水底に沈めるのです」
「堰…だと…? 川の流れを兵器として使うと申すか…!」
皇帝はそのあまりにも常識外れでしかし聞けば聞くほど合理的な、悪魔的とも言える発想に背筋が凍るのを感じる。
目の前の娘がもはや自分の理解の及ばない恐ろしい「怪物」に見えていた。
玲蘭は静かに顔を上げ父を見据える。
「父上。わたくしのこの『未来図』が正しいかどうか。それは歴史だけが証明いたします」
「もしわたくしの言葉通りテムジン殿が龍涙谷に軍を集め始めたという報せが届けば…その時こそわたくしの言葉を、そしてこの国の未来を信じていただけますでしょうか」
彼女は自分の持つ「未来予知」にも等しい能力を自らの真偽を証明するための、そして父から全てを勝ち取るための壮大な「賭け」に使ったのだ。




