不協和音
静思堂。
玲蘭は数日をかけて練り上げた、対蒼狼国の一大反攻作戦の計画書を完成させた。
それは彼女の知識と趙子龍からの情報を結集した現時点で考えうる最高の作戦だった。
作戦名は「鉄槌と鉄床作戦」。
まず趙子龍の部隊が「おとり」として敵主力を銀狼平原へと誘い込む。
敵主力が完全に平原に入りきった瞬間、左右の丘陵地帯に潜ませておいた帝国軍の二つの主力部隊が同時に側面から攻撃を仕掛け、敵を包囲殲滅する。
この作戦の成功は三つの部隊が完璧な「タイミング」で連携できるかに懸かっている。一つでも遅れたり早すぎたりすれば計画は崩壊する。
この完璧な作戦計画は王皓月を通じて皇帝臨席の朝議に提出された。
その合理性と大胆さにこれまで懐疑的だった将軍たちも「これならば勝てるかもしれん…!」と色めき立つ。
しかしその空気を第一皇子・李誠の甲高い声が切り裂いた。
「お待ちください父上! これほど重要な作戦の三つの主力の内二つまでもを、あの成り上がりの趙子龍派の将軍に任せるなど公平ではありますまい!」
「包囲部隊の一つは我が推挙する呉将軍に任せるべきです! 彼こそ我が帝国でも屈指の名門の出。必ずや期待に応えましょう!」
黄龍帝国では軍の人事は実力だけでなく貴族の派閥間のパワーバランスによって大きく左右される。
李誠のこの要求は一見理不尽だが、この国の政治力学の中では「当然の権利」としてまかり通っていた。
皇帝もこの作戦の重要性を理解しているが皇太子の顔を完全に潰すわけにもいかない。
彼は苦渋の表情で李誠の要求を呑んでしまった。
「…うむ。右翼部隊は呉将軍に任せる」
王皓月から作戦部隊の司令官の一人が呉将軍に差し替えられたことを知らされた玲蘭の顔から、血の気が引く。
(…終わったかもしれない)
彼女は静思堂の書物から呉将軍の人物像を正確に把握していた。
家柄は帝国内でも屈指の名門武家の長男。プライドが天よりも高い。
実績はこれまで安全な後方での任務しか経験がなく大規模な野戦の指揮経験は皆無。
性格は功名心が異常に強く、自分より身分の低い者、特に平民上がりの趙子龍を公然と見下している。
(そんな男が…完璧な連携が絶対条件のこの作戦で趙子龍殿の指示に素直に従うはずがない…!)
玲蘭はすぐに王皓月に「作戦の中止を皇帝陛下に進言してください!」と訴える。
しかし王皓月は静かに首を振った。
「もはや勅命が下された後。今から覆すことは不可能です。姫様、我々にはもう万に一つの幸運を祈ることしか…」
玲蘭はせめてもの抵抗として趙子龍に送る指令書の中に強い警告を書き添えた。
「――呉将軍の動きに最大限の警戒を。彼は貴官の功績を妬み命令に従わぬ可能性がある。決して突出せず常に連携を密にせよ。もし彼の動きに異変を感じた場合は、作戦の成功よりも部隊の生存を最優先とせよ」
しかしその手紙が子龍の元に届く頃には、運命の歯車はすでに悪い方向へと回り始めていた。
(神様…もし本当にいるのならどうか…)
(あの実直な武人が愚かな権力者の嫉妬の犠牲になりませんように…)
彼女は軍師としてではなく、ただ一人の少女として祈ることしかできなかった。




