皇太子の嫉妬
皇太子の住まいである壮麗な東宮。
第一皇子・李誠、二十二歳。
彼は上質な絹の寝台の上で不機嫌に寝返りを打つ。
彼の耳にはここ数日、都で囁かれている噂が嫌でも入ってくる。
「北の趙子龍とかいう若造、また敵の斥候部隊を打ち破ったらしいぞ」
「これも全て影で糸を引くあの天才軍師様のおかげだ」
「それに比べて皇太子様は…」
彼が怒っているのは国の危機に対してではない。
民衆の賞賛と期待が次期皇帝であるはずの自分ではなく、どこの馬の骨とも知れぬ成り上がりの将軍と正体不明の軍師に向けられている。
その事実が彼のプライドをズタズタに引き裂いていた。
「なぜだ…! なぜ皆俺を認めない!」
彼は寝台から起き上がると鏡に映る自分の姿を睨みつける。
「俺は生まれながらの皇太子だ! この国の正統な後継者だぞ!」
しかし彼は心の奥底では自分に国を治めるだけの能力がないことを誰よりも自覚している。
父である皇帝からも戦の才能や政治の手腕を期待されたことは一度もない。
だからこそ彼は自分の「生まれ」という唯一無二の権威に固執し、自分以外の誰かが「能力」で評価されることを極端に恐れているのだ。
彼は些細なことで女官に当たり散らし、高価な壺を床に叩きつけて割り自分の無力さを暴力で発散させた。
その姿は国の後継者というよりはただ癇癪を起した子供そのものだった。
荒れる李誠の元に母である皇后が何食わぬ顔で訪れる。
彼女は割れた壺の破片を一瞥するとため息をついた。
「…李誠。いつまで子供のような癇癪を起しているのですか。そんなことではいつまで経っても帝の座は貴方のものにはなりませんよ」
「ではどうしろと!? 父上も近頃はあの軍師とやらの報告ばかりを気にして私の言葉など聞き入れようともしない!」
皇后はそんな愚かな息子の耳元で、まるで蛇のように毒に満ちた囁きを吹き込む。
「英雄は民にとっては希望。ですが我々にとっては邪魔な駒に過ぎません」
「そして駒はいつだって盤上から『取り除く』ことができるのです」
「良いですか李誠。貴方がすべきことは彼らを超える手柄を立てることではありません。彼らの手柄そのものを『反逆の証』にすり替えてしまえば良いのです…」
皇后は趙子龍と軍師が裏で密通し軍を私物化して帝位を簒奪しようとしている、という「物語」を捏造し皇帝に讒言するための具体的な計画を息子に授けた。
母から授けられた陰湿でしかし確実な計画。
李誠の顔に初めて子供の癇癪ではない、権力者の邪悪な笑みが浮かぶ。
(…そうだ。俺が皇帝になれないはずがない)
(俺の、そして母上の邪魔をする者は誰であろうと消えてもらえばいいのだ)
李誠は早速腹心の部下を呼びつけた。
「呉将軍を呼べ。奴に北の戦線へ行ってもらう。…面白い『芝居』の幕開けだ」
(見ていろ趙子龍。そして顔も見えぬ卑怯者の軍師よ)
(貴様らの築き上げた砂の城。この俺が内側から美しく崩してやろう)




