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後宮の司令室

 静思堂。

 玲蘭の元に王皓月が汗だくの密使と共に、数巻にも及ぶ膨大な巻物を運び込んできた。

「姫様…! 北の獅子からの返書にございます!」


 玲蘭はその情報の「量」にまず目を見張る。

(ただの報告書ではない…これは彼の部隊の数日間の全てだわ…)

 彼女は子龍が自分の出した「宿題」に、いかに誠心誠意全力で応えてくれたかを理解し胸が熱くなるのを感じた。


 玲蘭はまず子龍が書き記した「失ったもの」――三十七名の死者の名簿――を手に取る。

 そこにはただの名前と階級だけではない。子龍の拙い字で書かれた一人一人の短い人物評が添えられていた。

「――王五オウゴ、伍長。村一番の猟師にて、夜目が利く男でした」

「――張三チョウサン、兵卒。故郷に生まれたばかりの娘がおりました。その顔を見ることなく…」


 玲蘭はその名簿を読みながら自分の頬を涙が伝うのに気づく。

 彼女が前回流したのは自らの罪悪感に対する涙だった。

 しかし今流しているのは名も知らぬ兵士たちの失われた未来に対する、純粋な「悼み」の涙だった。


(ごめんなさい…そしてありがとう。貴方たちの死を私は決して無駄にはしない)


 彼女は三十七名の名前を全て自分の心に刻み込んだ。


 涙を拭った玲蘭の目はもはや感傷に浸ってはいない。軍師としての鋭い輝きを取り戻していた。

 彼女は子龍が送ってきた精密な地図と膨大な報告書を床一面に広げる。

 静思堂は文字通り「作戦司令室」と化し、玲蘭は地図の上に身を乗り出し、まるで神が下界を覗き込むように戦場全体を俯瞰した。


 彼女の頭の中で子龍からの「生きた現場の情報」と、相川千里が持つ「前世の軍事理論」が化学反応を起こし始める。


(…なるほど。報告によればこの地域の村々は帝国軍の略奪を恐れている。ならば孫子の兵法にある『敵の糧を食むは、強なり』を応用できる。略奪ではない『交易』によって現地の民を味方につけ補給路を確保するのよ!)


(…おかしいわ。なぜ戦闘部隊と補給部隊を分けるの? 近代戦の基本は兵站の自己完結能力。補給兵にも戦闘訓練を施し部隊全体で補給線を維持すれば、護衛は不要になり戦闘力を最大化できる!)


(…冬が近い。兵士たちの間で体調を崩す者が増えている。これは塩分不足とビタミン不足ね。塩の備蓄を徹底させ保存食として干し野菜を作らせれば、冬の間の継戦能力を維持できる!)


 玲蘭はこれらの革新的な改革案を次々と羊皮紙に書きつけていく。

 それはこの世界の誰も見たことのない兵站、衛生管理、そして人心掌握までを網羅した完璧な「軍隊運営マニュアル」だった。


 その様子を息を飲んで見守っていた王皓月は、改めて玲蘭の底知れなさに戦慄する。

(この方は…一体何者なのだ? 戦術だけでなく軍の組織論、経済、果ては医学の心得まで…まるで数百年先の未来から来たかのようだ…)

 彼は自分が仕える主君がただの天才ではなく、歴史そのものを変える可能性を秘めた「怪物」であると確信した。


 玲蘭は書き上げた指令書を王皓月に託す。

 その顔には確かな自信と仲間への信頼が浮かんでいた。

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