帝都の衝撃
首都・黄都。
連日の敗報に街は活気を失い、人々は不安げな表情で空を見上げている。
その沈黙を破り、一騎の伝令兵が馬の口から泡を飛ばしながら朱雀門へと駆け込んできた。
彼は門衛に制止されるのも構わず、鞍の上から絶叫する。
「吉報ーッ! 北方より、吉報でございます!」
「趙子龍殿率いる別動隊、敵の補給部隊を奇襲しこれを完全に殲滅!」
「蒼狼国軍本隊、進軍を停止との報!」
最初は何事かと遠巻きに見ていた民衆がその言葉の意味を理解した瞬間、堰を切ったような歓声が爆発した。
信じられないという表情から涙を流して抱き合う者まで。長すぎた闇の中に差し込んだ一筋の光だった。
吉報は即座に宮殿の朝議の場にも届けられる。
しかしそこにいる権力者たちの反応は民衆のそれとは全く違っていた。
「ご覧なさいませ、陛下! この老臣の目に狂いはございませんでしたな! あの『拾い物』の策、見事に功を奏しましたわい!」
献策を拾い上げた宰相が、ここぞとばかりに手柄を自分のものにする。
「ふん、まぐれ当たりに過ぎん! 敵の油断に助けられただけのことよ!」
兵站を馬鹿にした大将軍は、苦虫を噛み潰したような顔で苦し紛れの言い訳をした。
第一皇子・李誠は自分の知らないところで手柄が立てられたことがただただ不愉快で、扇子で顔を隠し露骨に舌打ちをする。
成功した途端にその手柄を奪い合ったり、失敗を認めずに貶めようとしたりする。
組織にありがちな醜い現実が、そこにはあった。
権力者たちが手柄の奪い合いに終始する中、派閥に属さない数少ない実務派の文官が冷静な声で本質的な疑問を呈した。
「…皆様、お待ちください。賞賛すべきは趙子龍という若者の武勇だけではありますまい」
「問題は、この完璧な奇襲作戦を立案した『何者か』の存在です」
「これほどの智謀を持つ者が我が帝国にいたとは…。一体何者なのでしょうか?」
その言葉に議場は水を打ったように静まり返る。
誰もその問いに答えられない。宰相も「拾い物だ」としか言えない。
こうして「趙子龍という英雄の影には、神がかり的な知略を持つ正体不明の天才軍師がいる」という噂が、帝国の権力の中枢で産声を上げた瞬間だった。
玲蘭自身が全く意図しない形で、彼女の分身である「顔の無い軍師」という伝説が一人歩きを始めていく。
***
朝議の末席。
その全てのやり取りを、大宦官・王皓月が静かに観察している。
彼の口元には全てが計算通りとでも言うような深い謎めいた笑みが浮かんでいた。
(ククク…踊れ、踊れ、愚かな道化ども。貴方たちが踊れば踊るほど我が主の存在はより神秘的な輝きを増していく…)
(さあ姫様。貴女が打った最初の一手。見事に盤面をひっくり返しましたぞ。次の一手は、いかがなさいますかな…?)
その頃、後宮の静思堂。
窓の外の喧騒を耳にしながら玲蘭はただ静かに、次の戦場――腐敗した帝都の権力構造が描かれた一枚の「勢力図」――を、冷徹な目で見つめていた。