百五十年の天秤
荘厳、という言葉では足りなかった。アランティアの最高法院は、千年を生きた古木そのものを刳り抜いて作られたかのような威容を誇り、ステンドグラスから差し込む光は何世代もの人間の一生を容易く呑み込む悠久の時を刻んでいるかのようだった。その中央、被告人席にカイルは立たされていた。隣には、同じ罪で裁かれるエルフのリリアがいる。
罪状は「王立保管庫への不法侵入及び禁忌物品の窃盗未遂」。若さゆえの無謀と、ほんの少しの金銭への渇望が、彼らをこの場所に引きずり出した。計画はリリアが立て、実行にはカイルの俊敏さが不可欠だった。捕まった時、二人は運命共同体だと、漠然と思っていた。
だが、裁判官――齢五百を超える厳格なエルフ――が判決を読み上げた瞬間、その幻想は砕け散った。
「主文。被告人カイル、被告人リリアを、いずれも懲役百五十年に処する」
百五十年。
カイルの頭の中で、その数字が反響した。人間の一生のおよそ倍。彼の祖父が生きてきた時間よりも、父が生きてきた時間よりも、そして彼自身がこれから生きるであろうどんな未来よりも、圧倒的に長い時間。それは刑罰ではなく、緩慢な処刑宣告に他ならなかった。
「待ってください! おかしい!」
思わず叫んだのは、傍聴席にいた人間側の弁護人だった。
「人間の寿命を考慮すれば、これは終身刑、いや、死後も続く刑です! 法の下の平等とは、結果の平等を意味するはずだ!」
廷内がざわめく。エルフの傍聴人たちは眉をひそめ、人間たちは同情とも怒りともつかない表情でカイルを見つめた。
検察官席のエルフが静かに立ち上がる。
「異議あり。アランティアの法は、種族によって量刑を変えることを認めておりません。それは『配慮』ではなく『差別』への第一歩です。外国人であろうと自国民であろうと、同じ法が適用される。それが司法の原則です」
議論が白熱する気配を見せる。寿命に対する割合で刑期を決めるべきだ、いや罰金刑や追放刑にすべきだ、そもそも裁判自体がエルフの時間感覚で進められて人間には不利すぎる――ポストで交わされていたような議論が、今、現実の法廷で繰り広げられようとしていた。
隣のリリアは、といえば、青白い顔で俯いてはいたが、カイルのような絶望は見えなかった。百五十年。彼女にとっては、人生の大きな部分を失うことには違いない。友と別れ、時代の移ろいから取り残される苦痛はあるだろう。だが、それでも「終わり」ではなかった。社会復帰の可能性も、その先の人生も、まだ残されている。彼女にとってそれは「重い刑罰」だが、カイルにとっては「存在の抹消」だった。
裁判官が、重々しく口を開いた。その声には、長年生きてきた者だけが持つ諦念のような響きがあった。
「静粛に。…現行法において、被告人らの寿命の差異を量刑に反映させる規定はない。法とは、時に非情なまでに『平等』を求めるものだ。この法が、異なる時間を持つ種族が共生する上で最善であるか否か、それは今後、我々が、あるいは我々の次の世代が、議論し続けねばならぬ問いであろう。だが、現時点での判決は、覆らない」
その言葉は、まるで遠い世界の出来事のようにカイルの耳を滑っていく。頭の中では、別の計算が始まっていた。百五十年。刑務所の壁の中で、彼は何度誕生日を迎え、何度季節の移ろいを(窓があれば)見ることになるのだろう。いや、その前に、彼の肉体はとうに限界を迎える。彼の墓は、刑務所の一角に建てられるのかもしれない。まるで、アメリカの古い話で聞いた、死後も収監され続ける囚人のように。
衛兵に両脇を固められ、カイルは引きずられるように法廷を後にした。すれ違いざま、リリアと目が合った。彼女の瞳には、憐憫のような、あるいはどうしようもない現実への諦めのような、複雑な色が浮かんでいた。
「…ごめん」
リリアが小さく呟いたのか、あるいはカイルの空耳だったのか。もはや、どうでもよかった。
彼が連れていかれたのは、人間の尺度で言えば未来永劫にも等しい時間への入り口だった。リリアが連れていかれたのは、エルフの尺度で言えば耐え難いほどに長いが、それでもいつかは終わりの来る時間への入り口だった。
同じ罪。同じ判決。
だが、その天秤に乗せられた時間の重みは、決して平等ではなかった。
アランティアの古き法廷では、今日もまた、寿命の違う種族間の「平等」という名の、歪んだ天秤が揺れ続けている。ある者にとっては単なる数字が、別の者にとっては存在そのものを奪う刃となることも知らず、あるいは知りながらも、変える術を見出せずに。カイルのような悲劇は、きっとこれが最初ではないし、最後でもないのだろう。その解決は、人間の一生よりも、あるいはエルフの刑期よりも、もっと長い時間を必要とするのかもしれなかった。