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人は皆、違うもの

作者: 瀬田川 廡輪

短編〜掌編になります。短いですのでどうぞ宜しく御願い申し上げます。

仮に、いや、真実かもしれないが、宇宙に棲息せいそくする人類の姿形すがたかたちがすべて違うものであるのだとしよう。

道徳教育か何かの教科書の単元の見出しではないが、或いは宗教のキャッチフレーズでもないが、人は皆違うのだと。

何らかの力によって、(物理方程式か、神の力かは知らないにしても)そのような原理原則が働いていたとしよう。

この宇宙が存在する限り、未来永劫みらいえいごう違う人類が、いまだかつていなかった人間が生まれ続けるのだと。

なにもこの宇宙に、人類が生存する星は地球だけではあるまい、それも含めて、だ。

宇宙空間の広さも無限、人類生存の歴史も無限に続くのだと仮定したらどうなるのか。

それこそ確率的には無限に違う人間が生まれ続けていくことになるのだ。それら人類の姿形のパターンを標本にしてストックしていったとしても 2つとして同じサンプルは現れまい。それが条件だからだ。

しかしだとするとどうなるか。無限にたまっていった ストックはいつかいっぱいになる。標本は無限に作れるからだ。しかし、そこで同じ人間は2つといないはずなのである。

だとすると抱えきれなくなった標本のストックはどうなるか。

もはやそれは人間の形をしたものだけではありえなくなるのではないか。

無限だからだ。

歌詞 それでも人類は生まれ続けなければならないものとする。とするとどうなるか?

もはや人間の形ではいられなくなった人間も出現してくるわけで、それらは、ランダムなものも含めてあらゆる物の形をしているはずである。

ダスキンモップの形をした子供。アンメルツ横横の形をした子供。ガンダムマークⅡの形をした子供、サッカーボールの形をした子供なども生まれなければ前庭に合わない。無限に生まれ続けるからだ。

相似形はなしとするならば、大きさに関する違いを持ってくるのも なしだ。例えば 無限に大きい子供とか。

だとすれば やはり、東京スカイツリー型の子供だって生まれなければならないことになる。

いや。なるのか?

もし ならないとするならば、この宇宙は無限ではないか 無限に人類はいないか、時間は無限には 続かないか、あるいは前提条件である全ての人間が違うという過程が間違っているか、が証明できることになる。

つまり、マルハチの羽毛布団型の子供が生まれないことを証明できれば、この世に同じ人間は幾人でも存在し得るということを証明できるのである。

できるの?




これってあってます?矛盾してますよね きっと。

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― 新着の感想 ―
久しぶりに見に来てみたら相変わらずめちゃくちゃで 面白いことになってますね(笑) 「これってあってます?」と聞かれたら 「たぶん、あってないです」と答えるしかないでしょう。 ツッコミどころはいろい…
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