2、白いワンピースの女②
その時初めて彼女の顔を正面から見た。怒っていて当然のこの状況で、彼女はとてもいたずらっぽく笑っていた。
それはこの状況において、僕に向けられる表情の中で最適なものだった。つまりもしその表情に怒りがにじんでいたら、僕はこのあと美味しくラーメンを平らげることなど不可能だろうし、困惑の念を醸し出していたなら、この場を二人でうまく切り抜けられる自信をなくしていただろうし、同情を浮かべていれば、僕は(僕がケトルを倒しておきながら)いらだちの一つも覚えただろう。
そういう意味で、彼女の表情は完璧だったと言いたいのだ。
それに、その表情の内訳も素晴らしかった。一つ一つの顔のパーツの配置やその大きさ、形全て無駄がなく、そこには一切の意図や恣意も紛れ込んでいなかった。いたずらっぽい顔、という表題でこの表情を切り取り、どこか由緒ある美術館に概念として展示してほしかった。
とにかく、僕は彼女のこの表情に救われ、冷静さを取り戻した。
彼女は言った通りタオルを取り出した。確かに彼女の言うとおり、持ち歩くには不自然なほど大きなタオルだった。彼女はそれをためらいなく手に持ち、カウンターや椅子、あまつさえ床まで拭いてしまった。
僕が着ているこのばかみたいな部屋着を脱いで、それで拭いた方が世界の道理であるように思えたが、ついに何も出来ずに突っ立っていた。そんな僕を気にすることなく彼女はさっさと仕事を終えてしまった。
「このタオル持て余していたから、こうして役に立って良かった、それじゃ」
そう言い残すと彼女はラーメン屋の店員にタオルを預け、何事もなかったかのように店を跡にした。残ったのは一連の出来事をチラチラ見ていた客たちと、呆然と立ち尽くした僕、そして上品な香りだけだった。彼女が立ち去る最後にもう一度その白いワンピースを凝視したが、白には一切のシミはなく、その奇跡にも僕は魅了された。
一応全ての対処は彼女がしてくれたので、これで良いのか釈然としないままながら席に着き、かなり時間が経ってしまったラーメンに手を付けた。もう冷めていたし、麵はすっかり伸びてしまっていたが、それを残念がる資格は僕にないし、これは確かに彼女がいたことの実際的な証明であるような気がして、なんだかありがたいもののように思えた。
全て食べ終えて店を出た後も、彼女が実在したのか、実際に起きたことなのか疑わしいと思ってしまった。あまりにも美しい女が、僕の行きつけのラーメン屋に現れ、こぼれた水を大きなタオルで豪快に拭き取りいなくなった。声に出してみると馬鹿げていて、僕は一人で小さく笑った。