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平安貴族物語 ~時姫から藤原彰子まで~  作者: かあなび1
第一部 時姫(道長の母)
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兼家様の出世

 貴族の官位は、どなたが帝でいらっしゃるか、どなたが大臣でいらっしゃるかで、全く変わってしまう。


 兼家様には、お二人の兄君様がいらっしゃるが、長兄の伊尹(これまさ)殿は、兼家様のお父上のような存在で、何かとかわいがってくださった。帝が冷泉天皇で、一の姫超子が入内したころから、円融天皇に譲位されて伊尹(これまさ)殿が摂政を務められていたころまでは、兼家様は、それはそれは目覚ましい昇進を遂げられたものだった。

 その間に、次兄の兼通殿を超えてしまわれ、お二人は犬猿の仲になってしまわれた。兼道殿は、源高明殿の娘を妻にしていらっしゃったので、伊尹(これまさ)殿に疎んじられていたのが影響したようだ。


 二の姫詮子と三郎君(後の道長)は、よくケンカをする。三郎君のやんちゃぶりがすさまじかった。貴重品の上等な紙をいつの間にか手にされびりびりにしてしまわれたり、二の姫の大事な貝合わせの貝を投げ散らかしただけでなくかじってバラバラにされる。しかも、お気に入りの姫君の絵のある貝が、どこを探しても見つからない。お(いさ)めしても、まだ言葉もわかられないのか、にこにこと笑っていらっしゃる。もう、どうして差し上げればよいのか、途方に暮れていた。二の姫が大泣きされるので、慌てて別の貝合わせ道具を探して譲ってもらった。このごろは、おふたりともすごろくを覚えられて仲よく遊んでいらっしゃると思っていると、いつのまにかケンカになっている。お二人とも負けず嫌いなので、なかなか大変だ。


 円融天皇の女御は次兄の兼通殿の娘媓子様。兼家様は、私たちの次女詮子も円融帝の女御に上げようとされるが、いろいろな方の思惑が絡み、なかなか実現しない。二の姫は、まだ幼すぎると思うけど。


 そうこうするうちに、大変めでたいことがあった。貞元元年(976年)春、冷泉院の女御となっていた超子が皇子をお産みになったのである。まさか、孫に天皇(前天皇だけど)の皇子を持てることになるなんて!時姫すごい!しかも、女御は自分の実家でお産をするので、超子とたくさんお話ができたし、かわいらしい皇子様を好きなだけ抱っこできたし、とても幸せだった。なぜか、って当たり前だけど、この皇子様は、兼家様によくにておられ、とてもイケメンだ。(今度は、ばばバカ。)この皇子は、冷泉院の二の宮になられる。一の宮は伊尹(これまさ)殿の孫で、東宮になっていらっしゃる。


 天禄三年(972年)閏二月の除目(じもく)で兼家様は権大納言、兼通殿は権中納言になられた。完全に兄弟逆転のままだ。


 

 


 


 

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