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平安貴族物語 ~時姫から藤原彰子まで~  作者: かあなび1
第三部 彰子(道長の娘)
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後一条帝の世

 長和5年(1016年)2月7日、我が子、後一条帝が8歳にして、天皇となられた。わたくしは国母となった。一条院、三条院とも、父道長が政治の中心となった時には成人しておられたので、父は、今まで摂政にも関白にもなっていなかった。この度は、幼い後一条帝のために摂政を務める。有力な他の氏族はおらず、力のある源氏もおらず、藤原氏の中にも父以上の力を持つ者はいない。完全な独壇場となる。

 父は、まず、今までそのたびごとにもめていた後継を固める。すぐ翌年、わたくしの4歳下の同母弟頼道に摂政を譲る。まだ、二十六歳、他に有力な方がいらっしゃれば実現しない若さだ。経験も足りず、わたくしがしっかり補佐していかねばならない。

 その翌年には10歳の後一条帝に、わたくしの12歳年下の同母妹威子を中宮とする。後一条帝より9歳年上になるので、恥ずかしがっていた。父は、得意満面で、祝宴の折、和歌まで披露したという。


 この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の かけたることも なしと思へば

 

 皇后が威子、皇太后が妍子、太皇后がわたくし彰子となった。あまりの専横ぶりに、恥ずかしく思うのはわたくしも同じである。

 ただ、わたくしには定子様が、妍子には娍子様がいらっしゃりいろいろ複雑であったが、威子はただ一人の后で、後一条帝に大事にされていたのは、少しうらやましい。

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