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平安貴族物語 ~時姫から藤原彰子まで~  作者: かあなび1
第三部 彰子(道長の娘)
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一条帝の二宮の誕生

 定子様がお亡くなりになり、わたくしは一番大切にしていただいている后として毎日を過ごしている。たくさんの優秀な女房たちに囲まれ、物語や和歌、ときには漢詩を読み、琴を鳴らし(すごいでしょ)、すだれ越しに美しい庭を見、成長していかれる敦康親王をお育てする。一条帝がお渡りになり、親しく時を過ごす。良き日が続いているのだが、父道長からの無言の圧力が感じられる。直接には何も言われないのだが、何を期待されているのかは、ひしひしと伝わってくる。女御となってすでに八年の歳月が過ぎていた。

 そして、寛弘5年(1008年)ついにその時が来た。気分がすぐれず、月のものが遅れている。母倫子が気付き、一条帝にも告げる。公にすると妨害に合う恐れがあるのでひそやかに読経の準備が進められる(これ、効果あるのかしらん.

祟られるのはやだけど。)

 7月16日、土御門邸に退出。

 9月10日、早朝、真っ白なしつらえの産室に移る。産室は、淨白でなくてはならない。御几帳とふすまとの間に親族と女房、40人ほどもひしめき合っていた。女房達は、泣きながらおろおろしている様子が伝わってくる。読経の僧たちの声が厳かに響く陰陽師たちは、物の怪を呼び出し、調伏に余念がない。何とも騒がしい。その状態のまま、10日は過ぎてしまい、11日に、やっと男皇子がお生まれになった。後産の間も、物の怪が悔しがってわめきたてる声が、何とも気味悪かった。(やっぱ読経してもらわないと、祟られるのかなあ。)このように騒がしいものとは思ってもいなかった。三十時間以上にわたる難産で、すっかり疲れ果ててしまったが、皇子を無事お産み申し上げた満足感は何物にも代えがたかった。

 その後は、三日、五日、七日、十日の御産養(おおんうぶやしない)と祝い事が続く。

 そのころの父道長の様子を、式部が日記に書いているので、その記述を借りて話そう。


 ある時は、わりなきわざしかけたてまつりたまへるを、御紐ひきときて、御几帳のうしろにてあぶらせたまふ。あはれ、この宮のしとにぬるるは、うれしきわざかな。このぬれたる、あぶるこそ、おもふようなるここちすれと、よろこばせたまふ。

~ある時は、宮様が、道長様におしっこをひっかけられた。道長様は、ご自分で上着の紐をほどいてお召し物を几帳の後ろで火鉢にあぶって乾かしていらっしゃる。「ああ、なんて嬉しいことだろう。このかわいらしい宮様のおしっこでぬれるなんて。これを乾かす心地のなんと安らかなことよ。お元気でおしっこをされるなんて、まったくわれの思いが天に届いたようではないか。」と相好を崩して喜んでいらっしゃった。~本当に、まあ。

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