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平安貴族物語 ~時姫から藤原彰子まで~  作者: かあなび1
第三部 彰子(道長の娘)
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彰子様お勉強する(その2)定子様のこと

 定子様は、道隆伯父様と高階高子様の長女でいらっしゃいます。高子様は、一条帝の父上(円融天皇)の御代に内侍として仕えた、漢詩も和歌も才能と知識にあふれた才女であられました。その才を受け継ぎ、定子様は知性にあふれ、明るく美しく、ただお一人の女御として一条帝と仲良く過ごしていらっしゃったのです。

 その時のご様子は、かの清少納言の書き著した「枕草子」という書き物に詳しく書かれています。彰子様も、後で、これを読んでお勉強しましょうね。

 ところが、その栄華は、定子様19歳、彰子様が8歳の時に突然終わりを告げました。正暦5年(994年)4月、道隆伯父が病に倒れ、帰らぬ人となられたのです。後を継がれたのは、定子様の兄君ではなく、道兼伯父様でした。そのうえ、道兼伯父様もその年の5月にあっという間にお亡くなりになってしまいます。次に後を継ぐのは、彰子様の父君道長様か、定子様の兄君伊周様か。

 一条帝は、定子様を大切に思っていらっしゃいましたから、伊周様をとお考えだったらしいです。ところが、一条帝の母君東三条院様(藤原詮子)が強く推されて父君道長様に決まったのです。

 一条帝には、太政大臣藤原公任と親王様の娘、藤原義子様、左大臣藤原顕光の娘、藤原元子様が次々と女御として入内されました。定子様は、お父上をなくされて悲しみの中、中宮としてあたらしい女御様方と贈答の品や文を交わし、交流を持っていらっしゃったのです。誠に素晴らしい女御様です。

 しかし、殿方は、そうはいかなかったのでした。


 うん、うん。この話は、分かる。紫の上も、嫉妬なんかしないで、源氏の君を大切にしていたもの。で、次に何が起こったの?定子お姉さまも、素敵な女性なのね。

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