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平安貴族物語 ~時姫から藤原彰子まで~  作者: かあなび1
第二部 詮子(道長の姉)
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花山法王、隆家に袖を射られる(長徳の変)

 長徳2年(996年)、またも大変なことが起こった。ことは、女性がらみの痴話げんかから長兄道隆一家とその妻だった高階家の人々への左遷へとつながり、道隆の中の関白家が没落していく。やはり、道隆の嫡子伊周は軽々しい人物で、帝をお支えするのにふさわしくなかったのだ。

 故太政大臣藤原為光殿には美しい娘が数多いらっしゃり、伊周は三の君のもとに通っていたらしい。出家の身でありながら花山法王が四の君に通いだしたところ、伊周は三の君のもとに通っていると思い込み、それならと身を引くなど思いもせず、弟の隆家に相談したのだという。隆家は、なんと法皇様の一行を襲い、弓を射かけさせるという蛮行に及び、その矢が法皇様の袖を射抜いたのだという。

 法皇は、帝と同じ権限をあたえられていらっしゃる。古ならば、死罪に値する蛮行だ。それなのに、隆家は定子様のところに逃れかくまわれているという。帝は、怒りをあらわにされ、ただ、早く追い下すようと命じられる。検非違使は帝の命に従い、定子様の御在所の戸を破り、天井や床をはがし、定子様を車にお乗せして連れ出してしまった。さすがの隆家も、これに耐えられず、出てきて捉えられ、出雲の権守として遠く出雲の地へ送られていったということだ。しかし、その後隆家が病気だと手紙を送ってきたので、かわいい甥のこと、配慮してやるように帝に申し上げた。伊周は、大宰権師、高階家の兄は伊豆権守、弟は淡路権守など、たくさんの者共が左遷という名の配流となった。

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