円融帝の譲位
円融帝は考えた。
一の宮が無事生まれ、安心したのはよかったのだが。これ以上右大臣藤原兼家に権力が集中しないように、関白頼忠殿の娘遵子に中宮の宣旨を下したまではよかった。遵子のほうが先に入内したのだし、父親の位も、遵子のほうが上だ。不当とは言えないと思ったのだが。
そのあと、栓子は全く参内しない。一宮に会えない。当然、詮子から二の宮が生まれることはない。中宮遵子も、承香殿の女御(尊子内親王)も、子が生まれる気配が全くない。このままでは、余は本当に中継ぎに終わってしまう。兄の朱雀院には、たくさんの皇子や皇孫がいる。余の子は、たった一人。
まつりごとも、右大臣兼家が全く参内しないので、滞りがちだ。このままでは、いずれ東宮への退位を迫られる。東宮の母は、兼家の兄藤原伊尹の娘懐子だ。兼家の力は及ばない。
仕方がない。次の次の天皇、新しい東宮を一宮とすることを条件に、東宮に譲位し余の子孫が天皇になるよう動くとしよう。
永観2年(984年)春のある日のことだった。
「女御様、お父上が、お話があるそうです。こちらに、お訪ねしてもよろしいかと。」
女房の出雲が取り次ぐ。父の東三条帝で最も身分が高いのは、我が子、現在の帝の一の宮。次が現在の帝の女御であるわたくし。そして、三番目が右大臣である父である。
几帳を隔て、父と話をする。
「女御様、昨日、帝より使者が参りました。一宮様についての内々のお話がある、ということで、他ならぬことゆえ、本日参内して、帝と久方ぶりにお話をしてまいりました。」
なるほど、それで今朝から騒がしかったのか。2年もの間、参内していなかった父が、どこへ出かけたのかと思っていたのだが。
「帝は、お元気でいらっしゃいましたか。」
許せぬ思いはあったものの、一番に気にかかったのはそのことであった。
「わたくしのことは、なんと?」
「一宮様のことをたいそう気にかけていらっしゃり、おかわいらしいご様子を詳しく申し上げたら、たいそうお喜びであられた。」
「そうでございますか。」
まあ、宮様のことばかり。父は、わたくしの気持ちは、どうでもよいらしく、次の話に移る。
「帝は、譲位をお考えであった。」
「そうでございますか。」
そうか。わたくしは、このまま中宮にもならずに終わるのか。
「帝は、次の春宮に、一宮様を望まれた。」
えっ。父が上機嫌なのは、そのためか。一宮様が天皇になられれば、父が摂政になるのは約束されたようなもの。わたくしは、中宮にはなれないが、国母となることができる。とはいえ、心穏やかではいられない。宮中の儀式で、中宮を務めるのは、わたくしではない。
八月二十七日、帝が花山帝に代わられ、七歳にして一宮は東宮となられた。




