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平安貴族物語 ~時姫から藤原彰子まで~  作者: かあなび1
第二部 詮子(道長の姉)
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円融帝の独り言

余(円融天皇)が天皇となったのは、安和2年(969年)数え年十一歳の時である。母は、藤原師輔の娘、中宮安子の三宮。同母帝兄の朱雀天皇からの譲位による。次兄の二宮は、藤原氏ではなく源高明の娘を妃としていたため、東宮になり損ねた。余の妃は、師輔の二郎、兼道の娘嬉子であったから東宮となり、天皇となった。しかし、嬉子は子をなさず、昨年はかなくなってしまった。即位以来十年以上、皇子は生まれなかった。

今の世の中、だれが東宮となり、天皇となるかは、藤原氏との関係で決まっていく。おかしな世の中だが、実際にそうであるのだから、うまく事を運ばないと、天皇の考え通りの政治にならない。

 そして、今朝、梅壺の女御詮子懐妊の知らせが届いた。まことにめでたい。大いに喜んだが、冷静になってみるとこれは大変だ。詮子の父は、あの藤原兼家ではないか。どうせなら、もう一人の女御、関白頼忠殿の娘遵子のところならよかったのに。兼家は、余の思いなど無視して、政治を思うままにするに違いない。何か手を打たねば。

 藤原氏を超える身分といえば、皇女だ。兄冷泉天皇の女二宮に尊子内親王がいらっしゃる。光り輝くようなたいそうかわいらしい姫君である。この方を妃に迎え入れよう。

 六月、詮子が男皇子を産み、十月、尊子内親王が承香殿の女御となられた。



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