心臓の音
安全性の観点から自分と一緒に寝た方がいいと主張する二人を宥め、僕は一人でベッドを占有していた。セミダブルほどの大きさのベッドなので、女性陣二人に視線を向ければ狭そうには見えない。
視線はゆっくりと天井へと移動させる。
目まぐるしい一日だった。
生前に見た最後の景色は病院の天井だった。自分が前日は死に瀕していたなんて、信じられるはずもない。
僕が死んで、母は、姉二人は、悲しんだだろう。
それだけが僕の心残りだった。
僕は面影を求めるように瞼を閉じる。
どくん。どくん。
心臓の音。生きている証。
でも、これはワルキューレの心臓の音。僕の心臓の音ではない。
ワルキューレとはなんなのだろうか?
僕が勝手にワルキューレの身体を奪ってしまったのではないか?
この心臓の音を聞くべきは自分ではないのではないか?
焦燥感にも似た不安が僕の心を締め付ける。
『蓮華ちゃん』
意外だった。瞼の奥に現れたのは天照大御神さま。
『ワルキューレは貴方の魂を核に生み出された。要するに貴方自身』
優しく微笑む。
『その心臓の音はあなたの音。ワルキューレが貴方になったんじゃない。貴方がワルキューレになったのです』
その言葉は僕を深い眠りへと誘うように。
僕の意識は深い眠りに落ちていった。
鼻腔を刺激する香り。それは、僕の意識を覚醒させるには充分であった。
「…んぁ」
「蓮華さん、おはようございます。コーヒー、飲みますか?」
そうだ、コーヒーの香りだ。
ゆっくりと上半身を起こすと、すでに二人は着替え終えていた。
「ありがとうございます」
「お砂糖とミルクは?」
「あ、お願いします」
角砂糖を三個、たっぷりのミルクを入れてもらい、熱いカップに唇を近づける。
「俺がフーフーしてやろうか?」と、僕の寝ているベッドに腰を下ろすミオさんに「結構です」と小さくお断りをする。
「まさか、死んでなおコーヒーを飲めるなんて」
「死んでもコーヒーを飲みたかったワルキューレがいるんだろ。百年前にはすでにあったぞ」
一口。それだけで僕の口腔はコーヒーの香りで満たされた。甘く、まろやかで、そして苦み。
「生き返るって感じです。死んでるんですけど」
「そうですね。あ、そういえば、深夜にメッセージが着てたみたいですよ?淡いブルーの光が瞬いてましたよ」
ルーネシアさんに言われ、メニューを表示させるとフレンドの欄が点滅している。軽くタップすると天照大御神さまの名前が点滅しているようだ。タップすると。
『ねぇねぇねぇ。起きてる?』
『わたくし、スサノオとツクヨミ以外でメッセージ送るの初めてなんです』
『おともだちといえば、パジャマパーティー!いつやりますか?』
『あの、寝てます?楽しい夜はこれからですよ?』
『夜が一番楽しい時間ですよ?寝てられません』
『蓮華ちゃんは、なんのアニメが好きですか?わたくしは、ぼっちな女の子がバンドをするアニメが好きなんですよ』
『蘇りのアイテムの噂は根も葉もない噂なんですけど、実は魔法少女に覚醒するっていう噂は本当だったりします!試行錯誤してみてね!』
『ねぇねぇ。起きてくださいよぉ』
『いいもん。アニメみるし。わたくし、薬屋みるもん』
『あの、あの、うざかったですか?』
『勝手にお友達だと思って馴れ馴れしくしてしまってごめんなさい』
『お願いです、嫌いにならないでください』
『ケーキおいし!』
「……」
すっと、無言でメニューを閉じたようとしたが、さすがにかわいそうなので『おはようございます。夜は寝るものです』とメッセージを送っておいた。
「どうかしたのか?辛そうだが?」
「えっと…そういえば魔法少女に覚醒するって噂があるんです?」
僕の言葉に二人は顔を見合わせた。
「噂というより、『天照大御神さまなら、魔法少女になる、とかやりそうだよね』という感じの話は確かにありますが」
「……それ事実らしいです」
「そうですか」と、二人は苦笑い。
ミオさんはメニューを広げ、タップすると何もない空間に動画が現れる。
「…あぁ、これは、動画サービスだ。個々で動画の配信ができるのだが、現地のニュースの動画をまとめて編集、放送している個人チャンネルだな」
コーヒーを飲みながら、ニュースを眺めるミオさんの姿はとても絵になる。
昨日の会話から察するに長寿種族でも200歳を超えている者はいないとのことだったが、何歳くらいなのだろう。
見た目は16歳前後のようだが。
無言でコーヒーを煽る。
「大丈夫です?寝不足ではないですか?コーヒーお代わり淹れますね」
「ん?あぁ、ありがとう。大丈夫だ」
ルーネシアさんがかいがいしく空っぽになったコーヒーカップにコーヒーを注いでいる。
「コーヒーは控えようとは思っているんだがな。これがどうして…中毒で俺は死ぬんじゃないかと思うよ」
ミオさんが寝不足になる理由...?
「!!そういえば、昨夜!?」
そう、帰巣派の二人はどうなった!?
「事前にね、こちら側には結界を張っていたんだ。4部屋に纏めたのは結界の密度を濃くするためだ」
「結界を張りっぱなしだったから…」同情を見せる僕だが、ミオさんはそれを否定した。
「いや、維持にそこまで魔力は必要ないんだ。寝てても問題がないくらいにね。しかし、4時前に結界に接触があった。エオルナだろう。解呪を仕掛けて来たんだ」
そこから6時前まで一進一退の攻防を繰り返していたようだ。
「ルーネシア。君も魔力供給をありがとう」
「すみません、攻撃魔法特化なモノで」
そんなことは露知らず、僕はぐっすりと眠りこけていたのか。
「あの、申し訳ありません」
「謝る必要はない。むしろ、蓮華が起きていたら何か事態に変化があるのか?」
「いえ、何も…」
「適材適所という言葉がある。俺はそれに従ったまでだ」
「アルフィナさんがおっしゃってましたよ。昨日がこちらに来て初日だったのでしょう?」
それが理由になるのだろうか?
「現実世界、もしくは霊界から来て初日は総じて夢見が悪く、それなのに深い眠りに落ちるそうです。ワルキューレの間では『最適化』や『適合処理』と呼んでいる事象らしいですね」
そう語りながら、ルーネシアさんはミオさんと僕を挟むように、隣に腰を下ろす。
「で、帰巣派の二人は?」
「6時ごろにチェックアウトをされたそうです」
「なら、諦めたと考えていいのです?」
僕の言葉にミオさんは首を静かに横に振る。
「いや、ダンジョンで待ち受けているのだろう」
「では、ダンジョンに潜るのはやめたほうが」
「そうもいかないんだ」
再び首を横に振る。
「ダンジョンは固く門扉をロックの魔法をかけて開かないようにしてある。しかしだ、夜になるとダンジョンのモンスターが外に出ている。だが、明け方ここの店主が門扉を確認するとしっかり閉じられているんだ。どういう事だと思う?」
まっすぐに僕に視線を送る。
「ダンジョンのモンスターと思っていたモンスターが実は草原にもいた」
「ふむ、どうだ?」
僕の言葉を聞いて今度はルーネシアさんへと視線を移す。
「外に出てるモンスターというのが、ブラッドジェルと呼ばれるモノですよね、たしか。この品種は極端に日の光を嫌います。体を覆う被膜も薄く99パーセント水分ゆえ、太陽の光で水分が奪われ、夏場であれば3時間で死に至ると言われています」
「そう、隠れる場所もない草原で繁殖するのは不可能なんだ。と、いうことは、だ」
ミオさんは、視線はゆっくりと目の前の動画に移動する。
「中に人が隠れている。夜になると扉を開け中からでていき、朝になると扉の中へと帰る」
「出たときに扉を閉めればモンスターが出てくることはないのでは?」
「魔法に明るくなく、魔力が乏しい人物で、一回のアンロックとロックしかできる魔力がなればどうだ?」
「……」
僕は言葉に窮した。
「なに、わからなくて当然だ。俺だって気づかなかった。冒険者を管理している夜叉王・葉月美悠は、それに気づいた。だから、信頼している俺に内部の調査を依頼してきたんだ」
「それを私たちに話して大丈夫なのです?」
ルーネシアさんの言葉に動画から視線をそらさず、ミオさんは呟く。
「構わんさ。もう俺らは共同体だ」
そのミオさんの言葉は決して大きな声ではないのに、僕の心には大きく響いたのだった。