2話 気まぐれなお節介
尊は再び玄関の扉を開いた。
隣を見れば先ほどと全く同じ体制の鳴海朱莉が座っていた。
膝を抱えたまま微動だにしない彼女はとても弱弱しくも見える。
尊は彼女の方に近づき、持ってきたバスタオルを彼女の頭に被せた。
「っえ?」
頭に乗るふわりとした感触に驚き彼女は顔を上げ尊を見る。
「そのままじゃ風邪ひくぞ。髪くらいは乾かしとけ」
「……誰も頼んでないけど」
「俺が勝手にやったことだ」
少し動揺しているようだが悟られまいと平静を装っている。
顔を見れば恥ずかしいのか少し頬を染めていた。
(こんな顔もするんだな)
普段見る彼女の顔は学校で見る笑顔程度しか知らない。
滅多に見ない彼女の表情はとても可愛らしかった。
尊は踵を返しエレベーターの方に歩き出す。
「ちょっと、どこ行くの」
「少し買い物だ」
買い物を終え帰ってきた尊は手にビニール袋を提げていた。
朱莉も気づいたようで尊に視線を向ける。
尊が買い物に出た時と変わらない体制でその場で座っていた。
「ほら」
ビニール袋からおもむろに取り出したホットミルクティーを朱莉に渡す。
「……なんなのいったい」
怪訝な表情で受け取り、再び尊を見る。
「ん?ミルクティーだが?コーヒーの方がよかったか?」
「別に飲み物の種類について聞いてるんじゃない!どうしてわざわざこんなことするのかって聞いてるの!」
ビニール袋から自分用に買ってきたコーヒーを見せると、眉先を吊り上げ声を荒げた。
一瞬ミルクティーが嫌いだったのかとも思ったがどうも違うらしい。
今日は学校では見ない彼女の表情を色々と見ることができ少し得をした気分だ。
「ちょっと何笑ってるの」
そんな気持ちが表情に出てしまって頬が少し緩んでしまった。
吊り上げた眉先をさらに吊り上げ大変ご立腹のようだ。
「ああ、悪い。別に可笑しいとかじゃなくてだな。そんな顔もするんだなって思って」
「当たり前でしょ。私だって人間なんだから怒ったりはする」
「でも学校では鳴海が怒るようなとこ見たことも聞いたこともないけど」
「学校と普段の私を一緒にしないで」
なるほど、確かに学校での自分と家での自分は違うだろう。
朱莉の場合は学校での人気や噂故に良いイメージが大きいため普段の朱莉とのギャップをより大きく感じてしますのだろうが、なぜだろうかこっちの朱莉は学校よりも活き活きしているように思う。
学校でもそうして感情を出していけばいいのに、と言うとまた怒りそうなので胸に留めておく。
そして、自室の扉にもたれコーヒー缶を開けて一口飲みこむ。
雨で冷える今日みたいな日には温かい飲み物は身体に沁みる。
「………」
「なんだよじろじろ見て」
「なんで中に入らないのよ」
「それは俺の勝手だろ」
今の彼女は一人にしてはいけない……ような気がする。
先ほど見た彼女の顔は寂しげで放っておくと壊れてしまいそうな危うさを感じた。
ただの勘で身勝手な思い込みなのかもしれないがそれならそれでいい。
俺が嫌われるだけで済むのだから。
「……あっそ、好きにすれば」
朱莉は意外にもそれ以上追及はせず、ミルクティーのペットボトルに口を付けた。
一口飲み口を離すと、ほおと吐息を漏らす。
多少身体も温まったのか頬に赤みが帯びている。
「わざわざ飲み物まで買ってくるなんて、平野君暇なの?」
「飲み物は晩飯のついでだ。暇ってわけじゃない」
まさか朱莉の方から話題を振ってくるとは思わなかった。もしかしたら朱莉も話し相手くらいは欲しかったのかもしれない。
言葉は辛辣だが。
「晩御飯って……そのカップ麺?」
「今日はなんか作るのが面倒くさいからな。お湯入れて三分で食べれるのに何回食べても飽きない。カップ麺を作った人は偉大だ」
「その言い方だと結構な頻度でカップ麺食べてるように聞こえるけど」
「まあ週五程度かな」
「身体壊すわよ」
全く呆れたといった様子で目を細める。
言いたいことはわかるが余計なお世話だ。
証拠に身体は至って健康である。
「鏡で自分の顔見てみなさい。目の下に隈までできてるわよ。たまに玄関先で会う時もいつも眠そうにしてるし、ちゃんと睡眠取ってる?今は大丈夫かもしれないけどそんな食生活を繰り返してたら絶対身体壊すわ」
……親か!
(なんだこいつ急にしゃべりだしたと思えば)
がみがみと親のように注意してくる朱莉に咄嗟にそんな突込みを入れたくなる。
自分はびしょ濡れなくせに人の身体心配してる場合か。
自分だってそのままだと風邪ひくだろうに。
「俺の身体のことは兎も角お前だってそのままじゃ風邪ひくぞ」
「ご心配なく。多分平野君よりは身体は丈夫だから」
「………」
返す言葉もないので尊はそっぽを向く。
話が途切れたことでお互いに無言の時間が続く。
別に気まずいわけでもないし、朱莉も特に気にしてもないようなので無理に話題は見つけない。
そんな無言の時間がどれほど経ったのかエレベーターが開き中から作業着を着た男性が出てきた。
「来たみたいだな」
すると尊は玄関の扉を開け、
「お前もさっさと風呂入って身体温めろよ」
「あ、ちょっと――」
言うだけ言って朱莉の言葉を無視しそのまま自室に入る。
彼女と関わるのもおそらくこれっきりだ。
こんなことがなければ一生関わることはなかったのだから。
ただの気まぐれとはいえなぜこんなことをしてしまったのか。
今更になり大胆なことをしたと後悔する尊だった。