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1話 びしょ濡れ隣人は毒舌でした

 その日、他と違うことといえば雨が降っていたくらいだ。

 多分この日に雨が降っていなかったら、一生関わることはなかっただろう。

 びしょ濡れで膝を抱えているこの少女に――。




ピピピピピッ――


 この不快な電子音から平野(みこと)の一日は始まる。

 音の根源なる目覚まし時計を少し乱暴にスイッチを叩き止める。

 布団の温もりに後ろ髪を引かれながらも、ゆっくり起き上がり洗面所へと踏み出す。


 適当に顔を洗い、朝食に食パンを一枚トースターで焼き、バターを塗って頬張る。

 特にお腹も減っているわけでもないが一応朝は胃にものを入れるようにしているのでこれで十分足りる。


 今年から高校一年生になる尊が一人暮らしを始めてから朝食は大抵こんな感じだ。

 授業中お腹が減らないかと言えば減るのだが、その場合は休み時間にお菓子など摘まんで昼食まで持たしている。


 歯磨きにある程度身だしなみも整えて、自室であるマンションの玄関を開ける。

 鍵を掛けるため鍵穴に鍵を差し込んだ時、隣の玄関の扉が開いた。


 尊はつい隣に目をやってしまった。


 玄関からは尊と同じ学校の制服を着た黒髪ストレートの少女がその美しい髪をなびかせながら出てきた。

 真珠のように純白な肌にすらっと伸びる手足、長い睫毛に大きな瞳が合わさった姿はまるで繊細に作られた人形のように美しく、見る者の目を奪う。


 そして少女も尊の存在に気づき視線が合う。


「あ、おはよう平野君」


「ああ、おはよう鳴海」


 挨拶するや否や尊より早く玄関の戸締りを終えた少女はそそくさと尊の横を通り過ぎて行った。

 そのままエレベーターに乗り姿が見えなくなる。


 今の少女を見た者は、素っ気ない、愛想がない、と感じるかもしれないが、尊は特に不満はない。

 隣に住んでいるからといって特別何かがあるわけでもなく、たまにこうして玄関先で会ったら挨拶を交わす程度だ。

 ただのお隣さんくらいの距離でちょうどいいと思っている。


 これと言って特徴がない尊とは違い、彼女――鳴海朱莉は成績面でも学年の上位常連者で運動も人並み以上にこなす文武両道の完璧な美少女だ。

 その可愛らしい容姿に人当たりのいい性格も相まって学年の垣根を超え学校ではかなりの人気を誇る。

 クラスは違うが彼女に告白した男子生徒の噂はよく耳にする。


 そんな彼女と同じマンションしかも隣に住んでいるとなれば男子から見ると羨ましく思うのかもしれない。


 だが、尊としては特に思うところはない。


 確かに尊から見ても鳴海朱莉は可愛らしい美少女だ。

 でも可愛らしい美少女というだけで彼女と特別な関係になりたいとは思わない。


 彼女と自分は住む世界が根本から違うのだ。

 誰とでも仲良く友達の多い彼女とは違い、尊はある一定の友達としか学校でも関わっていない。


 そんな自分が彼女と仲良くしていたら周りからの、主に男子からどんな罵詈雑言が飛び交うのか、想像しただけでも嫌になる。

 だから今の隣に住んでいるだけの他人くらいの位置がちょうどいいのだ。




「おっす尊」


「おう、おはよう隼人」


 教室の自分の机にカバンを置くと級友である九条隼人が尊に気づき声を掛けてきた。


「今日もまた眠そうな顔してるな。ちゃんと寝てんのか?」


「毎日二時には寝て七時には起きてるから問題ない」


「いや、もっと早く寝ろよ」


 いつも尊は目が開ききっていない眠たげな表情をしている。

 大体昼頃には目も開いてくるのだが、昼休み後は空腹が満たされると今度は睡魔との戦いが始まり再び朝の表情に戻っている。

 欠伸をする尊に呆れた表情を作る隼人だがいつものことなので特に気にすることもない。


「こんななのになんで成績はいいんだろうな」


「眠くたって授業はちゃんと聞いているからな。お前と違って」


「うるせえよ」


 コツンと脇腹を軽く殴られた。

 尊は毎日眠そうにしているが授業中寝ることはない。

 ある程度の成績を取ることが尊が一人暮らしをする条件の一つだからだ。


 だから尊は授業はしっかりと受け、帰ってからの予習復習も忘れない。

 ちなみに、隼人はよく授業中に寝ている姿を目にする。


「はああ、羨ましいねー。その頭少し分けてくれよ」


「お前も少しは勉強しろ。触んな」


 頭を掴んで左右に振ってきたので手を強めに叩き落とした。

 痛っ、と言いながら大げさに叩かれた手にふうふうと息を掛けている。

 そんないつもみたいに戯れていると、


「また鳴海が告白されたらしいぞ!」


 廊下から扉を勢いよく開けた男子生徒の声が教室いっぱいに響く。

 その言葉で教室は誰が告白したのやら告白の結果はどうだったのかなどで話は持ちきりだ。


「おお、また告白されてんだ鳴海さん」


「みたいだな」


「なんだ素っ気ないな。興味ないのか」


「全くもって微塵もないな」


 正直今更何を騒ぐ必要があるのかと思う。

 入学当初は流石に尊も驚いた。


 何せ入学して三日と経たず鳴海朱莉は数人の生徒から告白されていたのだ。

 その噂は瞬く間に学校中に広まり、今となってはおそらく彼女を知らない生徒はこの学校にはいないだろう。


「はあ、なんだよ。もっと興味持とうぜ。尊だって彼女ほしいとか考えることあるだろう」


「あるにはあるが俺にできるとも思えないしな。今は別にいいよ」


「お前本当に自己評価低いよな」


 自分としては妥当な評価だと思っているのだが隼人としては違うのか苦笑していた。

 自分と他人で評価が違うことなどよくある話だろうし、尊は特に気にも留めない。

 チャイムが鳴りだすと同時に騒がしかった教室が少し静かになる。


「ほら、お前も早く席に戻れ」


「へいへい。んじゃ」


 へらへら笑いながら自分の席に戻る隼人に、はあと吐息を漏らし尊も席に着くのだった。




 放課後尊が帰るころには雨が降り出していた。

 しかも最初はただの小雨程度だったのに今は結構な豪雨になっており、地面で跳ねた雨がズボンの裾を濡らしていた。


「こんなに降るとはな」


 誰に言うでもなく尊は一人呟いていた。

 尊は普段朝テレビを見ないので天気予報も確認はしない。

 運よく折り畳み傘がカバンに入っていたからいいものの、無ければ今頃全身ずぶ濡れになっていただろう。


 マンションのエントランスホールまで来ると傘に付いた水滴をバサバサと払落し、気づけば靴の中にまで浸み込んでる雨に不快感を感じながらエレベーターへと乗り込んだ。


 明日までに靴が乾くかそんなことを考えていると目的の階に着いたらしくエレベーターの扉が開く。

 濡れてぐしょぐしょと鳴る靴に落としていた視線を上げると、


 自室の隣――鳴海朱莉が膝を抱えて玄関の扉にもたれかかっていた。

 その体は全身雨で濡れており、髪からは間々水滴が滴り落ちている。


(何してんだいったい)


 思わず不審な目を向けてしまったが仕方ないだろう。

 誰が見ても今の彼女はおかしい。


 もうすぐ五月とはいえ雨に濡れればもちろん寒い。

 なので、部屋にも入ろうとしない彼女に声を掛けてしまったのも必然と言えば必然なわけで、


「あんたこんなところで何してんだ」


 こっちとしても警戒されるのはいやなので、あくまで何となく気になった感を醸し出し声を掛ける。

 すると、ゆっくりと顔を持ち上げ濡れた髪で見えなかった顔が露になる。

 いつものことながら綺麗な顔をしている。

 雨の雫が頬を伝い顎から滴り落ち、二重の大きな瞳が尊を捕らえる。


「……平野君。別に何もしてない、ただ座ってるだけ」


 彼女は素っ気なくそう返すと尊から視線を外した。

 再び膝を抱えた両膝に顔を埋めるように顔を隠す。


 彼女は学校ではいつも明るく周りに笑顔を振りまいているのだが、今の彼女からは想像がつかない。

学校での彼女とはかけ離れた態度に困惑するが構わず話を続ける。


「座ってるだけって……部屋には入らないのか?」


「入れるのならこんなとこで座ってない」


 顔が隠れているのでくぐもった声が返ってくる。

 どうやら部屋に入りたくても入れないようだ。

 まあ、大体考えればわかりそうなことだが、


「鍵無くしたのか?なら管理室にでも電話して――」


「電話はもうした。でも鍵開けれるの六時頃になるって」


 今は午後四時半くらいだ。

 六時まではまだ一時間以上ある。


 その間彼女は外で待つつもりなのだろう。

 彼女の身体は寒さからか小さく震えていた。


「なんなら俺の部屋で待つか?こんなところにいるよりマシだろ」


 彼女のあんまりな有様に自然と言葉が出ていた。

 流石にこのままというわけにもいかないだろう。


「遠慮しておくわ。よく知らない男の子の部屋になんて入れないもの」


 きっぱりと断られ尊は部屋の鍵を持ったまましばらく固まる。

 ここまではっきりと言われるとは思わなかった。

 彼女の言ってることももっともなのだが。

 親切心で言った手前、少し腹が立つ。


「はあ、そうかい」


 ため息をつき、鍵を開け尊は自室に入った。

 後ろ手に扉を閉めそのまま扉にもたれかかる。


 学校ではいつも笑顔を振りまいている鳴海朱莉と別人のような対応だった。

 まあ、日ごろから人形のように笑顔を作りにこにこしてるよりは今の彼女の方がよっぽど人間味があるようには思える。


 そんなことを考えながら、このまま彼女を放って置いていいのだろうか尊は葛藤していた。

 あそこまではっきり拒絶されては、これ以上とやかく言うのはただのお節介ではないのか。

 彼女が必要ないというなら別に放っておけばいい。


 ならもう答えは出ている。出ているのだが、


 尊の頭の中で答えがまとまりかけるが、最後のところで踏みとどまってします。

 これ以上考えることはない。だが、


 どうしても頭を過る。

 彼女と目が合った時の、あの愁いを帯びていた瞳。

 尊はどうしてもそれが頭から離れなかった。

 お読みくださりありがとうございます。


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