天弓
精霊魔法を会得する。
そう決めた私は、天狐と一緒に森の中に移動した。
クオンが私の肩に乗って、楽しそうに尻尾を振っている。
『人間の魔術はどのように使うか知っているか?』
「知識だけなら……。こう、魔力で古代文字を描くのだとか」
指を伸ばしてくるりと空中で回した。
『左様。古代文字は世界に概念を刻む。魔力を通じて強引に事象を発生させるのだ』
天狐の説明は難しいけど、黙って聞く。
『だが、魔術などは所詮、精霊魔法の劣化である。精霊魔法をなんとか再現しようとしたものが、人間の開発した魔術だ。我ら精霊が操る権能は、それを軽く凌駕する。クオン』
『おう!』
クオンが私の肩から飛び降りて、地面に降り立った。私から少し距離を取ると、空を見上げる。
口を大きく開けて、喉を震わせた。
『くぉおおん』
遠吠えだ。
大きな声にびっくりして、思わず両耳を塞ぐ。
『よく見ていろ』
「え?」
クオンは木に囲まれて、微動だにせず立っている。
遠吠えが反響して、ついに音が消えた時……辺りがざわつき始めた。
木々が揺れ、枝葉が擦れる。空気が軋み、大地が轟く。
『精霊魔法に文字などいらぬ。必要なのは音だ。音を通じて、無位精霊と共鳴する』
変化はすぐに訪れた。
静かに佇むクオンの周りに、小さな光の粒がいくつも集まる。それは蛍のように輝いて飛び回りながら、クオンの中に入っていった。
『見えるか? あれが無位精霊だ』
「はい、見えます」
『見えるということは、やはり素質があるようだ。精霊は自然から生まれると同時に、自然そのものでもある。精霊魔法は彼らの力を借りて、自然の理を生み出すのだ。――このように』
クオンが大きく息を吸い込んだ。そして、足を少し踏ん張る。
次の瞬間。
「きゃっ」
轟音が耳をつんざいた。
息を吐きだすように開いたクオンの口から、竜巻のような突風が噴き出したのだ。砂埃を巻き上げながら渦巻くその空気は、一直線に進んで霧を晴らした。
地面がえぐり取られ、獣道のようになっている。
家くらいなら軽く破壊しそうな威力だ。
『どうだアズサ! すごいだろ!』
「うん、とても」
『僕は天狐様の弟子だからな!』
たった今とんでもない力を見せつけたクオンが、可愛らしく私に駆け寄って来た。褒めて褒めて、とばかりに見上げてくるので、しゃがんで頭を撫でる。
私の膝に乗るほどの小さな身体なのに、どこからあんな力が出たのだろう。
「これが精霊魔法……私にもできるのですか?」
『全く同じことができるわけではない。だが精霊と心を通わせることができれば、己の何倍もの力を発揮することができる。精霊が力を貸してくれるのだ。霊力を使いこなすことができれば、な。よし、我の腹に手を入れてみろ』
「お腹……ですか?」
言われた通り、天狐の腹部に手を伸ばした。全身を覆う長い体毛は柔らかくて、私の腕をすっぽりと吸い込む。肩まで入れても、まだ肉体に届かない。
『そこに弓があるだろう?』
「弓……ですか?」
『む……。すまぬ、記憶違いだった。右足にしまったのだった』
そう言われ、腕を抜き今度は右足に向かう。
手を入れると、指先に木の棒のようなものが触れた。
『取り出せ』
「はい。……毛の中に収納してるのですか?」
『便利だろう』
「そ、そうですね」
たしかに、いっぱい入りそうだけど!
厳格なイメージがあった天狐が、少し可愛く見えてきた。
木の棒をしっかり掴んで引っ張り上げると、私の身の丈ほどもある弓だった。ツヤのある綺麗な材質だ。
真っ白な弦がぴんと張られている。よく毛に絡まなかったね……。
『引いてみよ』
「え、でも、矢がありません」
『必要ない。言ったであろう。精霊魔法は音を用いる、と。弦を鳴らすのだ』
なるほど。やっと弓が出てきた理由がわかった。
てっきりクオンのように叫ぶのかと思っていたけれど、そういうわけではないらしい。
こくりと頷いて、左手で弓を立てた。右手で弦をゆっくりと引っ張る。
弓なんて習ったことないから、ひどく不格好だ。
『おお! 無位精霊が喜んでいるぞ!』
『どうやら精霊に好かれる体質のようだ。その弓は精霊界の御神木と我の毛から作られておる。名を天弓。精霊と貴様を繋ぐ弓なり』
私にも感じる。
弓を通じて、精霊たちが語り掛けてくるような……。
私の周りを、キラキラした小さな無位精霊たちが飛び回る。
星空のように幻想的な光景だ。
私は彼らに応えるように、弦を引き切り……そして、放った。
ぶん、と小さく弦が鳴る。
ざわざわざわ。
弦の音に呼応して、無位精霊たちも小さな音を発した。それは笑い声のようにも聞こえるし、風が枝葉を揺らす音にも聞こえる。
「これが、共鳴……」
目を閉じて、精霊たちの声に耳を傾ける。
無位精霊は下位精霊などと違い、明確な意思を持たない。しかし、だからこそ、自然に一番近しい存在でもある。
「んっ……」
突如、身体が押しつぶされそうな感覚に襲われて、思わず膝をついた。
『弓を離せ!』
天狐に言われ、慌てて弓を手放す。
弓を通じて繋がっていた無位精霊たちが、一斉に私の身体を離れた。身体が軽くなる。
「はぁ……はぁ……」
『アズサ! 大丈夫か?』
「う、うん。大丈夫。ありがとう、クオン」
心配そうに駆け寄ってきたクオンが、私に寄り添う。
失敗してしまった。
たしかに無位精霊と共鳴した感覚はあったのだけれど、そこからどうしたらいいのかわからなかった。湧き上がる不思議な力を制御することができず、身体が壊れそうになったのだ。
『無位精霊に力を借り、己の霊力を増幅して放つのが精霊魔法だ。霊力の制御を知らぬ故、無位精霊に大量に持っていかれたのだろうな』
とはいえ、と天狐は続ける。
『最初から使いこなせるとは思っておらん。まずは霊力の扱いに慣れろ。それと、天弓を常に持ち歩き、己の霊力に馴染ませるがいい』
「はい、わかりました」
額の汗を拭って、立ち上がる。
精霊魔法……。特別な力なんて、私には縁のないものだと思っていたけれど。
私の手には、たしかに霊力の感触が残っていた。
『僕も手伝うぞ!』
「うん。私、頑張るね」
私は、精霊魔法という新たな力を手に入れた。