表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/7

天狐

 長い、長い落下だった。


 まるで自分が鳥にでもなったような感覚だ。巫女装束がひらひらと舞う。

 目を固く閉ざして、衝撃を待つ。死が目の前まで迫っているというのに、おそろしく冷静だ。人は、どうにもならないと焦りすら感じないらしい。


『ほう、なにやら無位精霊が騒いでおるな。どれ』


 不意に、誰かの声がした。



 モフ。



 あれ、思っていた感触と違う。

 てっきり地面に叩きつけられると思っていたのだけれど。


「んー……?」


 何か、柔らかい毛布に受け止められたような……。

 ああ、そうか。私は死んだんだ。きっと身体は衝撃でぐちゃぐちゃになって、原型を残していない。


「死後の世界って、あったかくて柔らかいんだなぁ」


 身体をもぞもぞと動かして、その感触を堪能する。地上のあらゆる布よりも柔らかいんじゃないかな。動くたびに、私の身体はモフモフに沈み込んでいく。

 頬を撫でるふかふかした何かが心地良い。

 幸せ……。


『人間よ、いつまで我の背中に乗っているのだ』


 モフモフの中から、身体の芯に響くような低い声がした。


「え? だれ?」


 驚いて、閉じていた瞼を開いた。

 最初に飛び込んできたのは、視界いっぱいの白い毛。

 続いて、私を見つめる二つの大きな赤い瞳。


『我は西の精霊王、天狐であるぞ』


 ちょっと不機嫌な声を上げたのは、巨大な狐だった。雪景色のような白銀の毛がゆさゆさと揺れる。獰猛な瞳がまっすぐ私を射抜いた。


「ご、ごめんなさい! えっと、天狐さん? の背中だとは知らなかったんです」


 そっか、私を包んでいたのは彼の毛だったんだね。手で軽く触れると、絹のようにきめ細かい手触りだ。それでいて、溶けてしまいそうなほど柔らかい。


「今降りますので……。あ……」


 背中から降りようと、お尻を滑らせて移動する。天狐の背は私が余裕で寝転がれるほど広い。

 でも、少し移動したら傾斜になった。するする、と速度が増していく。


「落ち――」


 今日は落ちてばっかりだ、なんて考えている場合ではない。なんとか、両手で毛を掴もうとする。

 ふと、巫女装束が何かに引っ張られた。


「んっ」

『落ち着け、忙しない』


 吊り下げられて、ゆっくりと地面に降ろされた。突然の出来事に、思わずへたり込む。


 私の背中のあたりを咥えていた天狐が、私の身体くらい太い牙を剥きだしにしている。いや、私の身体は細いけどね?


「ありがとうございます……っ」

『よい。我はこの程度で腹を立てるほど狭量ではないのでな』


 あ、これ笑顔なんだ。牙は恐ろしいけど、口角が吊り上げる表情からは親しみを覚える。

 家よりも大きな純白の狐だ。毛並みは陽の光を反射して神々しい。


『しかし、貴様』

「は、はい」

『本当に人間か……? まだ目覚めてはおらぬようだが、身の内に秘める力、我にも匹敵するぞ』

「え、あ、あの。人間です。それに、私は魔力もない落ちこぼれですし」

『魔力など。あんなものは霊力の劣化でしかない。我ら精霊の足元にも及ばぬ力よ』


 天狐と名乗った白い大狐は、私に顔を近づけてまじまじと見つめる。

 見た目は獣なのに、匂いは花畑のように爽やかで甘い。そこにいるのに、存在がおぼろげというか……。不思議な存在だった。


『精霊たちが騒いでいるから来てみれば、思わぬ拾いものだ』

「精霊……あの、ここはどこなんですか?」

『知らずに来たのか? ここは精霊界である』

「精霊界……」


 精霊が住まうという、おとぎ話の世界。

 まさか実在したなんて。


 周囲は深い霧に覆われた森のようだった。見たことのない植物が疎らに生えている。

 不思議な場所だった。視界は悪いのに、なんだか居心地がいい。


 天狐は器用に足を折りたたんで、座り込む。


『貴様こそ、なぜここにいる。人間が来るような場所ではないぞ』

「あ、そうだ。私、神への生贄として崖から飛び降りたんです。だから、死んだはず……」

『死んでなどいない。死者が会話できるはずがなかろうが。しかし、崖から飛び降りただと? なんと命知らずな……。たまたま我の、雲よりも柔らかい毛並みに着地できたからいいものを』


 毛に対する自信がすごい! 確かにふかふかだったけども。

 でも、なるほど。だから助かったのか。結構な高さから飛び降りたのに衝撃が一切なかったのは、天狐のおかげらしい。

 助けてくれたんだね。


 でも……生き残ってしまってよかったのかな。


「いえ、まさしく命を捨てにきたのです。崖下に住む神様にこの身を捧げるために」

『貴様、本心でそう思っているのか?』


 天狐は不快そうに目を細めて、そう言った。


 本心もなにもない。

 私はただ、それを信じるしかないだけだ。領地の実りのために、妹のために。そう自分に言い聞かせないと、投げ出したくなっちゃうから。


『くだらん』


 言い淀んだ私に、天狐が吐き捨てた。


「くだらんって……これは領地の伝統なんです。十四歳の巫女を生贄にすれば、豊作が約束されますから」

『我がくだらぬと断じたのは、貴様の心持ちよ。納得しておらぬのにそれに従うなど、笑止千万。生きとし生ける者は己の欲求を追求する義務がある。違うか?』

「そんな言い方……っ。私が我慢すれば、全てが丸く収まるのです。領地は豊かになり、同年代の子たちも助かって、妹は幸せになれる。私が生贄になることが一番良い道で……」

『話にならぬな』


 天狐が立ち上がり、私に背を向けた。

 つい感情のまま言い返してしまった。彼の言葉は、私への全否定に等しかったから。

 でも、そのせいで機嫌を損ねてしまったらしい。


『しかし生贄とは……。時折、人間の娘が投身自殺をしていたのはそれが理由か。人間の死肉など喰わぬというのに、迷惑な』

「天狐様が豊作をもたらす神なのではないのですか?」

『たしかに、我はこの『裂け目』の主だ。だが神ではない。あるいは恵みを与えることも可能だが、無理に手を加えれば大地が疲弊し、やせ細る。故にやらぬのだ』


 そもそも神などおらぬ、と最後に付け足した。


 もし神様がいないのなら、生贄巫女の伝統はなんのためにあるの?

 まるで、私が飛び降りたのは無意味みたいじゃない。


『ふっ、まあよい。しばらくはここで暮らすといい。後で使いを出そう。精霊界は、貴様にとっても居心地がいいはずだからな。心を見つめ直す良い機会にもなろう』


 天狐は意味深な言葉とともに、霧に溶けるように消えていった。

 残された私は、地面に手をついて項垂れる。


 いらない子と言われ、生贄にされ、何故か生き残ってしまった。……私はこれから、どうしたらいいの?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ