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生贄

 愛想笑いが蝋のように固まって、溶けるまで時間がかかりそうだ。


「アズサ、おめでとう!」

「うちの村から巫女が選ばれるなんてなぁ」

「大切なお役目だ。しっかり務めを果たすんだよ?」


 広場に集まった大人たちが白々しく、祝いの言葉を口にする。


 私は今日、巫女になる。

 この領地の伝統行事だ。十年に一度、十四歳の少女を神様に捧げる(・・・・・・)


「はい、ありがとうございます」


 私は何にお礼を言っているんだろう。

 真新しい白と赤の巫女装束が、両肩に重くのしかかる。


 古い伝統だ。

 うら若い少女を生贄にすることで、その後十年の豊作が約束されるという。田植え前に行われる行事だ。


 私みたいな大して器量も良くない小娘をもらって、神様が喜ぶとは思えないけどね。


「ごめんね、アズサ」

「俺たちはアズサの味方だからな」


 お母さん、お父さん、そう言うならなんで助けてくれないの?

 なんて、今更言っても仕方ないよね。


 わかっている。本当は二人とも、私のことを惜しんでなんかない。


 巫女には、条件に合う娘の中で一番いらない(・・・・・・)子が選ばれる。

 身体は貧弱で、見目が良いわけでもなく、魔力も乏しい。そんな落ちこぼれが。


 本当はみんな理解しているのだ。こんな古い伝統に意味などないと。でも今更伝統を捨てる勇気もないから、巫女の役目を押し付け合う。


「お姉ちゃん、いがないでぇえ」

「カヤ……」


 惜しんでくれるのは五歳になったばかりの幼い妹だけだ。

 泣きじゃくるカヤの頭を優しく撫でる。


 幼いカヤには、私が死ぬことは伝えていない。伝えてもわからないと思うし。

 でも、子どもというのは意外と察しがいいのだ。周囲の対応から、私と会えなくなることをなんとなくわかっているみたい。


「カヤ、元気でね。お母さんの言うことをよく聞いて、ちゃんと勉強するんだよ? 野菜も好き嫌いしないで食べてね」

「お姉ぢゃん……」

「……そうだ」


 私は、身につけていた首飾りを取って、カヤの首にかけた。

 狐を模した木彫りの首飾りで、私の手作り。


「カヤにあげる。これで寂しくないでしょ?」

「やだ。お姉ちゃんがいい」

「もう……」


 カヤの頬に手をあてて、涙を親指で拭う。

 とっくに覚悟は決めたはずなのに、私まで泣いてしまいそうだ。


「おい、早く馬車に乗れ」

「はい、領主様」


 名残惜しむように、カヤの潤んだ瞳をじっと見つめる。可愛いな。きっと、素晴らしい女性に育ってくれる。成長を見届けられないのは悲しいけれど。


 馬車に乗り込む私に、三十歳ほどの領主様がそっと耳打ちする。


「逃げようなんて考えるなよ? もし逃げたら、次の巫女はあの妹だ」

「……っ。妹には手を出さないでください」

「ああ、お前がきちんと務めを果たせば、な。そうだな、多少の補償もつけてやろう。魔力なしの落ちこぼれが家族の役に立てるんだ。誇らしいだろ?」


 誰でも少しは持っている『魔力』という魔術の源泉を、私はひと滴も持っていない。たくさんの神秘や魔術が生活の根幹を成す今の時代、それは大きな足かせだった。


 普通の生活を、私は送ることができない。火を起こすにも、畑を耕すにも、重たい物を運ぶ時も、魔力が必要だ。魔力を持たない私は、正真正銘いらない子なのである。


 だから最後に、妹に何か残せるなら……そう思って、私は素直に従っている。

 妹のためなら何でもできる。いくらでも我慢できる。


「かんぬきを」

「はっ」


 馬車に乗り込むと、外からかんぬきをかけられた。これでもう、中から開けることはできない。

 窓もなく、まるで大きな木箱だ。座る場所もないので、仕方なく床で膝を抱える。

 隙間から、一筋の光とともに、村の人たちの声が聞こえる。上辺だけの、心の籠らない祝福。そしてカヤの泣き声。


「出せ」


 領主様が短く命令すると、馬車がゆっくりと動き出した。


 向かう先は、領地の端にある『大地の裂け目』と呼ばれる断崖絶壁だ。その名の通り大地が真っ二つに割れていて、その下には神が住まうとされている。

 下に降りて、帰って来た者はいない。深く、そして険しい崖だ。鳥や獣も、絶対に崖に入らないらしい。


 ガタゴトと揺られること、三日間。その間、一切の食事を与えられることはなかった。一日に二度、監視付きで外に出してもらえたけど、それだけだ。


 十人以上の騎兵が並走しているので、逃げる隙もない。元より逃げる気はないけどね。

 神の怒りを買うからと、誰も帯刀していない。


「ついたぞ。降りろ」

「はい」

「このあとの手順はわかっているな?」

「わかっています」

「よし。では儀式を始めろ」


 平原の真ん中で、木箱から降ろされた。

 ここから先は巫女独りで向かう決まりだ。


 私を残して、馬車や騎兵たちが後方に離れていく。

 一面の緑の中心を、ゆっくりと進んだ。足首を草花がくすぐり、風の音が耳の奥でこだまする。


「生贄かぁ……」


 領地のために神に身を捧げろ、なんて。

 そんなこと、納得できるわけない。

 でも。


「カヤ、お姉ちゃんが守るからね」


 愛する妹のために、私は我慢する。

 自分の命よりも大事なものだから。


 短くない距離を歩いて、崖上に辿り着いた。

 『裂け目』は大陸の端から端まで続いていて、向こう岸に渡った者はいない。目を凝らすと、地平線の先にうっすらと大地が見える。

 崖の下は、深すぎて何も見えない。霧に覆われ、海なのか谷なのか……伝承によると、神の国があるらしいけど。

 険しく切り立った断崖は、ヤギでも降りることはできまい。


「あーあ。まあ仕方ないかな。私が我慢すれば、他の子が助かるんだもん」


 ギリギリの縁に立って、下を見下ろす。ここから落ちれば、命はない。

 風で、長く伸ばした黒い髪が靡く。このまま風に身を任せれば、全てが終わるのだ。


「どうせなら美味しく食べてね、神様」


 目を閉じて、身体を傾ける。瞼の裏に浮かぶのは、妹の笑顔だ。

 私は重力に引かれて――崖から落ちた。


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