1.ローデンセスの町のエリザ
黒森 冬炎様主催『その文字列を盛り上げろ!~劇伴企画~』に参加させていただいています。
第2話や最終話の作中歌(架空の歌詞の曲)、〈〉で書かれた人に聞こえない声(エリザや花の声)、二つの鐘の音などを想像していただければと思います。
エリザはこの町が大好きだ。
このローデンセスの町の人々を愛している。
夜明けのころに、時計台の最初の鐘が鳴り響く。
この町の時計台は、赤い屋根に素朴な時計があるだけの小さな塔のような建物。それでも、町に住む人の日常には欠かせない。朝昼夕と、時計台は三度時を知らせる。
朝の空気に響く音は、荘厳で清らかだ。
人々はみなこの鐘を合図に一日を始める。エリザは町の息吹を強く感じる。
挨拶を交わしあい、朝の支度をする音が聞こえてくる。井戸から水を汲む。竈に火を熾す。そんな日々の様子にエリザは微笑みを浮かべる。
小鳥の鳴く声が木の間から聞こえる。厩の動物たちも餌を求めて声を上げる。
見送る家族に手を振って、朝早くから仕事に出かける者もいる。荷馬車が大きな町へ向けて走り出す。
真昼に響き渡る鐘の音は、どこか活気があって、力づけられる。朝夕は六回鳴る鐘も、このときは十二回。エリザの心は踊る。
町中の飲食店は賑やかになる。家々の竈も再び熱くなり、おいしそうに昼食をとるのを、エリザは優しく見つめる。いつもこの時間には食べ物の匂いが満ちているらしい。
もっとこの町のこと、この町の人たちのことを知りたいと、エリザは会話に耳を傾ける。
昼食後に、学校の校庭で遊ぶたくさんの子どもを眺めるのもエリザは大好きだ。
教室からは子どもたちの歌声が聞こえることもある。それを覚えるのも楽しい。
エリザは時々歌を歌う。
夕方の鐘の鳴り響く音は、どことなくゆったりとして、心を安らかにしていく。
仕事の手が休まり、商人たちは品物を片づけ始める。やがて家々で夕食の準備が始まる。大きな町から荷馬車が戻ってきた。
〈お疲れさま。お疲れさま〉
エリザはひとりひとりに言葉をかけたいと思う。
辺りが暗くなると、ランプやろうそくの明かりが灯る。寒い季節には暖炉の炎が赤々と燃え立つ。その光はみな美しく、エリザにとっては一日の最後を飾る素敵な贈り物だ。
夜が更けると、それはひとつひとつ消えていく。
人々が夢路へと誘われるころ、エリザもまた心の内の瞳を閉ざす。町の人々の今日一日の様子を思い浮かべる。この愛する町を心に刻んでいく。
エリザはこうして、毎日高台から人々の暮らしを眺めている。ずっとずっと。
そう、もう何百年も。
ローデンセスの町は、短い夏を中心に富裕層の観光で賑わう。裕福な人々にとっては、ゆっくりと過ごせる誂え向きの避暑地なのだろう。
小さな町なので、買い物を楽しんだり、花畑や街並みを見学する程度。それでも、エリザはそのちょっとした賑わいが町に住む人たちを潤すのだと知っている。
観光客が大通りで特に目にするのは、珍しいお土産を扱うお店、煌びやかな衣装のお店、宝石や装飾品のお店、おしゃれなレストランやカフェ、それから花屋。
この町は草花の栽培や出荷で有名だった。
エリザは、高台の上からいつも町を見下ろしている。
普段から親子連れがよく遊びに来るが、観光に訪れた人々がやってくることも多い。
ここ百年くらいの間には、観光客の宿泊施設が相次いで建てられている。そのいくつかは、高台を通って行く経路があるようだ。
春から秋にかけてはエリザのもとを訪れる者は多い。観光客を目当てに、花売りが花籠を持って通ることもある。
高台からは、町が一望できる。
鮮やかな色をした三角の屋根が重なり、緑の木立も数多く映える。目立つのは時計台の赤い屋根だろう。遠くには、草花の咲くなだらかな丘が連なっている。
「あら、いい見晴らし台があるのね」
そう言って町を眺める人に、エリザは話しかける。
〈素敵な景色でしょう?〉
誰もエリザの言葉に耳を貸すことはないのだけれど。
しかし、時としてエリザに関心を向ける者もいる。
「この町のシンボルみたいね。乙女と二輪の花の像、ですって」
エリザはじっと目を注がれると、少しばかり気恥ずかしくなる。そんな様子は誰にも気づかれないとは思うけれど。
エリザから見える位置に、大きく目立つようにプレートがつけられている。
『ローデンセスの町・乙女と二輪の花の像』
高台には円形の石の台座があり、草の生えそろったなかに三つの銅像がある。いずれも青銅で作られ、経年により青緑色に染まっていた。
時計台ととんがり屋根の建物の銅像が並ぶ。その手前には、十代後半くらいの少女の像がある。
少女は、華奢ながらしなやかな立ち姿で、皮の靴を履いた右足を半歩ほど前に出している。昔からあるようなシンプルな型の、前を紐で締めたワンピースを着ている。この辺りに住んでいる町の娘と何の変わりもない。
整った口もとは、柔らかな微笑みを浮かべているように思われる。くっきりとした美しい瞳は、遥か先のほうへ視線を向けており、この町を眺め渡しているようだ。
少女の右手は、切り花を二本持っていた。
この草花の名は、ローデンシーだ。
ローデンセスでよく栽培されているため、町にちなんだ呼び名を持っている。
中央に黄色い芯があり、白っぽい花びらが八枚二列に並んでいる。手のひらにすっぽり収まるくらいの可憐な花。
花びらは、それぞれ白からオレンジ、白から黄色、白からピンク、と中心から外側に向かってだんだん色濃く変わっていく三種類の色合いがある。まっすぐ伸びた緑の茎の下にハート形の小さな葉がついているのも愛らしい。
広く遠くまで出荷されるだけでなく、町の人々も部屋に飾って楽しんでいる。
無論、ここにある二本の切り花は銅像の一部だ。
エリザは、その花を手にした銅像の少女だった。
いつからここにいてこうしているのか、エリザはほとんど覚えていない。
銅像の由来として伝えられているところでは、エリザというのは女神の娘の名らしい。
この地方で古くから信仰のある土地の女神アリュイアの、たくさんの子どもたちの一人だという。
ローデンセスの町では、特に花を好む娘エリザをシンボルとして、ここに置いているとのことだ。
エリザは、小さな広場になっている高台で、昔から町と町の人々を見守っている。
時折そばに寄ってくる人に、話しかけることもある。もちろん、気づかれることはない。
何も感じないごく普通の銅像だったはずなのに、長い歳月のうちに、エリザは少しずつ町の様子が分かるようになっていた。
高台から見下ろす町の光景、人々の暮らしぶり、日が沈めば夜の明かりまで、見えるようになった。
時計台の鐘の音、小鳥の囀る声や人の話す声、木の葉のこすれる音や足音なども聞こえるようになった。
いつの間にか、エリザはその目で、高台から見える物を見て、楽しむことができていた。その耳で、町を満たす数多の音を聞き分けて、味わうことができていた。
どういうわけか、エリザが集中すると、やや遠くの物音や人の声でもはっきりと分かった。
関心を寄せるうちに、いろいろなことを学んだ。特に興味を持ったのは、人々は匂いや温度なども感じることができること。どんな感覚なのかと想像してみると、何となくどこかで知っているような気もする。
エリザの町への好奇心は尽きず、様々なことを見て聞くのは喜びにあふれることだった。
ローデンセスの町は、短い夏の賑わいから少しずつ遠ざかっていく季節になった。
高台へやってきた親子の姿を見て、エリザは声をかける。
〈夕方にはもっと風が強くなるわ。もう一枚、服を着た方がいいわね〉
自分は何も感じなくとも、寒さや暑さ、不快さや痛みを感じるという人間のことがエリザは気がかりだった。特に小さな子どものこととなると世話を焼きたくなる。
すでに秋風は、高台に冷たい空気を吹き込んでいる。かさかさと周りの木々が揺らぐ音が聞こえてきた。
「寒くなってきたわね。ほら、上着を着て」
母親らしい女性が男の子に、長袖の青い上掛けを着せようとする。
「平気だよ」
学校に通うようになったくらいの男の子は、体を逸らす。すると、そばにいた女の子が姉らしく話しをした。
「エリザもきっと寒いよって言ってるよ」
それを聞いて、エリザはくすりと笑う。時々小さな子どもを言い聞かせるために、自分が使われることがあるのも知っている。同じことを思っていたのは、偶然に違いない。
男の子は口を開いた。
「エリザはそんなことは言わない。でも、歌を歌うよ」
第1話をお読みくださって、ありがとうございます。