気になっている女の子が学校に来なくなったので、勢いで告白をしてみた話
※3万字あるので、「さっさと恋愛しろ!」などと感じる方もいらっしゃるかもしれません。
「昨日鏡見てて思ったんだけど、俺って完璧すぎないか?」
「うわあ。まーたバカなことを言い出したよ」
とある高校の昼休み。大山智史は、親友である高木陽仁の自信に溢れた軽口を一笑に付した。大袈裟に天を仰ぐ素振りをする。少なくとも、大山にとって高木は完璧とは程遠い存在である。まず、高木はめちゃくちゃ鈍感である。それだけでもいただけないのに、さらに自信過剰ときた。軽口だとしても、完璧だなんてご冗談を、とツッコミを入れたくなってしまう。まあ確かに性根は優しいし、もっと謙虚さを身につければそれなりにいい男にもなり得るのだが。
苦笑いをする大山に、落ち着いた様子で高木は言った。
「笑うにはまだ早いぞ。これにはちゃんとした根拠があるんだ」
「めげないねー。じゃあその根拠とやらを聞こうじゃないか」
自信満々な表情を崩さない様子の高木に、大山は笑いを堪えながら相槌をうつ。両肘を机の上に乗せて、組んだ両手の上に顎を乗せる。椅子に座っているので、身を乗り出して話を聞いているようにも見えなくはない。親友が冗談で「自分は完璧だ」と言っているのにはもちろん気づいている。こんなくだらない冗談をわざわざ言ってくるのだから、きっと大層な根拠を述べてくれるに違いない。
「まず俺は運動ができる。で、勉強もできる。さらに昨日、鏡を見ていて顔もそこそこいいということに気づいた。完璧だろ?」
「ぷっ……」
大山は吹き出した。笑ってくれと言わんばかりの適当な根拠に、椅子から転がり落ちるジェスチャーをする。なんなら想像の斜め下の捻りのなさだった。
「異議あり」
ニヤけ顔で口を開いた大山に、高木はわざとらしく唇をすぼめて不満そうな顔を作る。高木が口をすぼめても何もかわいくはない。て言うか普通に気持ち悪い。
「なんだよ。どれも事実だろ?」
「事実なのは否定しないけど、勉強に関しては沙苗ちゃんに手伝ってもらっているからじゃないか」
高木の痛いところを突く大山。
「う……。それを言うなよ。それを言われたら返す言葉もないじゃないか」
「ぶっ……。冗談でももうちょっと粘りなよ」
急に眉を下げて弱気な顔になった高木に、大山は再度吹き出した。
高木の成績は彼の幼馴染である小山内沙苗によって支えられている。高木が成績上位をキープできているのは、学年でも指折りの優等生である小山内に勉強を手伝ってもらっているからだった。大山も、1度だけわからない箇所を小山内に尋ねたことがあるが、小山内の教え方があまりにわかりやすくて驚いたことを覚えている。普段授業をまともに聞いていない高木を成績上位にキープさせ続ける指導力は伊達じゃなかった。
チラッと自分の席で静かに本を読んでいる彼女を横目で見て、こっそり溜息をつく。少し勇気を出して人に話しかければ、人の良い小山内ならすぐ人気者になれるだろうに。大山は小山内が基本的に高木としかコミュニケーションを取らないのを勿体なく感じていた。まあ、彼女自身が他人と関わることを望んでいないのはなんとなくわかるので、大山もあえてそのことに触れたりはしない。自分がどこまで人の問題に立ち入るのか、という領域は弁えているつもりである。
「それに、顔は人によって好みが変わるでしょ。陽仁にとってカッコよくても、他の人から見たらそうでもないかもしれないし?」
大山は高木に追い討ちを仕掛けた。大山の猛攻に高木がたじろぐ。
「ぐ……。い、いや、そういえば前に沙苗にも『陽仁の顔はかっこいい』って言われたことがある。つまり、他の人から見ても俺がそこそこの顔をしているというのはそれで証明できる!」
後半を力強く言う高木。高木が自身の顔をそこそこ良いと言ったことだけ耳で拾ったクラスの女生徒が、揃って顔を引き攣らせた。それを見て苦笑いする大山。
あーあ、またくだらない冗談を言ったせいでナルシストだという誤解が広まりそうだよ。バカだなぁ、陽仁は。
高木は少し自信過剰なところこそあれど、ナルシストというほどでもないのだが、今のようなくだらない冗談などのせいでクラスの女子から誤解されてしまっていた。自業自得なところもあるとはいえ、親友を不憫に感じる大山である。
高木の顔が整っているのも間違いないため、冗談っぽさがあまり感じられないのも原因だろう。
それに、周りから見ても明らかに距離感の近い小山内から褒められた、と普通に言ってしまっているところも自慢っぽさがあってよろしくない。高木は結構な頻度で、自覚なく幼馴染との仲良しっぷりをアピールする。
「く……。このラブラブカップルめ!」
「はぁ……? 何言ってるんだ。俺と沙苗はただの幼馴染だよ」
そしてその仲をからかわれると真顔で否定する、というところまでお約束だった。大山からすれば、こちらが「はぁ……? 何言っているんだ」と言う感じである。
「あーあ、鈍感って罪だなー。まじで沙苗ちゃんがかわいそう」
「お前もしつこいな!」
「なにをう。見せつけてるのはそっちじゃないか」
2人でふざけてどつきあいながら、大山は心の中で盛大な溜息を吐いた。
あの恥ずかしがり屋な沙苗ちゃんが、陽仁にかっこいいと言うのには相当な勇気が必要だっただろうに。
高木が幼馴染から好かれているというのは、もはやクラスの男子の中で暗黙の了解となりつつあった。沙苗に声をかけたくても、一途に高木を思う様子に血涙を流して諦めた男子も多数いたとかいないとか。ちなみに小山内は、その整った容姿とコミュ力のなさが相まって、男子からはミステリアスだと人気があるものの、お高くとまっていると嫌う女子も多い。後者の方は大山も水面下でフォローはしているものの、限界を感じつつあるのが最近の悩みだったりする。ちなみに高木は、男子からは小山内と仲が良いことを嫉妬され、女子からはナルシストだと思われて敬遠され、どちらからもあまり人気がない。本人は気づいていないが、クラスで一番危ない立場にいるのは高木なのかもしれない。たまにクズだけど根は優しいいいやつなのに。
「心配だ……」
「心配ってなんだよ。沙苗も俺に興味なんかないって」
じっとりと高木を見つめる大山。
いや、心配なのは君だけどな。
それに沙苗ちゃんは君のこと好きだからな?
大山の内心など知る由もない高木は、ふと思い出したようにパンっと音を立てて両手を合わせた。
「心配と言えば……。隣のクラスの結城さんの噂は知ってるか?」
懐かしい名前が出てきたので、大山は親友への同情を頭の端に追いやり、サッと思考を切り替えた。
「結城さん? 結城栞菜さんのこと?」
大山は眉を顰める。去年同じクラスだった少女だ。大人しい子だったが、クラスの中心で友達に囲まれながら話している姿をよく見かけた。美術の授業で隣の席だったことをきっかけに、去年は結構話をしていたものの、クラスが変わってからはあまり関わることがなくなっていたのだが……。彼女が心配というのは、いったいどういうことだろうか。急に早鐘を打ち始めた鼓動を鎮めるように、大山は高木に話の続きを促した。
「久しぶりに名前を聞いたな。結城さんがどうかしたの?」
高木は一度、気にするように教室を見回す。一通り首を回して確認し終えた後、声を潜めて答えた。
「……いやさ、なんか2週間くらい学校に来てないって話を聞いたんだ。大山なら何か知ってるかなー、と思ってさ。1年の頃それなりに仲良かっただろ?」
そこしだけ2人の間に沈黙が流れ、大山は教室や廊下から聞こえるガヤガヤとした喧騒が強くなったような錯覚を覚える。
大山は険しい顔をして腕を組んだ。
「……いや、俺はその噂自体初めて聞いた」
クラスが変わってからも笑顔の彼女を何回か見かけたし、たまに話をした時も元気そうだった。病気……とかではないよな?とざわつく気持ちを押さえつけるように、少し早口になって高木に尋ねる。
「病気だったり、陰でいじめられていたとかは?」
「いや、噂をしてた女子によると、前日まで変わった様子もなく普通に学校に来てたらしい。ほんとに急に来なくなったらしくて、彼女の友達も何があったのかわからなくて心配してるみたいだ」
なるほど、なんの兆候もなく急に不登校になったわけか。大山は腕を組み直して考え込んだ。
目を瞑ると、「絵を描くのが好きなんだぁ」と楽しそうに笑う結城の笑顔が思い描かれた。好きと言うだけあって本当に絵が上手く、よく授業中に教師からベタ褒めされては困ったようにはにかんでいたのを覚えている。結城さんの周りを先生がうろちょろするものだから、隣の席の俺も最初の頃はすごく落ち着かなかったんだよな。懐かしい記憶に自然と頬が緩んだ。
彼女の笑顔を思い出したせいか、さっきよりも心配する気持ちが強くなった感じがする。
「……それは心配だな」
大山は思ったままにつぶやいた。その声に高木も少し沈んだ声で答える。
「そうだよなあ……。特にお前は結城さんと仲よかったし」
2人とも口を閉じて、しばらく沈黙が流れた。
――キーン コーン カーン コーン
しかしその沈黙を打ち破るかのように、掃除の予鈴であるチャイムが鳴った。
高木がハッとして顔を上げる。
「いっけね! 時間を全然気にしてなかった。剣道場遠いんだよなあ……。急いで行かないと女子に怒られるし、悪いが俺は先に行く!」
そのまま慌てて立ち上がって教室を飛び出す高木。
「ちょっと高木くん! ちゃんと椅子を机の上にあげてから掃除場所向かってよ!」
高木も大山も椅子に座って駄弁っていたので、椅子を上げずに教室から出た高木は女子に文句を言われてしまった。すでに教室にいない高木の代わりに大山が女子生徒にわびる。
「ごめん、古川さん。俺が2人分椅子上げていくから、それで勘弁して!」
大山は両手を顔の前で合わせて頭を下げた。謝られた女子の方は仕方ない、と言った感じで腕を組んでそっぽを向く。
「まあ、大山くんがちゃんとしてくれるから別にいいけどっ」
「ありがとう、恩に着るよ」
笑顔でお礼を言った後、急いで椅子を2つそれぞれの机の上に乗せて、大山は自分の掃除場へ急いだ。
※ ※ ※
なんとなく結城のことを気にしながら学校生活を送っているうちに、気がつけば放課後になっていた。掃除の時間以降の授業をほとんど上の空で過ごしてしまった気がする。誰もいなくなった教室で、大山は今日何度目になるかもわからない溜息をついた。
「うーん、気になる」
さっきから結城の顔が頭をチラついて離れないのだ。絵を描くときに楽しそうに細められていた大きめの目と、意外に長いまつ毛。拗ねると可愛くすぼめられる、小さくて血色の良いくちびる。それらが悲しそうに歪められる姿を想像すると、走り出したくなるような焦りが湧いてきた。
彼女の家を尋ねてみようかな……。
帰りが一緒になったときに、会話が盛り上がって何回か公園で長話をしたことがある。暗くなるまで話をした時は家まで彼女を送って行ったりしていたため、行き方は覚えていた。
いやいや、と首を横に振る。湧き上がってくる焦りを必死に押さえ、冷静になるためにゆっくりと息を吐いた。
去年仲が良かったとはいえ、友達どころか今はクラスメイトですらないのだ。そんな異性が急に自分の家までやってきたら、流石にちょっと戸惑うだろう。
右手の甲を額に当てて、教室の中から空を見上げる。少し傾いた陽から、ちょっとだけ赤みを帯びた光が斜めに教室に差し込んでいた。
それを眺めながら、普段の自分はもうちょっと冷静なはずなのにな、などと考える。
しばらくボーっと窓から空を眺めていた大山だったが、ガラガラガラっと教室のドアが開く音がして入り口に目線を向けた。
「あ、大山くん……」
「なんだ、沙苗ちゃんか! びっくりした」
入ってきたのは高木の幼馴染である小山内だった。大山は瞬時に笑顔を作り、椅子ごと小山内の方に向き直って話しかける。
「珍しいね、こんな時間に学校に残ってるなんて。何か用事?」
「うん。そろそろ文化祭でしょ? それで今年は図書室から何を展示するかっていう話し合いを、図書委員で集まってしてたの」
教室にいたのが大山で安心したのか、小山内は笑顔で返答をした。小山内が学内で気軽に言葉を交わせるのは、高木を除けば大山だけである。小山内は自分がクラス内で浮いているの自覚しており、大山がそのフォローをしてくれていることにも気付いていた。大山が高木の親友であることもあり、気づけば高木のことで相談し合う仲となっていた。
小山内は大山が座っている席の近くまで移動すると、自分も彼の前の席に腰を下ろした。ちょこんと両膝をそろえて、小山内は大山の方を向く。
「大山くんこそ、教室に1人でいるなんてどうしたの?」
何か悩み?と付け加えて小山内は小首を傾げる。
「私が教室に入ったとき、珍しく不安そうな顔をしていた気がしたから。私で良かったら、聞かせて欲しいな」
大山は苦笑した。心配させないように一瞬で表情を切り替えたつもりだったんだけどな。
「そんなあからさまに不安そうな顔をしていたかな?」
小山内は首をゆっくりと横に振って否定する。
「ううん、私がそんなふうに感じただけ。話したくなかったら、無理に話さなくても大丈夫」
大山は小山内の洞察力に頭の中で脱帽した。
正直、今の自分はらしくないな、と思っていたところだ。せっかく気遣ってもらったのだから、ここは小山内の優しさに甘えさせてもらうことにしようか。
「……ありがとう。せっかくだし、相談させてもらってもいいかな?」
やっぱり、誰かに心配してもらえるっていうのは嬉しいことだな。大山は元気づけられて自分の頬が緩むのを感じた。そんな大山の様子に、小山内も「うん!」と嬉しそうな微笑を浮かべる。
さて、どうやって話したものか、と大山は腕を組んで頭の中を整理しようとした。しかし自分の中でうまく話をまとめられず、頭を抱える。自分が焦っているのはわかるが、なぜ焦っているのかなどがはっきりしてこなかったのである。
そんな大山の様子に、小山内は笑みを崩さずに言った。
「なんとなく話しているうちに、自分が何で悩んでいるかわかるかも。とりあえず、話せるところから話してみようよ」
頼りになる小山内。こりゃ陽仁も人に頼りまくりのダメ人間になるわけだ、と大山は1人納得する。どうやら小山内は根気強く大山の話に付き合ってくれるつもりらしい。「ありがとう」と素直な感謝が大山の口から溢れた。
「ううん。私も大山くんにはいつもお世話になってるから、お互い様」
弱気な大山を珍しく感じて、くすりと笑う小山内。
大山は気持ちを落ち着かせるために、ゆっくりと息を吐いた。
窓の外から入ってくる運動部のかけ声を聴きながら、大山は徐に口を開く。
「去年同じクラスだった結城さんって覚えてる?」
首を縦に振る小山内。そのまま彼女は首を傾げる。
「うん。結城さんがどうかしたの?」
大山は拳を握りしめた。
「……ここ2週間くらい、学校に来ていないらしいんだ。それで少し心配で」
いや、少しどころかかなり、と内心で言い直す。
「家を訪ねてみようか、とも思ったけど、クラスメイトですらない俺が急に家に行くのは迷惑なんじゃないかな、と思っていたところなんだ」
一呼吸置いて、小山内が「なるほど」と相槌をうった。微笑を浮かべていた彼女が、いつのまにか真剣な顔を浮かべて大山を見つめている。
「上から目線な言い方とかしちゃうかもしれないんだけど……」
小山内は伺うように大山の顔を見る。
大山は力強く頷いた。
「それは大丈夫! 思ったことを言って欲しいな」
大山はなるべく明るい声を意識して返答をした。口下手なだけで、小山内が故意に人を傷つけるような性格をしていないことは、高校に入ってから2年の付き合いで大山も理解している。もしこれで厳しいことを言われたとしても、彼女なりに必要だと感じたから指摘してくれたことなのだろう、と納得できる自信があった。
「じゃあ……」と遠慮がちに口を開く小山内。
「……大山くんが何に悩んでいるのかはよくわからないけど」
深く息を吸って彼女は続けた。
「今までの大山くんだったら、多分知り合いが不登校になったことを聞いた時点で、その人の家を尋ねることを決めていたんじゃないのかな」
ピクッ、と大山の動きが止まる。
それをみた小山内は少し不安そうな表情を浮かべた。やっぱり余計なことを言ってしまったのだろうか、と考えているのが表情から読み取れる。
「……大丈夫、続けて。ハッとしただけだから」
大山の返答を受けて、小山内は頷いた。
「あくまで私のイメージだけど……。大山くんって、自分の心に偽りなく人と接しているでしょ……?」
口下手な彼女は、そこで少し困ったように眉を下げた。少し言葉に詰まってしまったのだろう。大山は黙って彼女の次の言葉を待った。
「だから、不登校って聞いたらまず心配に感じて、とりあえずその人の家に行ってみるんじゃないかなって思うの」
えーっと、と小山内は目線を上にあげて言葉を探す。
「なんていうか、あなたがお見舞いに行ったら、相手が迷惑に感じるかもって考えるのは、ちょっと意外だなって感じたというか……。普段の大山くんだったら、とりあえずやってみて、迷惑がられたらそれ以上踏み込まなければいいって考えるんじゃないかなー、って」
「えーっと、えーっと」と目を回してしまう小山内。もっとわかりやすく伝えることはできないか、と必死に言葉を探している様子だった。
ハッとする思いで小山内の話を聞いていた大山は、小山内が目を回しすぎて倒れてしまう前に、慌てて彼女に頭を下げる。
「ありがとう、言いたいことは伝わってるよ」
それを聞いてほっとしたように胸を撫で下ろす小山内。
確かに沙苗ちゃんの言う通りだ、と小山内のおかげでいくぶん冷静になった頭で大山は考えていた。今までの自分であれば、話を聞いた時点で深く考えすぎずにお見舞いに行くなりしていたはずである。辛い時に心配されるというのは、嬉しいことのはずだし、自分がそれをすることで相手の助けになれればそれは素晴らしいことではないか。今まで、もし相手に拒まれたとしたら、などとは考えたことはなかった。そんなことは拒まれてから考えればいい。自分が超えるべきでない一線は理解しているつもりだし、人の事情に土足で足を突っ込んだりしない常識は持っているつもりだが、良識の範囲内で自分は人の助けになりたいと行動してきたはずだ。
なら、今回はどうして?大山は理由を探して窓の外を眺めた。
窓の外では、陽が赤みを増していた。もうそろそろ陽が落ちて暗くなるだろう。その様子を見ながら、深く呼吸をする。
……本当は、相手の迷惑になることではなくて、迷惑になった結果嫌われることが怖かったのではないだろうか。それがなぜなのかはわからないが、大山自身、今探し当てた怖いという感情にはとてもしっくりきていた。
つまり、本来なら余計なことは考えず家まで訪れていたはずなのに、今回は嫌われたくない、と言う気持ちが強く働いていたということなのだろう。
それに、と大山は窓の外を見ながら思った。どうやら、自分はなぜか後ろめたさを感じているようなのだ。
コンッコンッと机の端を指の先で叩きながら考える。せっかく小山内が相談に乗ってくれているのだから、彼女に全部話してしまおう、と思って大山は小山内の方に向き直った。
自分で考えてもわからないことでも、彼女なら探し当ててくれるのではないか、という期待があった。
大山につられて窓の外を見ていた小山内も、それに気づいて姿勢を正す。
大山はゆっくりと口を開いた。
「……沙苗ちゃんに指摘されて気がついたことがあるんだけどさ。俺はどうやら、結城さんの家を訪ねることに、後ろめたさを感じているみたいなんだ」
「後ろめたさ?」と小山内が首を傾げる。
大山は頷いた。
「うん。なんでかはわかんないけど、結城さんの家に行くのがいけないことのように感じるんだよね」
そこで大山は一旦言葉を切る。そのままスゥーっと思い切ったように息を吸った。
「……それとごめん! 俺はさっき嘘をついた。クラスメイトですらない俺が突然結城さんの家に行くのは迷惑なんじゃないかなって思う、って言ったけど、本当は多分、家を訪ねた時に迷惑そうな顔をされるのが嫌だったんじゃないかなって気づいた」
大山は両手を顔の前で合わせて頭を下げる。
黙ってその様子を見ていた小山内は、「謝らなくていいよ」と少し慌てたように首を振った。そのまま少し考え込むように彼女は目線を上にあげる。
「それって」
しばらくして、小山内は徐に口を開いた。一度目をキュッと瞑る。こちらが喋るのを真剣な目をして待っている大山から、小山内はこっそり視線を逸らした。
「……下心があるからじゃないかな?」
「え?!」
言われた大山が固まる。
「えっと、悪い意味じゃなくて!」
と小山内が慌てたように大声をだして否定する。小山内が大声を出すほど慌てる姿を、大山は初めて見た。珍しいものを見たなぁなどと思いつつも、小山内の話の続きが気になって仕方がない大山。悪い意味じゃない、と言われても、下心という言葉にはどうしても悪いイメージがある。
「うーん」と、小山内は一度目線を上にあげて考え込むようにしてから口を開いた。
「全然確信とか、強い根拠があるわけじゃないんだけど……。多分、大山くんにとって結城さんは、嫌われたくないくらい大切な人なんじゃないかな。だけど、気兼ねなく家を尋ねることができるほど深い関係にもなくて……。あ、気になる人、みたいな感じかな、多分。だから、家を訪ねて嫌がられた時のことを不安に感じてる、とか……」
顔色伺うように小山内は大山の顔を覗き込む。今の小山内は、意地の悪い捉え方をすれば、お前は今こう感じているのではないか?と上から目線に相手の気持ちを分析して本人に告げていると言えなくもないことをしている。そのような行為をして涼しい顔をしていられるほど、小山内は傲ってはいなかった。
窓から差し込む赤い光が、大山のぼーっとした顔を横から照らす。
「気になる、人……?」
大山が小山内の言葉を繰り返す。
俺が結城さんを気にしている?そうなのか?
結城と話してる時、自分がどう感じていたかを大山は思い返す。
――話していると胸が暖かくなって、自然と顔が綻ぶ。彼女の笑顔が見れると、本当に嬉しくて自分も幸せな気持ちになる。
な、なるほど……
「う、うん? べべべ別に? 気にしてるってほどでもないかな?」
うわずった声で否定する大山。
あからさまな反応である。そんな大山を、小山内はジト目で見つめた。もしかして此奴、ヘタレか。チキンボーイなのか。
大山は小山内が発する無言のオーラに屈する。
「……はい。自分でも気づいていなかったからすこしテンパっちゃったけど、多分俺は結城さんが気になっております……」
「よろしい」
小山内が満足そうに頷いた。さっきまで不安そうな顔をしていたと言うのに、こんなことで不安な表情が消えるとは、と大山は苦笑する。
小山内が口を開いた。
「じゃあ多分、後ろめたさを感じる理由も大山くんが結城さんに下心を抱いているからだと思う」
半眼で言い切る小山内。
ねえ、さっきより少し容赦がなくなってない!?大山は天を仰いだ。
ため息を吐いて小山内は続ける。
「まあ、大山くんは誠実だから、無意識のうちに結城さん家を尋ねることが、彼女と仲良くなるきっかけになるかもしれないことを気にしてるんだと思う。弱っている人に付け込むみたいで、なんとなくズルい感じがしているというか……。でも、彼女を本当に心配しているっていうのは間違いないんじゃないかな」
誠実という部分を強調して言う小山内。すみません、反省しているのでもう許してください。
内心謝りながらも、大山には小山内の指摘がしっくりきていた。少ない情報からここまで大山の心理を推し量った小山内の洞察力に思わず舌を巻く。
大山はゆっくり頷いた。
「……すごくしっくりきた。多分その通りだと思う」
それを聞いた小山内が微笑む。
気がつけば外はすっかり暗くなっていた。そろそろ最終下校時刻が迫ってきている。完全に陽が落ちてしまっているし、今日は沙苗ちゃんを家まで送っていこう、と大山が考えたところで、小山内の携帯がなった。ロック中の画面には、高木陽仁の文字が表示されている。
小山内が申し訳なさそうに大山を一瞥する。大丈夫という意味を込めて大山は頷いた。
電話の通話ボタンを押す小山内。
「もしもし、陽仁? どうしたの?」
『あ、もしもし。この時間になっても家にいないの珍しいからさ。大丈夫かなと思って一回LINEしたんだけど、返事がないから、少し心配になって電話したところだった。沙苗、今どこにいるんだ?』
小山内が首を傾げて大山の反応を伺う。大山はゆっくりと首を振った。
「図書委員の仕事をしてて、今まだ学校にいる。さっき終わったからそろそろ帰るところ」
『うひゃー、お疲れ様。そういえばそろそろ文化祭だし、図書委員は忙しくなるな。……あ、お前今日上着持って行ってたっけ?』
「……ううん。こんなに遅くなると思ってなかったから、持ってきてない。でもそんなに寒くないから大丈夫だよ」
『そうか……。……いや、もう暗いし、上着持って学校まで迎えにいこう。今から俺の家を出ても最終下校時刻には間に合うだろ』
「そんな、悪いよ」
『気にするなって。もしお前に風邪ひかれたら、俺も課題わかんなくて困るしさ。今日金曜で明日休みだし、帰りにあったかいものでも食べて帰ろうぜ?』
もう一度大山の顔を伺う小山内。大山は笑って頷いた。小山内の顔がパッと明るくなる。
「ありがとう、わかった! じゃあ学校で待ってる」
『おう! 急いで行くから教室にいてくれ』
高木のその言葉を最後に通話は終わった。大山の方を勢いよく振り向く小山内。
「ごめんね、ありがとう」
申し訳なさそうに頭を下げる小山内。
大山からすれば、頭を下げたいのもお礼を言いたいのもこちらの方である。
「いやいや、むしろ俺の方こそこんな遅くまでごめん。話を聞いてくれて本当に助かった」
「ううん、全然力になれなくてごめんね」
「いやいや! 絶対そんなことないって!」
小山内と話していなければ、自分が結城に気があるということには気づけなかっただろう。彼女のことを自分が本気で心配できていることがわかっただけでも、十分すぎるほどの収穫だった。たとえ自分に下心があるのだとしても、結城が悲しんでいるのは嫌だというのは本心だ。小山内のおかげでなんとか力になりたいと気持ちが固まった。
大山は小山内に頭を下げる。
「俺、結城さんの家に行ってみるよ! ……それと、ずいぶん遅くなってしまったから気をつけて帰ってね。まあ、陽仁が一緒にいるのなら大丈夫だろうけど」
後半は冷やかしも込めてニヤけながら言う。小山内は少し顔を赤くしてはにかんだ。
「うん……。また今度私の相談にも乗って欲しいな」
「ははっ、喜んで!」
小山内が高木を大切に思って慕う様子は、見ていてとても微笑ましい。大山としても望むところだった。
椅子から立ち上がりながら口を開く。
「さてと! もうそろそろ陽仁も学校に着く頃だと思うし、俺は邪魔にならないように早くここから出ないとね。沙苗ちゃん、本当にありがとう!」
小山内も立ち上がって、小さく手を振る。
「こちらこそありがとう。また月曜日」
「うん、また月曜日!」
小山内に手を振り返してから、大山は、教室を後にした。
※
「19:00前か……」
大山はため息をついた。結城の家の前にたった今着いたところだ。
何度見ても立派な一軒家である。マンションに住んでいる大山は、結城を家に送り届けるたびに羨ましく思っていた。
勢いのままに彼女の家の前まで来てしまったが、時間が時間だし流石に今日は迷惑か?と考える。お風呂や夕飯だってあるだろう。ちなみに、決してヘタれているわけではない。決してである。
完全に日が暮れてしまったので、風が吹くと少しばかり肌寒い。もう10月の頭だしそれも当然か、と大山は1人納得する。ついこの間まで暑い暑いとばかり言っていた気がするのに、と苦笑した。
「はぁ……。今日はやめとくか」
大山はため息を吐いて結城の家に背を向けた。
明日は土曜日だし午前中の間に訪ねれば迷惑にはならないだろうか、などと考えながら、ブロックが敷き詰められた道の上を歩いていく。街灯によって照らされた明るいデザインの道は、夜でもお洒落さを感じさせた。
うん、明日の午前中にお邪魔させてもらおう。
名案だと感じ、1人で頷く。
「誰も出てこなかったら、その時はその時だ」
独り言を言って歩きながら、大山はうーん、と伸びをした。結城の家に着くまでも色々なことを考えていたため、考えすぎて頭がぼーっとしていたのだ。
伸びの効果か頭がスッキリしたのと同時に、頭の隅に追いやられていた空腹が脳内の中心を陣取って暴れ出した。
そういえば、と大山は両親とも今日は帰りが遅くなると聞かされていたのを思い出す。夜飯は好きに買え、と、千円札を渡されていたことも思い出した。
秋といえば、肉まんが無性に食べたくなる時期である。寒くなりはじめの時期に食べる肉まんは最高ではないだろうか!
今日は贅沢に肉まんを2つ買ってしまおう、と決めて、行き先を自宅からコンビニへと変更する。ちょうど右側の通路に青いコンビニが見えたので、そこで夕飯を調達することにした。
「やってしまった……」
コンビニで肉まん2つと温かいほうじ茶を無事に買い終えた大山は、新たな悩みに襲われていた。
家が遠いのである。
せっかくの肉まんを温かいうちに食べたいのだが、家に帰るまでに冷めてしまうという事に買ったあとになって気づいたのであった。電子レンジを使っても、どうしても買いたてと比べて味が落ちてしまう。大山は頭を抱えた。
歩きながら食べるか?
いやいや、夜だから流石にちょっと危ないし、何より行儀が悪い。困ったなあ、と立ち尽くす大山。別に他の人が歩き食いをしていても何も思わないが、自分がするのには抵抗があった。
こうしている間にも、肉まんは刻一刻と冷えていく。
「あっ!」
大山は急に音を立てて両手を合わせた。あるじゃないか、良いところが。
近くに結城とよく喋っていた公園があるのを思い出したのだ。そこのベンチに腰掛けて肉まんを食べてしまおう。
完璧な思いつきに思えた。小さい公園だが街灯に囲まれていて明るいし、近くに交番があるから変な輩も湧いていない。今の時期ならそんなに虫も湧いていないだろう。そうとなったら善は急げだ、とばかりに公園へ早足で向かいだす。
たしか、ここを右に曲がって、しばらくまっすぐ行くと左側に見えてくるんだよな。
少しだけ街灯に照らされたブロックの上を歩いて行くと、すぐに公園に着いた。
「ええっと、空いているベンチは――」
テンションが上がっていることもあり、明るい声で独り言を言いながらベンチを指差し確認していた大山は、ハッと息を呑む。
左端のベンチの上に座る、セミロングの髪をした少女。少しだけ毛先に癖のある茶髪は、夜の街灯の光でも綺麗に輝いていた。
見間違えるはずもない。結城栞菜である。
公園に人が入ってきたことに気づいたのか、視線を下げていた少女が顔を上げた。大山と少女の目線がかち合う。
スーッと風が吹いて、公園内の木々の葉が擦れてサワサワ音を立てる。一瞬時が止まったかのような静けさが流れ、大山の耳には街灯のブーンという小さな音さえ聞こえていた。
しばらくして、結城が戸惑ったような声を上げる。
「……大山、くん?」
ハッと飛びかけていた意識を体に戻した大山は、慌てて頷く。
「うん、俺、大山智史。君は、結城栞菜さん……だよね?」
ふぅー、と大山は深呼吸をした。バクバクいう心臓を押さえつけようとするかのように、拳を作って自身の胸を一度軽く叩く。笑顔を作って結城に声をかけた。
「あのさ、肉まんあるんだけど、一緒に食べない?」
「え?えっと……」
まだ戸惑っている様子の結城の座っているベンチに、大山は近寄っていく。
「となり、いいかな?」
そう尋ねた大山に、結城は少し右に体を動かした。おどおどと口を開く。
「ど、どうぞ……」
「ありがとう」
笑顔でお礼を告げて、結城の隣に腰を下ろす大山。耳の奥がバクバク言っているのを感じながら、大山は平静を装って袋の中から肉まんを2つ取り出した。そのうち片方を結城の方に向ける。
「はい、どうぞ」
「え、えっと、いいの?」
「もちろん。横に座って俺だけ食べてるのもあまり気分が良くないし」
「……ありがとう。じゃあいただきます……」
自然な様子で肉まんを渡す大山に、まだ戸惑いが抜けないながらも、顔に笑顔を浮かべて肉まんを受け取る結城。しかし、その笑顔の眉が下がっていることを大山は見逃さない。
やれやれ、と大袈裟な動きをしながら大山は戯ける。
「ちょうど誰かと食べたいなーって思ってたんだよね。寂しくて死ぬ3秒前ってところだったから、逆にこっちが助かったよ」
「……ふふ、どんだけ寂しがりなの。まるでうさぎみたい」
結城がくすりと笑ったのを見て、大山は安心した。そうだ、この笑顔が見たかったんだ。
「あ、うさぎが寂しくて死ぬっていうのは迷信らしいね」
「え、そうなの?知らなかった……」
うん、自然に会話できてるぞ。
話し始めるとそこまで緊張も感じなくなって、大山は一安心した。
「とりあえず、冷める前に食べよう」
大山は自分も肉まんの包みを開きながら結城を促す。結城も頷いて、肉まんを膝の上に乗せて手を合わせた。
「いただきます」
律儀にそう呟いてから、包装紙を開いて肉まんに齧り付く。結城の顔が綻んだ。
「おいしい……」
「うん、おいしいね。やっぱり肉まんは最高だ」
大山の心も綻ぶ。みんなが大好きな肉まんを1人で2つも買う時は心が痛んだが、贅沢をしてよかったな、と大山は夜空を見上げて思った。あまり見栄えのしない秋の夜空には、端の方で星が4つほど輝いている。たしか、秋の大四辺形と言うんだっけか。ペガサス座のお腹の部分なんだよな。
2人ともしばらく無言で肉まんを食べた。肉まんを食べ終わったあとも言葉を交わすことなく、それぞれ椅子にもたれかかって無言で夜空を見上げる。
5分ほどそうしていただろうか。結城が空を見上げながら徐に口を開いた。
「大山くんって、家この辺りだったっけ?」
「ん?そうだなぁ、歩いて25分くらいのところに住んでるから、この辺りではないかな」
「そうなんだ」
大山も空を見上げながら答えた。それからまた2人とも無言で時間が過ぎる。
サワサワと葉の揺れる音を2人してぼんやりと聞いていた。
結城が再度口を開く。
「……何も、聞かないの?」
家が近いわけでもない大山が、自分の家の近くまで来ていた理由をなんとなく察したのだろう。結城はベンチにもたれかけていた背を起こして、大山の目を覗き込んだ。大山もゆっくり体を起こして苦笑する。
「はは……バレてたか。陽仁から今日、結城さんが学校来てないって聞いて心配して顔を見に来ただけなんだ。だから、休んでる理由は気にならないわけではないけど……」
そう言って一度言葉を切る。バレないように手汗を拭って大山は続けた。
「今日は結城さんの作り笑いじゃない笑顔が見られただけで満足かな」
自分でも少しクサい台詞を言ったなあ、という自覚はあって、気恥ずかしさを感じた。しかし、彼女の笑顔を見て安心したというのは紛れもなく大山の本心である。
結城は照れて頬をかく大山をしばらくじっと見つめたあと、ゆっくりと視線を空に戻した。そのまま、ポツリと口を開く。
「……本当に。本当に大した話じゃないんだけど、聞いてくれる……?」
空を見上げながら力のない笑みを浮かべる結城に、大山は頷く。
「うん。結城さんが話していいのであれば。でも無理して話さなくていいよ」
大山なりに気を使う。もちろん学校を休んでいる原因は気になるが、こんな元気のない笑みを浮かべられては不安になった。
「ううん、大丈夫。といっても、本当に大したことない理由なんだけどね」
ゆっくりと首を横に振る結城。
彼女はやはり空を見上げたまま、ふぅー、とゆっくり息を吐いた。
「……限界が来ただけなの」
「限界?」と大山が首を傾げる。
結城はゆっくりと頷いた。
「うん。大山くんは知っているだろうけど、私って結構大人しい方なの。本当は口下手だし、他の人と一緒にいるよりかは、1人でいる方が気が楽、というか」
大山は苦笑しながら相槌をうつ。
「そうだったね。俺も初めて君とこの公園で話した時は、驚いた」
いつもクラスメイトに囲まれて明るく振る舞う彼女が、いつも大山に素で接してくれるのがこの公園だった。「大山くんと一緒にいる時だけは、素で接していても明るくいられるんだよね」と、屈託のない笑みを浮かべていた彼女を思い出す。
「私ね」
そう言って結城は言葉を続ける。
「前にも言ったかもしれないけど、どうしても他の人の目を気にしちゃうんだぁ……。だから、他の人に悪い印象を与えないように、明るく愛想良く振る舞ってた。頼まれごととかされると絶対断れないし、最近このままだとまずいなあ、とは思いはじめてたの」
サーっと風が公園を撫でる。公園の外の街灯に照らされた道の上を、風に吹かれた落ち葉が1枚舞った。
結城はまた力のない笑みを浮かべた。
「もうすぐ文化祭でしょ?」
「そうだったね。まだクラスの出し物を何にするか、とか言う話し合いは始まってないけど」
大山は頷く。
結城は口をはの字にして、自身の手に息を吹きかけた。少し指を擦る彼女の手に、大山はコンビニで買ってきたほうじ茶を押し付ける。まだあったかいから、指先を暖めるのに役立つだろう。
結城は「ありがとう」と大山に笑いかけて、また何もない夜空を見上げて続ける。
「……私絵を描くのが好きだから、生徒会や他の委員会から文化祭のポスターを描くのを任されちゃって」
そう言いながら視線を夜空から地面に落とす結城。
「それ自体は嬉しかったの。私の絵を上手だって思ってくれたからこそ、任せてくれたんだと思うし」
「でも……」と笑みを浮かべながら続けた。
「注文も数も多すぎて、ポスターに追われて寝る時間もほとんど取れなかった。どんなに寝不足でも学校ではなんでもないように笑顔を浮かべて、明るく振る舞って……。頼まれた最後の絵を仕上げた時、私は絵を嫌いになりそうになってる自分に気づいたの」
……結城の笑顔を見ていられず、大山は視線を結城から地面に落とした。
楽しそうに絵を描いていた彼女が、絵を描くのを嫌いになる程に苦しんでいる姿を想像して、大山はシャツの胸のあたりを握りしめる。
「ただ好きな時に好きな絵を描きたかっただけなのに、絵を描けば描くほど先生や親に期待された。私は別に、画家になりたいわけじゃない。そんな期待は迷惑だ。……自分で引き受けたくせに、そんな風に思ってる自分に気づいて、もうダメだーってなっちゃって」
ふーっと息を吐く結城。
「今の状態で学校に行っていつものように振る舞うのは無理だな、と思って一度学校を休んだら、それ以降学校に行くのが怖くなっちゃった……。そうして今に至る……って感じ。ね、大したことないでしょ」
なんなら自業自得だし、と最後にわざとらしく戯ける。
そんな結城の様子を見ていられなくて、大山はくちびるを噛み締めた。
「大したこと、あるよ……」
やっとのことで声を絞り出す。
話を聞かせて貰ったはいいものの、大山にはなんと声をかけていいかわからなかった。
街灯に囲まれ明るい公園で、暗い顔をした2人がしばらく無言で時間を過ごす。
「……私ね、大山くんのこと、ほんとにすごいと思ってるんだぁ」
結城が目を閉じながら口を開いた。
ハッと顔を上げる大山に、彼女は笑顔を浮かべて向き直る。
「だってさ、私みたいに演技をしているわけでもなく人気者で、優しくて……。人にために笑ったり、悲しんだりすることができるでしょ」
それを聞いた大山は、苦い顔をして首を振る。
そんな悲しそうな笑顔で褒められても嬉しくない。
「人のために笑ったり、悲しんだりすることができるのは結城さんも同じじゃないか」
結城は「私なんて……」と首を横に振った。悲しそうな笑みを浮かべて、ゆっくりと彼女は告げる。
「今日は、お別れをしに来たの」
「お別れ……?」
不穏な響きの言葉に思わず拳を握りしめて聞き返した大山に、「うん」と呟いて彼女は続けた。
「ずっと学校を休むわけにもいかないから、月曜日からまたちゃんと学校に行こうと思ってて。……だから今日は、弱気で不安な私と、この公園でお別れをしに来たの」
言葉だけ見れば、綺麗なことを言っているような彼女の顔は、しかし悲しそうな笑顔で歪んでいた。
「そんなことしなくていいじゃないか。だって、弱気で不安なその気持ちこそ、結城さんの本心でしょ?」
思わず口を挟む大山。体が急激に冷え込み、変な汗が滲むのを感じる。結城の笑っている顔から、不安しか感じないというのは初めてだった。
風に吹かれて、木々の葉がザワザワと音を立てる。
不安そうな顔で見つめる大山に、結城は悲しそうな顔で頭を振った。
「もういいの。親にも、学校の友達にも心配をかけたくないから」
目に涙を溜めて結城は続ける。
「……私なんて、消えてしまえばいい……! 結城栞菜という明るい外面だけ残して、内側を削って生きていけば誰にも心配をかけないですむっ……。誰も傷つかないですむ。私なんて――」
「俺は傷つくよ」
拳を握く握りしめて勢いよく続けざまにしゃべる結城の手を握って、大山はゆっくりと彼女の言葉を遮った。大山は苦しんでいる彼女に、とにかく必死で自分の気持ちを伝える。
「俺は、結城さんが無理をし続ける方が心配だし、結城さんが素で接してくれなくなるのは悲しいよ」
大山は結城の目を優しく覗き込んだ。
結城の手を包み込んでいる手に少し力を入れて、優しく彼女の手を握りなおす。
公園に吹いていた風が凪いで、一瞬全ての音が止まった。
結城は大山から目を逸らして、そのま夜空に視線を移す。しばらく空を見上げて、やがて諦めたような表情を浮かべた。頬を、涙が一筋伝う。
「……大山くんにだけは、会いたくなかった」
「……え?」
結城は言葉とは裏腹に、両手で大山の手を握りしめていた。鼻を啜って続ける。
「優しくて、親切で、私が困っているといつも助けてくれて……」
言葉を続ける彼女の顔が静かに歪む。
「私が素を出しても、全然明るくなくても、弱音を吐いても、なんでもないように受け入れて親身に寄り添ってくれて……」
結城は目に浮かんだ涙を拭う。
大山は静かに空を見上げて、彼女が続きを言うのを待った。
夜空の端の方にいたはずのペガサスは、いつのまにか空の中心を陣取っている。それなりに長く公園にいるからそれも当然か、と1人納得した。
どれくらい無言で夜空を眺める時間が過ぎただろうか。
落ち着いたのか、結城は本当に不思議そうな顔で大山を見つめて言った。
「……どうして、私が苦しんでいる時に限っていつも私の前に現れるの……? 今日大山くんに会いさえしなければ、私は本当の自分なんて諦めて生きられたのに……」
星の巡り合わせとしか言いようがない。彼女が自分を捨てる前に話ができて本当によかった、と大山は思った。
「どうして、と言うのは、俺にも運が良かったとしか言いようがないけど」
そう言って大山は頬に涙の軌跡を残す結城の顔を見つめる。俺は今日ここで君に会えた時、これは運命だと思ったんだ。
「俺は、絵を描くときに結城さんが浮かべる、本当に楽しそうな笑顔が好きだ。褒められた時に照れたように笑う顔も、俺がふざけた時に浮かべる困ったような顔も、揶揄われた時に浮かべる拗ねた顔も、全部好きだ。自信のない結城さんも、弱音を吐く結城さんも、俺は大切に思ってる。だから、神様が俺に結城さんを思いとどまらせるためのチャンスを与えてくれたんじゃないかなって思う」
……流石にちょっとクサすぎるかな、と大山は頬を掻きながら、恥ずかしそうに笑った。
「だから、本当の自分とお別れするなんて、寂しいことを言わないで欲しいな。困りごとがあるときや、頼まれごとを断れなくてどうしようもなくなったときは、遠慮なく俺を頼ってくれていいから」
大山は真剣な表情で結城の顔を見つめた。大丈夫だよ、と言う気持ちを込めるかのように、ぎゅっと結城の掌を強く握る。
「なんで……。なんで、いつもそんなに優しいの……」
せっかく泣き止んでいたのに、結城は顔を歪めて再び涙をこぼした。大山の手を強く握りしめて、嗚咽をもらす。そんな彼女に、大山は無言で胸を貸した。
※
胸の中で嗚咽を漏らす彼女を、どれくらいの間抱きしめていただろうか。やがて落ち着いた彼女は、もぞもぞと大山の腕の中から顔を上げた。
「……ありがとう。そこまで私のことを思ってくれてる人がいるなんて、思っていなかった……」
そう言って、瞼の赤くなった顔で微笑む。
「……きっと、結城さんの家族や友達だって、君から本当の笑顔がなくなれば悲しむはずだよ」
大山の言葉に、結城は静かに目を瞑った。結城はしばらくそのまま目を瞑っていたが、やがて穏やかな口調で呟いた。
「わかった、お別れするのはやめにする」
それを聞いて、明らかにホッとし表情で胸を撫で下ろす大山。「よかった……」とこちらも静かに呟く。
「もし、また私が自暴自棄になったら、大山くんが助けてくれる……?」
上目遣いで大山の顔を伺う結城。
大山は力強く頷いた。
「もちろん! でもできればそうなる前に頼って欲しいな」
「……うん。そうさせてもらうね」
再度お互いに目を合わせて、笑い合う。
しばらくそのまま笑い合っていたが、結城が急に顔を赤くして口を開いた。
「……なんか、流れで抱きついちゃったけど、いつまでこうしておく?」
「え?」
結城の顔を見てもしばらくぼーっとしていた大山だったが、事態を認識した瞬間ものすごい速さで結城の体から身を離す。
顔を真っ赤にして大きな声を上げた。
「ご、ごめん! これは不可抗力というか、その、下心はなくて!」
「し、下心? 大丈夫、思わず抱きついちゃった私が悪いから」
思わず余計なことも口走ってしまう。
申し訳なさそうに恥ずかしがる大山に、結城はくすりと笑った。そして、顔を赤くしたまま続ける。
「さっきも、まるで告白みたいなことを言い出すんだもん。私を励ますためにあんなに褒めてくれて嬉しかったけど、本当にびっくりしたよー」
きゃー、と赤くなった顔を冬なのに手で扇ぐ結城。
大山もしばらく赤い顔で頬をかいていたが、
……ん? 告白みたい?
結城の言葉が引っ掛かって自分の言ったことを思い返してみた。腕を組んで首を傾げると、意外とすぐに自分がさっき結城に送った言葉が脳内再生された。
――絵を描くときに結城さんが浮かべる、本当に楽しそうな笑顔が好きだ。褒められた時に照れたように笑う顔も、俺がふざけた時に浮かべる困ったような顔も、揶揄われた時に浮かべる拗ねた顔も、全部好きだ。自信のない結城さんも、弱音を吐く結城さんも、俺は大切に思ってる――
雷が直撃したような衝撃が大山を駆け抜ける。
うわああああ!!?俺のバカ!好きって言っちゃってるよ。
必死だったのと、結城を少し落ち着かせることができて舞い上がっていたのもあって、ガッツリ好意を伝えてしまっていた。
「あ、え、えっと、これは……!」
思わず立ち上がりながら、慌てて体の前で大きく両手を振る。
そんな大山の様子に、結城がくすりと笑った。
「ふふ、大丈夫。本当に告白されたとは思ってないよ。大山くんは、小山内さんが好きなんだもんね」
「え!?」
驚いて声を出す大山。自分が小山内を好きだと言う結城の発言は、あまりに予想外なものだった。
動きを止め大山を他所に、結城は下を向いて大山に聞こえないくらい小さな声を出す。
「……本当に、誰にでも優しいんだから」
再度慌てたように手を振る大山。
「な、なんで? 俺と沙苗ちゃんは、別に何もないよ!」
誤解されてはたまったものではない。何より小山内に迷惑がかかってしまうので、本当に必死の形相で首を横に振った。
しかし残念ながら、その必死さが却って怪しさを生んでいる。
ニヤけ顔を作って結城は大山をからかう。
「ええー、隠さなくてもいいじゃない。だって大山くんって小山内さんだけ下の名前呼びだし、小山内さんのフォローもよくしているもの」
結城は哀愁を漂わせる表情で「見てたらわかるよ」と付け加えた。
大山は頭を抱える。気になってる人――いや、ここはもう好きな人と言い切ってしまっていいだろう――に告白まがいのことをしてしまったと思ったら、その人からは別の異性のことを好きなのだと勘違いされていた。
というか、高木以外の男子が小山内と脈が無いことなんて、2人とクラスが一緒になったことがあるならわかりそうなものだが。
「いや、沙苗ちゃ……えっと、小山内さんは俺以外に好きな人がいるんじゃないかな!? 結城さんも心当たりあるでしょ?」
焦りを隠せない大山に、結城はしれっとした表情で答える。
「うん。高木くんでしょ?」
「そうそう!」
大山はホッとした表情をして頷いた。
「だから俺は沙苗ちゃんのことは別に――」
「小山内さんが高木くんのことを好きだと分かった上で、好きなんでしょ?」
勘違いによる容赦のない結城の一撃。
ああ、もう!
「ちっが――ーう!!」
ご近所迷惑にならないギリギリの声で大山は叫んだ。自分はともかく、純粋に高木を思う小山内まで変な目で見られるのはたまったものではない。
びくり、と肩を振るわせる結城の肩を掴んで、大山は赤い顔を向けた。
「結城さん! 弱っている女の子に告白するのは卑怯な気がするし今日はやめとこうかなと思ってたけど、背に腹は変えられない。もうどうせさっき告白まがいのことを言っちゃったし、ちょっと覚悟してもらうよ」
「は、はい! え、? 告白?」
大山に肩を揺さぶられて、目を白黒させる結城。大山は大きく息を吸った。
「俺が好きなのは、結城栞菜さん、あなただ!」
夜の静かな公園内に大山の声が響く。
「え、え!? 私?」
しばらくして、顔から火を吹きそうなほど顔を赤くした結城がうわずった声を上げた。
大山も自分の顔が真っ赤になっているのを感じているが、勢いのある今のうちに思いを伝えんと声を上げる。
「今日結城さんと会えたとき、俺は運命だと思ったんだ。俺は、結城さんの力になりたい。そばで君の笑顔を見たい。君と――」
「ご、ごめん、ちょっとストップ」
結城が大山の口に手を当てる。その顔は真っ赤になって震えていた。
「それ以上言われると、私が茹であがっちゃうから……!」
結城は大山と目を合わせようとして、やっぱり恥ずかしそうに目を逸らした。
このやり取りで少し冷静になったその大山は、湯気をあげそうなほど顔を赤くして座り込む。そのまま顔を覆ってしまった。
「……ぅあぁぁ……」
あまりの恥ずかしさに悶絶している。
今日何回目とも知れない、2人とも無言になる時間が流れた。
真っ赤な顔をしてお互いに顔を逸らす2人。
先に落ち着いたのは、結城の方だった。大山の正面に自分もちょん、と座り込む。結城は、まだ少し赤い顔にちょっとだけ不安そうな表情を浮かべて大山に尋ねた。
「……い、今の告白、本気なの?」
大山は顔を押さえて座ったまま、かなり小さな声で答えた。
「……うん、本気だよ」
このまま恥ずかしがっていてはいけないと、大山は顔を赤くしたまま結城と目を合わせる。そのまま真剣な表情で口を開いた。
「だから、もし嫌じゃないのなら……。結城栞菜さん、俺と付き合ってください」
大山は恥ずかしくて再び逸らしそうになる目を、必死に頑張って結城の目と合わせ続けた。
しばらくして、結城から小さな声が漏れた。
「どうして、私なの……?」
結城が困ったような、嬉しいような、不思議そうな、そんな複雑な気持ちを感じさせる表情をする。
「クラスが変わってから、お互いあんまり関わってなかったのに……?」
「最近関わりがなかったことは、ごめん。でもたまに見かける結城さんに元気をもらってた」
笑みを浮かべながら答える大山。
「でもっ、でもっ」と結城は不安そうな表情で続けた。
「私より笑顔が素敵な人だってたくさんいるんだよ……?」
眉の下がった顔で大山の顔を見る。
「どうして……」
大山は真剣な表情を崩さずに答えた。
「俺が好きになったのが、結城さんの笑顔だったから」
理由なんてわからない。気がつけば気になっていた。今日話をしていて、いつのまにか好きになっていたことに確信が持てた。
「……! 私なんて、最低だよ……! 人の目を気にして、勝手に自分で自分を追い込んで、挙げ句の果てに学校を休んであなたに心配だってかけて……!」
結城の目にみるみる涙がたまる。
「そうかな?」と大山は返した。
「でも、そんな君が好きなんだ。俺は君のことを最低だなんて思わない。それに俺は、そんな君だからこそ支えたいんだ」
強い決意を込めて彼女を見つめる。大山は、勢いに任せていたときは恥ずかしくてうわずっていた自分の声が、いつのまにか普段と同じ落ち着いたものに戻っていることに気づいた。
穏やかな表情の大山に、目に涙を溜めたまま結城が言葉を投げる。
「で、でもっ……! 大山くんは優しいし、かっこいいし、きっと私なんかよりもっといい女の子が見つけられるはず……」
大山はゆっくりと首を横に振った。
「でも、俺が好きになったのは結城さんなんだ」
そう言って立ち上がり、同時にしゃがんだままの結城の手を取って、立ち上がらせる。
キュッと片手を自分の胸に押し当てる彼女に、大山は穏やかな表情で続けた。
「……だから、俺の初めての彼女になってくれませんか?」
そう言って自分の手を彼女に前に出す。
「もし俺と付き合ってくれるなら、この手を取ってください」
上気した2人の頬を、夜の風が優しく撫でていく。結城が引き寄せられるように大山の手へと自分の手を伸ばし、引っ込めた。
潤んだ目で大山の目を見つめる。
「……本当に、私でいいの?」
大山は安心させるように優しく頷く。
「むしろ結城さん以外考えられないよ」
キュッと目を瞑って、まだ大山に言葉を投げかける結城。
「……付き合ってから、後悔しない?」
「しないよ、絶対に」
大山は強い気持ちを滲ませる声で答えた。
「……」
「……」
「私も……」
少しして、結城がおずおずと大山の手を取った。
「こんな私でいいのなら……私も、あなたと付き合いたいです……。私も、大山くんが好きだから……」
大山が今まで見た中で一番美しい笑顔を浮かべた結城の頬を、一筋の涙が伝っていった。
しばらくその表情に見惚れていた大山は、やっとのことで掠れた声を絞り出す。
「……やった……。これからよろしく、結城さん」
足の力が抜けた大山は、思わずその場に座り込んだ。
「はは……。緊張した~」
そう言って破顔する大山。嬉しくて体が震えてくるのを感じる。
結城はそんな大山の横にしゃがみ込みながら、
「ごめんね、私が変な勘違いをしたせいで告白までさせちゃって」
と申し訳なさそうな顔をした。
そういえば、告白しようと思ったきっかけはそれだったな、と大山は思い出す。人生初めての彼女ができた嬉しさで忘れていた。
「ううん、むしろそれのおかげで素敵な彼女ができたから、結果オーライだよ」
そう言って大山は笑みを浮かべた。結城も照れたような笑みを浮かべる。
しばらくそうして、2人で座りこんでいたが、程なくして結城の携帯が着信を告げた。ハッと公園内の時計を見上げて、結城が青ざめる。
「いけない! 時間!」
時計を見上げると、時刻は10:20を迎えようとしていた。大山は19:30にならないくらいの時刻に公園についていたはずだから、かれこれ3時間近く公園にいたことになる。
「ごめん、お母さんからの心配の電話だと思う。とりあえず電話に出るね」
そう言って慌ててスマホの通話ボタンを押す結城を見ながら、今日はやたらと話し相手に電話がかかってくる1日だなあ、とぼんやりと考える。しかし、そもそも小山内と結城のどちらのパターンも、彼女たちを大山が長く拘束しすぎたせいで、帰りの遅い彼女らを知り合いが心配した結果、電話がかかってきたのだということを思い出した。大山は内心で1人反省する。
しばらくして、電話を切った結城に大山は申し訳なさそうな顔をして尋ねた。
「お母さん、怒ってた?」
「ううん、近所の公園で知り合いと一緒にいるって言ったらそんなに。でもそろそろ帰ってきなさいだって」
結城は少し残念そうな表情を浮かべた。
「もう少し一緒にいたかったな……」
潤んだ目で大山の顔を見上げる結城。
え?何この表情。可愛すぎるんだけど。
大山は内心の動揺を隠すように、結城手を取った。
「家まで送っていくよ。ゆ、結城さんさえ良ければ、このまま手を繋いで」
少し声がうわずってしまった。せっかく格好つけたのに失敗してしまい、カァ~っと顔が熱くなるのを感じる。
そんな大山を見て、くすりと笑う結城。
「勇気を出して手を握ってくれてありがとう」
そう言っていたずらっぽい目を大山に向ける結城。
「こうやって手を繋ぐとちょっと恥ずかしいね。さっきまで何回も流れで手を繋いだりしてたのに」
結城は赤い顔のまま、恥ずかしそうにニッと笑う。その表情にまたドギマギしてしまった大山は、
「はは……。敵わないなあ」
と笑って結城の手を握り直した。
「ふふ、それじゃあ、行こっか!」
そう笑って、結城が大山を引っ張って歩き出す。
2人はゆっくりと結城の家に向かって歩き出した。
帰り道では、どうやったらこれから結城が無理しなくて済むかを話し合った。流石に高校生活の半分以上を明るいキャラで通しているのに、いきなりキャラを素に戻すのは厳しいということで、まずは断れることは断るということから始めていく、ということに決まった。それに慣れたらちょっとずつ素でいる時間も増やしていくという形で、ステップを踏んで変わっていこうという方針だ。
同時に、どうしようもなくなる前に大山に相談する、というルールも取り決めた。
しばらく休んでいたわけだし、来週から普通に学校に通い出すというのは緊張するだろうと大山は心配したが、
「ううん、大丈夫。そのかわり来週の5日間私がちゃんと高校に通えたら、次の土曜日デートしてほしいな」
結城のお願いにより、頑張ってみようということに決まった。大山も土曜日に結城を楽しませることができるように、帰ったら早速デートプランを練る事を決めた。
ゆっくり歩いていたのだが、とうとう結城の家の前まで辿り着いてしまった2人。
結城は名残惜しそうに大山の手をキュッと握った。
「着いちゃったね」
「そうだね」と相槌を打つ大山。
街灯に照らされた2人の影が、くっついて寄り添あっているように見える。
離れたくないなあ、と思いながら、大山はゆっくりと結城の手を離した。
「また、月曜日」
そう言って大山は結城に手を振る。結城も、少し寂しそうな笑顔で手をふり返した。
「うん、またね」
そう言って大山に背を向けて家のドアを開けようとする結城。そのタイミングで良いことを思いついた大山は、結城の背中に慌てて声を投げた。
「月曜日に迎えにきてもいいかな?」
振り返った結城の顔がパッと明るくなる。
「うん! うん……! ありがとう、一緒に学校に行きたい!」
花のような笑顔を浮かべる自分の彼女を見て、大山はニヤけそうになる頬を手の平で必死に抑えた。
やっぱり、笑顔が好きだなぁ……
「じゃあ、7:20くらいに迎えに来るから」
「わかった! じゃあ準備して待ってるね」
そう言って結城はドアに手をかけて、もう一度振り返る。
「大山くん!」
「うん?」
大山は返事をして、いたずらっぽい顔を浮かべて振り返った結城の次の一言をまつ。
「ううん、なんでもなーい」
結城はそう言って、いたずらっぽい表情のままドアを開けてその奥に消えていった。
……一体なんだったんだ、と思いながらも、ふっと笑った大山の前で、再度結城の家のドアが開く。
「大好きだよ……!」
そう一言だけ言い残して、今度こそ結城はドアの中に入っていった。
大山は赤い顔のまま立ち尽くす。
完全にしてやられた。
恥ずかしさと悔しさ、それを遥かに超える嬉しさで口元が歪むのを、必死に服の袖で隠す。
大山は、
「俺も、大好きだよ!」
と少しだけ大きな声で結城の家のドアへ言い残して走り出した。結城に聞こえるわけでも無いだろうが、言わずにはいられなかったのである。今にも叫び出したい衝動を抑えながら、とにかく気持ちの昂るままに大山は家まで走って帰ることにした。
家のドアの裏に背中を預けて大山の様子を伺っていた結城は、大山の気配が家の前から消えたのと同時に座り込んだ。
――俺も、大好きだよ!――
大山の声が何度も頭の中で響く。
あんなに怖くて行きたくなかった学校に、早く行きたくて仕方がなくなっていた。早く月曜日にならないかな……。そうしたら大山くんに会えるのに。
結城は完全に緩んでしまった頬が元に戻るまで、胸の前でキュッと手を握りしめて座り込んでいた。
※ ※ ※
「智史! 見てくれよこれ!」
帰りのHRが終わった直後、大山は自分の前の席に腰掛けた高木から話しかけられた。興奮した様子で大山に迫る高木。その手にはスマホが握られていた。
「どれどれ?」と言いながら大山は高木のスマホを覗き込む。
「えーっと……? カラオケ会員限定サービス、ソフトドリンク付きフリータイム1000円、期間は10/9から10/11まで。今日を含めた金土日の3日間か」
「な! すごいだろ? これはもう明日行くしかないじゃないか」
目を輝かせて高木が言う。完全に明日大山と遊ぶつもりでいる高木に、大山は少し困った笑みを浮かべた。申し訳なさそうに口を開く。
「……悪いけど、明日は絶対に優先したい用事があるんだ」
大山の返事に高木は眉を上げた。スマホをポケットにしまいながら、意外そうな顔で言う。
「珍しいな、智史が土曜日に用事だなんて。バイトでも増やしたのか?」
「そういうわけでもないんだけど、明日は彼女との初デートなんだ」
大山は両手を顔の前で合わせてから頭を下げた。
結城は先週に交わした約束を守って、月曜日から今日までちゃんと学校に通っていた。この1週間、大山は毎日結城と一緒に登下校している。今日の放課後も一緒に帰る約束をしているので、もう10分くらいで結城が大山の教室まで迎えに来るだろう。
高木は目を閉じてゆっくりと大きく2回縦に首を振った。
「うんうん、彼女との初デートなら仕方ないな」
そこまで大真面目な顔を作って言った後、ニヤけ顔になって高木は続ける。
「……で、本当の理由はなんなんだ? うん?」
大山に彼女ができたことを全く信じていない様子の高木に、まあそうだよな、と大山は苦笑した。
このタイミングで彼女ができたなどと言われたら、冗談ではぐらかしていると思うのも仕方ないことなのかもしれない。
……でも、冗談じゃないんだよなあ。ありがたいことに。
大山は顔が勝手にニヤけそうになるのを隠すため、あえて自慢げな顔を浮かべた。
「ふっふっふ、本当なんだなー、これが。この度、大山智史は未熟ながら結城栞菜さんとお付き合いをさせていただくことになりました!」
立ち上がって高木にサムズアップをする。
教室中あちこちからパタパタと物を落とす音が鳴った。
シーンと静まり返る教室。
……え?なにこれ。何でみんなこっち見てるの……?
「はは、またまた~。お前も粘るな」
1人だけ空気を読まずに笑っていた高木だったが、いつまで経っても冗談宣言をしない大山を不安そうに見上げて、
「……え? まじ……?」
と、ポカーンと口を開ける。
高木の一言を皮切りに、教室のあちこちから悲鳴が上がった。
「えっーー!? そんな、結城栞菜って、あの別のクラスの!?」
「わ、私中学の頃からずっと好きだったのに……」
「栞菜ちゃん……! 大山君と2人で登校しているのを見たから、疑わしいと思ってたら……! え、いつから付き合ってるの?」
「うぎゃーー、俺の結城さんがーー」
「結城さんの相手がお前なら文句はない……。大山、俺の分も彼女を幸せにしてやってくれよな……!」
「いいや、俺は絶対に認めないぞ。大山め、俺の嘆きのデコピンを喰らえ……!」
「智史! お前、親友の俺に何の相談もなく!」
数人の女子と男子が絶望の声をあげた。その場に座り込んで泣き出す女の子すらいる。そうでない生徒も、教室残っていたクラスメイトは全員が興味津々と言った様子で大山を見つめた。
阿修羅のような顔をした高木に肩を揺さぶられながら、自分の招いてしまった事態に冷や汗を流す大山。高木にだけ報告するつもりだったのに、なぜこんな事態になってしまったのか。テンションが上がって立ち上がってしまったのがいけなかったのかもしれない。
まずいぞ、と大山は考えていた。もう数分と経たずに結城が大山の教室に迎えに来る頃である。このままでは2人揃ってクラスメイトから質問責めに合うことになるだろう。流石に自分のせいで結城を矢面に立たせるのは申し訳がない。こうなったら教室から脱出してこちらから彼女を迎えに行くしかない、と考えて、大きく息を吸い込む。
「――あっ! UFO!」
大山っは大声を出して窓の外を指差した。釣られてクラスメイトが一斉に窓の外を向く。阿鼻叫喚となっていた教室が静まったその一瞬の間に、大山は教室のドアの前まで移動した。
「あ、大山が逃げたぞ!」
再び地獄絵図の様相を取り戻す教室。
クラスメイト達が大山を捕まえようとにじりよるところに、高木がすかさず間に入った。
「あんなさむい死語を使ってまで教室を抜け出そうとしたんだ。多分結城さんと帰る約束でもしてるんだろ?ここは俺が抑えるからお前はいけ!」
「陽仁……!」
顔だけ振り返ってサムズアップを浮かべる親友に、大山は涙を浮かべた。
両手を広げて四股を踏む高木。
「命に変えてもここは通さん! 文句がある奴はかかってこい!」
「おのれ高木……! お前もいつも小山内さんと仲良くしやがって、許せんと思っていたんだ! 覚悟しろ!」
「は? 何言ってるんだよ。俺と沙苗はただの幼馴染――あ、ちょ、痛い痛い。ちょっとは手加減して! お願いします!」
高木を囲んで容赦なくデコピンを加えていく男子たち。親友の犠牲を無駄にするわけにはいかない。大山は大急ぎでドアを開けて教室から出た。
ドアを出た瞬間に、ちょうど大山たちの教室の前まで来ていた結城から声をかけられる。
「お待たせ。どうしたの? ……なんかただならない様子だけど」
廊下まで響いている教室の喧騒。中でどんな異変が起こっているのか教室のドアを開けて確認しようとする結城を抱えて、大山は誰もいない廊下を走り出した。
「わ、きゃっ」と悲鳴をあげる結城。
廊下を走るのはよくないことだけど、先生、今だけは許してください!俺は親友の犠牲を無駄にするわけにはいかないんです……!
「ちょ、ちょっと、恥ずかしいよ。突然抱え上げたりして本当にどうしたの?」
「ごめん、説明は後で。陽仁が命を張ってくれているんだ。俺たちも、今捕まったら多分やられる……!」
「え? ……ふふ、なにそれ」
大山に抱えられながら、くすりと笑う結城。そのまま、恥ずかしそうに顔を赤くした。
「……ただ、嫌なわけではないんだけど、抱き抱えられるのはやっぱり恥ずかしいよ」
「ご、ごめん。脱靴場についたら降ろすから、それまで我慢して欲しいな」
同じように赤い顔で大山が謝る。
「大丈夫だけど……。私、重いでしょ? 大変じゃない?」
「いや、全然重くないよ。思ってたよりも軽くて驚いてるくらいだ」
不安そうな顔で尋ねる結城に、少し息を切らしながら大山は答えた。
直で当たっている胸から結城の鼓動を感じる。重さよりむしろ、ドキドキしてしまっていることを表情に出さないようにすることの方が大変だった。
そんな事を考えているうちに、やっと脱靴場に着いた。
追手は来ていないしここまでくれば大丈夫だろう、と大山はホッと一息つく。陽仁には今度焼肉でもご馳走させてもらおう。
「ひゃー、誰ともすれ違わなかったけど、恥ずかしかった」
大山の腕から降りた結城は、自身の赤くなった顔を手で扇いだ。
2人とも靴を履き替えて、学校を出る。校門に向かって歩きながら、大山は結城に言った。
「1週間、頑張ったね。お疲れ様」
大山に褒められて、嬉しそうに結城は笑う。
「ありがとう。特になにかを頑張ったっていう気はしないんだけどね」
そう言って、夕焼け空を見上げる結城。
「大山くんと一緒に登下校するのが楽しくて、1週間なんてあっという間だった。頼まれごとを断るのに罪悪感を感じたのも最初の2日間だけで、慣れてしまえばすごく過ごしやすくなったし」
それを聞いて大山はホッとしたように笑った。
「学校を過ごしやすいって思えているならよかった。俺も結城さんと一緒に登下校するのが楽しいよ」
2人は夕焼けで赤みを帯びた校門を通過した。
結城が夕日のせいか赤い顔で上目遣いをする。
「明日のデート、楽しみにしてるからね」
「俺も楽しみにしてる。頑張ってエスコートするからまかせて」
大山は自身ありげに答えた。彼女を喜ばせたくて、この1週間一生懸命デートプランを考えたのだ。高木と2人でデートコースの下見にも行った。……もちろん高木はデートの下見だったなんて知る由もなく、ただ男同士で遊んだだけだと思っているが。
大山は、静かに結城の赤い顔を見つめた。
俺は、何回だって君を笑顔にさせてみせる。
「ありがとう、嬉しい」
そう言って本当に嬉しそうに笑う結城。
「結城さんは、本当にかわいいね」
大山の言葉に、結城は顔からボッと音がするんじゃないかいうくらい一瞬で顔を赤くした。
「べ、別にわたし、かわいくなんか……!」
下を向いてゴニョゴニョ口を動かす彼女に、ほらやっぱりかわいい、と大山は思った。少しいたずら心が湧いて、この前の仕返しをせんと追い討ちをかける。
「大好きだよ、栞菜」
「……もう!」
結城は赤い顔をして大山の二の腕を軽く叩いた。真っ赤な顔で大山を睨みつける。目で頑張って睨みつけていても、頬が緩んでしまっているため全然迫力がない。
「ねえ、からかってるでしょ。下の名前呼びはまだダメ! 禁止! 私の心臓がもたない!」
「えー、残念。でもそうやって怒ってる顔も可愛いよ」
本気で恥ずかしがる結城に、悪びれる様子もなく笑う大山。
「~~っ……! もう……! 智史くんのばかっ」
そう言ってキュッと大山の右腕の裾を掴む結城。彼女の反撃に、今度は大山が赤くなる番だった。
そうやって、どっちかが赤くなったり反撃をしたりを繰り返しながら、やがてどちらからともなく手を繋いだ。和やかな笑顔を交わしながらゆっくり歩く2人。
そんな2人の様子を未だに騒がしい教室の窓から見つめながら、小山内は目を細めた。
「よかったね、大山くん」
1週間前の大山は自分の気持ちにすら気づいていなかったというのに、人と人との関係というのは、時にたったの数日で変化する。
「相談に乗ったつもりが、逆に勇気づけられちゃったな……」
そう言ってから、教室で未だにデコピンを喰らわされ続けている高木に視線を移してつぶやく。
幼馴染という関係を、恋人という関係に変化させることもできるだろうか。
「私も、頑張らなきゃ」
小山内は、もう窓から見えなくなりそうなところを歩く2人に再び視線を戻し、静かに拳を握った。
やがて小山内と高木も付き合い始めて、大山と結城のカップルと長く交流していくことになるのだが、それはまた別のお話である。
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前回投稿した『幼馴染同士で結ばれるありふれたお話』では、キャラの掘り下げがあまりできなかったため、今回はそれぞれのキャラとのやりとりを設けてみました。しかし、それがかえってテンポの悪さにつながってしまったと反省しております。これからも悪かった点を考えて、より良い作品を書けるように努めてまいりたいと思いますので、もしよろしければよかった点、悪かった点などの指摘をいただけると嬉しいです。