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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
5.ロッカーの隣人
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451は閉ざされた(2)

「来た来た、来ました」受付係はまた左坂ひだりざか氏だった。彼はにやにや笑ってパイプ椅子をきしらせた。「お袋さんから伝言を預かってるよ。『二人とも、うちに帰ったら覚悟しときなさい』って」

「何のことですか?」センはすっとぼけた。

「さっきお袋さんが服返しに来た時、言ってたの。ここには一歩も近付くなって言っといたけど、どうも信用できないから、もし来たら追い返してくれって」


「信用?」ゼンは急に目を細めた。それから恐ろしく低い声で、「クソ食らえだ」と付け加えた。


 センとリンが呆気に取られて見つめると、ゼンは笑って、「そういう顔すんなよ。ご愛嬌じゃないか」

「お前さんは不良だな」左坂は面白そうにゼンを見た。

「昔はね。今は違う」

「弟くんはいい子だな」左坂はセンを見る。

「育ちが違うからさ」とゼン。


 しかし左坂はそこの所は追及しないで、「泳ぐのか?」と聞いた。


「できれば」センは真剣に言った。

「残念だけど、俺としても勧められない」左坂はちょっとだけ真面目になって言った。「今日来るのもどうせ昨日と似たような顔ぶれだ。犯人……という言い方も変だけど、あんたの服を盗んだ奴はまたここに来る可能性が高いよ。あんた、今度は服じゃ済まないかもしれないよ」


 センはきょとんとした。


「左坂さん、この子何も分かってないんだよ」ゼンが相棒の肩に手を置いて言った。「自分が誰かの恨みを買って、嫌がらせされたと思ってるんだ」

「そうじゃないのか?」センは不思議そうにゼンを見た。

「うーん」左坂は受付の台に頬杖をついてセンを見上げた。「あんま大きな声じゃ言いたくないけどさ……君みたいな若い男の子の服を欲しくなるような、変な奴が、たまにいるんだよね。分かる? 頭がおかしんだよ。下着ドロボウって聞くだろ? ああいう奴。病気なのさ。あんたそういうのに目を付けられてるかもしれない、だからみんな心配してるんだよ。ただの嫌がらせとか、無差別的な犯行ならいいんだけどさ。嫌な世の中になったよ。昔はこんな事で大騒ぎする事なんかなかったけど、ここ二三年、いろいろ……まあ、あちこちのプールでいろいろあってさ……」


 センとリンには何の事か分からなかったが、ゼンは記憶にあった。左坂がほのめかしているのは、二年か三年前に首都のはずれで起こったストーカー事件の事だ。その事件も、始まりは衣服の盗難だった。しかし被害者が男性だという事で、プールの管理者はあまり深刻に受け取らなかったのだ。そのせいではないだろうけども、結果として、殺人事件になってしまった。死んだのは加害者だった。被害者側の過剰防衛である。


「ま、俺のせいじゃないけどさ、プール側としては、君には申し訳無い事したと思ってるよ」左坂は神妙になって言った。「もちろんうちのプールが何悪い事したってわけでもないけどさ。君はすごく嫌な目に遭わされたんだよ。そしてこれで終わりという保証も無い。脅かすようで悪いけど。しばらくはここに来ない方がいい、俺もお袋さんに賛成だ」


 ゼンはストーカー事件の結末を思い起こすと、もう何も言えなかった。リンもゼンの顔色が変わったのを見て、これが遊びではない事に気付いた。しかしセンは、言われた事を全部頭の隅に押しやって、昨夜から用意していた屁理屈を並べ出したのだった。

「あの――左坂さん。それは充分、分かりましたけど――おれ達三人は、友達なんです」

「ああ。敵同士には見えないな」

「だけど、この三人の他に、実は仲間がもう一人いるんです」センは受付の正面に立ち、揺るぎない鮮やかな目で左坂の目をじっと見下ろした。その視線が一瞬たりとも逸れないので、左坂はどきりとし、何やら後ろめたいような気持ちになった。

「そいつは遠くに住んでて、ほとんど連絡が取れないんです。家が大変で……辛い生活をしてて……たまに手紙が来ても、なんにも書いてなくて……ただ、四人で約束したんです。その、――探偵団になろうって」


 左坂は笑わなかった。「ふーん」と低く言った。


「そいつを楽しませてやれるような話題が欲しいんですよ。真似事でいいんです。手紙に何か面白い事が書ければいいんです。ロッカールームとプールの中を『調査』させてもらえませんか」


 ちなみにセンの言っている事はどれ一つ取っても嘘ではない。三人には確かにダンと呼ばれる友達がいて、辛い生活を送っているのが本当なら、探偵団になろうと言ったのも本当だった。しかし、勿論これはダンをだしに使ったセンの屁理屈だ。センは意図的に事実の一部を伏せる事で左坂の誤解を煽っている。これが嘘をつかずに人を騙すという事なのだ。


「まー……」左坂は居心地悪そうにセンから目を逸らして、「……そういう事ってお袋さんには言いづらいよな。うん、いいよ、そういう事なら。ただし俺が付き添うからね。一応お袋さんと顔も合わせてる事だし、責任があるから。プールん中も服のまま『調査』すりゃいい。泳ぐ必要は無いんだろ?」

「ああ、はい。――いいよな?」センは他の二人を見た。二人は黙って頷く。ゼンは笑いをこらえて大真面目な顔をしており、リンは無意味に微笑んでいた。


「ちなみにその友達って奴の名前は?」左坂は立ち上がりながらさり気無く鋭く聞く。

「名前? どうして知りたいんですか?」センは単純に聞き返した。

「いや、なんとなくね」左坂は、一瞬さぐるような目をした。センの屁理屈をまるっきりのでっち上げではないかと疑って、カマをかけているのだった。「で、なんて名前なのそいつ? どこに住んでる? 何歳?」

「もうすぐ十九歳です。首都に住んでて――」センは、言ってしまってから、まずいと思った。歳と住む場所を言ってしまったら、名前だけ伏せる理由がない。しかし、ダンからは俺の名を外に漏らすなときつく言い渡されている。ダンは闇町で暮らす人間で、ゼンの父親の上司だった。ちょっと口を滑らせて言った事が、どんな経路でどんな人間に届くか分からない。闇町は堅気の人間が関わってはならない暗黒の場所なのだ。


 根が素直なセンは、とっさに適当な名前をでっち上げる事も思いつかなかった。頭が真っ白になり、何も言えなくなった。しかし黙っていれば沈黙で答えた事になる。進退きわまった一瞬、すかさずゼンが割り込んだ。

「アルセーヌ・ルパンです」

 タイミングが良かったので、左坂は吹き出した。「へいへい。よう分かりましたよ」

「信じてないな」

「え、何を信じろって?」

「ルパンは空手と柔道の達人なんだよ?」

「そうそう、相方が次元大介って言ってな」


 左坂は奥で事務をしていた人に受付を頼むと、脇の扉から出てきた。立ったところを見ると、思ったよりも背の高い男だった。何かスポーツでもしているのだろうか、たくましい腕っぷしで肩幅もがっちりしている。しかし、どことなく不健康そうだった。吐く息が煙草臭いからかもしれない。


 左坂と三人の少年はぞろぞろと男子更衣室に入った。更衣室は特に変わり映えしなかったが、例の451番ロッカーにだけは「故障中・使用禁止」という張り紙がされて鍵が掛けられ、鍵穴もコインの投入口もガムテープで塞がれていた。「今んとこ何が原因か分からないから」と左坂は説明した。


「このロッカーにだけ開けやすいような欠陥があるかもしれないって事か?」ゼンは腕組みして張り紙を見上げた。

「まあ、そんな事はあるめえとは皆思ってるけど。一応、念の為、だな。それに犯人にプレッシャーをかけるって意味もある」

「プレッシャー?」リンが怪訝そうに聞き返した。「どんなプレッシャー?」

「俺達はてめえのやった事を重大に受け取ったぞ、っていうプレッシャー。いたずらのつもりでやったんだったら、今度からやめてもらいたいって事さ」

「いたずらか……」センは手近な空きロッカーの扉をパタパタさせながら考えた。「そうだな。結局何も盗られてないわけだし、犯人の目的が分からないよな」

「本当に何も盗られてないの?」左坂は振り返ってじっとセンを見下ろした。

「全部あったんでしょう? 財布もカードも」

「あったけどさあ、君、自分で確認した?」

「……いいえ、まだ。母が帰ってくる前に出てきたんで」

「自分でしか分からないような物が盗られてる可能性もあるんだよ。カードが勝手に使われてるかもしれない。残額百五十七円だったけど、それで良かった?」

「ええ、それくらいでした」

「他に何かない? ポケットには何か入れてなかった?」

 センは首を傾げた。「……なんにも、ないと思いますけど……」

「だとしたら反って不気味な話だよな」ゼンは呟いた。「なんにも盗られなかったなんてさ。よっぽど小心者のドロボウだったのかね。服まで盗んだくせに?」

「見えてこないね、犯人が何をしたかったのか」リンは左坂にコインを一枚借りて、目の前のロッカーを開けたり閉めたり、ゆっくりと繰り返していた。「盗んだって事は、欲しかったんだろう? でなきゃ、センを困らせたかっただけか。……お金が欲しかったんなら財布だけ持っていくはずだよね、センは財布を一番上に置いてたんだし。僕に財布を見せて、その後すぐ閉め――」リンは言葉を切った。彼の目は見開かれた。「セン! 財布の中に何か入れてたよね? 僕にいい物くれるって!」

「ああ、そうだ。入れてたな」センは左坂を見た。

「何?」

「これっくらいの金属のプレートで、Rって書いてあるんですけど」センは指で大きさを作った。

「ああ、入ってたよ」左坂の答えはあっさりだった。

「入ってた? 盗られてなかった?」

「うん。入ってたんだから、盗られなかったんだろ」


 皆は黙り込んだ。カチャン、とリンは一度閉めたロッカーを再び開け、出てきたコインをつまみ上げた。


「コインに仕掛けが?」リンはコインを天井の明かりにかざして目を細めた。コインは銀色で、裏表に『桜城町民第一プール』と刻まれていた。「これって、同じ大きさのコインならなんでもいいんですよね?」

「正直な話、そうだな」左坂はちょっと低く言って笑った。「ゲーセンのコインとかでも使えるよ。大きささえ合えば」

「そういういたずらってありますか?」

「無いわけじゃない。世の中には人を困らせるためだけに困らせるような奴もいるからな。とんでもないもんが入ってると困るから、お客さん帰ったあと閉まってるロッカーがあったらマスターキーで開けるんだそうだ。大抵は空だってさ。俺はここのバイト始めたの今月からだから、これは聞いた話だけど」

「この……中が見れるといいんだけどな」リンは鍵穴を指でトントンと叩いた。「一つ分解しちゃいけませんか?」

「そりゃさすがに駄目」

「必ず元に戻すから。僕、得意なんです」

「駄目駄目」

「つまんなぁい」


 少年達は少しのあいだ更衣室をうろうろしたが、それ以上収穫は無かった。そこでやはりぞろぞろと、プールサイドに出て行った。


 プールの様子も昨日とあまり変わらなかった。少し人が少ないのは、まだ午前中だからだろう。三人の少年と左坂氏はプールサイドを一周したが、特に何を調査するでもなく、本当にただ一周しただけだった。調査すべき事は何も無かった。リンは吉井モモを見つけた。声をかけると、今日も家に嫌な客が来ているのでわざわざプールに来たとのこと。


「その、嫌な客って誰なのさ」

「おじいちゃんだよ」モモはゴーグルの曇りを取りながら、ちょっと顔をしかめた。「いい歳してバアちゃんと喧嘩」

「へーえ。それで娘の家に逃げてくるの?」

「オレの母親も相手にするから悪い」

 それからモモは服を着たままのリンをじっと見上げた。「リンは、何してんの?」

「調査」

「調査?」

「昨日、センの……美生みき千二せんじの、服と財布がロッカーからなくなったんだ。で、夜になってから元の場所に戻してあったんだけどね。で、まあ、ちょっとした謎の事件ということで、僕ら探偵団は……」

「探偵団? なんか、古くさいな」

「黙りたまえ。僕らは必ず犯人をつきとめてみせる」

「へー。がんばれ」モモは気の無い口調で応援した。「でも、元の場所に戻してあったんだろ?」

「うん」

「じゃ、事実上何も被害はなかったわけだ」

「まあね」

「じゃ、ただのイタズラじゃないか。犯人なんか分かるわけない」

「でもね、せめてどうやって鍵のかかったロッカーから財布と服を取り出したのか、僕は知りたいんだよ」

「ヘアピンだろ」

「それに服を盗んだ理由と、わざわざ戻した理由も……」

「嫌がらせだろ」

「そうキッパリ決めつけちゃ、面白くないじゃない」

「美生先輩も、物好きだな。真面目っぽい顔してるのに……」

 モモはそれから泳ぎ去って行った。平泳ぎでスタートしたが、まもなくクロールに切り替え、人がいないのを見計らって背泳ぎに切り替えた。リンに言わせれば、フォームはきれいではなかった。モモはどんなスポーツでも喜んでするが、決して上手ではない。その代わり、持久力だけはあるので、一緒に遊ぶとかなり疲れる。


「あの子、昨日の子だよね」ゼンが側にやって来た。

「吉井モモ」とリンは答えた。

「思ったんだけどさ、昨日とだいぶ顔ぶれが違うよ。今ここに来てる人の中で、僕が昨日見た覚えあるのは、あの吉井さんて人だけだ」

「時間帯が違うもの。午前に来た人は普通お昼に上がるし、午後に来る人はお昼が終わってから来るわけだろ? お昼をまたいで泳ぐ人なんてなかなかいないんじゃない?」

「そうか、午前と午後で顔ぶれが変わるわけだ」

 吉井モモなら一日中泳ぐかもしれないけど、とリンは思った。


「おい、午後にもう一度来ようか」センがやって来て言った。

「僕は、午後は空いてない」とリン。

「うん、ああ、『ジーエス』に行くんだっけ? そっか……でもなあ。今の時間帯じゃ昨日と顔ぶれが違うからな」

「僕とリンも今その話をしてたところだよ。どうする? リンは忙しいんなら、僕たち二人で午後にもう一度来る?」

「いや、別にいいだろ。リンが忙しいんなら明日でもいい」

「僕の予定はずらせるんだけど……」とリンは言いかけたが、センはリンの頭をくしゃくしゃなでて、「おれさ、思ったんだけど、調査はもしかしたら意味が無いかもしれない」そう言って少し向こうで監視員のお兄さんと立ち話をしている左坂を見やった。

「あのさ」センは声を低くした。「マスターキーがあるわけだろ? どのロッカーも開けることができる。だから、一番可能性があるのは、プールの職員なんだ」

「僕は昨日からそう言ってるじゃないか」ゼンがにやにや笑った。「職員が怪しいんだよ。あの左坂さんが僕らの『調査』に付き添っているのには、何か後ろめたい意味があるのかもしれないんだ」

「そのわりに、気楽そうだけどね」リンは立ち話に夢中で三人の事を忘れているように見える左坂を、数秒間眺めた。左坂は振り向いた。


「あの人とは限らない」ゼンは他の二人の耳元に囁いた。「職員は他に何人もいるわけだよ。そしてもし、全員が口裏を合わせて犯人をかばおうとしてるなら――」

「疑い出せばキリがないねえ」リンは面白くなってきた。

「でもさ、プールの職員てそんなに結束が固いのか? 悪の組織じゃあるまいし……」


 左坂が近付いて来たので、三人の少年は口をつぐんだ。


「なんか今、俺の悪口言ってなかった?」左坂は陽気に言った。

「左坂さん。ロッカーのマスターキーは普段どこにあるんですか?」ゼンが平然として聞いた。

「さーあ。俺は知らないねえ。事務室のどっかにあるんだろう」

 裏の読みようが無い返答だった。


「左坂さん」リンは急に思いついた。「女子更衣室の451番の鍵で、男子更衣室の451番が開けられますか?」

「ああ、無い無い」左坂は軽く手を振った。「同じ番号のロッカーは無いよ。女子のロッカーは001番から始まってて、男子のロッカーは確か301番からだから」

「そうですか……」


 三人の少年達は顔を見合わせたが、それ以上は何も思い付かなかった。どうやらあっけなく手詰まりのようだ。


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