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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
5.ロッカーの隣人
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451は閉ざされた(1)

「買わねばなるまい」リンは自分に言い聞かせた。「これ以上ぐずぐずしてたって『低温加工☆形状安定樹脂ボード』が空から降ってくるわけじゃなし」


 たとえ一文無しになろうとも、買うしかなかった。でなければ悩んでいるうちに夏休みは終わってしまうだろう。


「今日買いに行く」リンは扇風機に向かって宣言した。「五雁いつかり倫志郎りんしろうは、今日中に『ジーエス』へ行って樹脂ボードを買ってくる! 明日になるとまたケチりたくなるんだからな」


 美貌も母親譲りだが、ドケチも母親譲りだった。一度買う決心をしても、「今度の日曜に」などと言ったが最後。日曜になるまでに財布のヒモはきっちり固く、揺るぎなかったはずの一大決心も霞か霧か、どこかへ消えてしまうのであった。


「買うったら買うんだから」リンはブンブンと気の無い合鎚を打つ扇風機を横目に、引き出しから愛用のカードケースを取り出した。子供が「小遣い」として貰うカードは、いわゆる本物のクレジットカードではなく、プリペイドカードだ。あらかじめ決まった額から、使った分が差し引かれていくのである。カードケースには読み取り機が内臓されていて、ボタンを押すと小さな画面に残額を表示してくれた。リンは溜め息をついた。「本当にぴったりだ。十円も残らないとは!」


 馴染みの店員に頼んで一割くらいまけて貰おう。残った金で釘を買って、とにかくできる所から作り始めよう。足りない部品はまだあるが、全部揃うのを待っていたら夏休みがいくつあったって足りやしない。


「あーあ。センはいいよな、金持ちで」

 不意に、今まで思ってもみなかった言葉が自分の口から飛び出したので、リンはびっくりした。


「金持ちで……」と、繰り返してみた。「そうか。そうだな。うちより金持ちかも。センはなんだってすぐおごってくれるしな。でも……」リンは黙り込んで考えた。「……なんだろう。寝ぼけてるのかな。僕はセンがうらやましいのかな? ……無意識? だめだな、ゼンの前でこんな事言ったら怒られそうだ。気を付けないと」


 ゼンと付き合うようになってから、リンは初めて自分の家が裕福だという事に気付いた。一軒家の持ち家に住み、家には車が二台あり、自分の部屋に自分の机とベッドがある生活。それが当たり前だと思っていた。この町では、皆そうだからだ。リンの住む町はゼンの言う通り「高級住宅地」なのだった。リンやセンの何気ない一言に時折ゼンがひどくいらだった様子を見せるのは、当然の事ではあった。息も詰まるような小さなアパートで、父親と二人寄り添うように暮らしてきた彼の目には、リン達の無知は金持ちの傲慢としか映らないのだ。昨日の様子では、Fでもそういう思いをしてきたのだろう。正当なのはゼンのほうだと思うからこそ、彼の反発はリンにとって気がかりであり、小さな悩みでもあった。昨日ずばりと「寂しい」なんて言われた事も、案外こたえていた。センは八つ当たりだと笑い飛ばしていたが。


(だって、どんな顔をしろって言うんだろう。九九の言えない子がクラスの四分の一だなんて言われて。ゼンはまるで下町育ちを自慢してるみたいだ。センみたいに『聞き飽きたよ』って言えばいいのか?)


 リンは知らず知らず手を止めて考え込んでいた。


 その時、部屋の戸がノックされたかと思うといきなり開いたので、リンは飛び上がった。


「ただし」母親だった。

「勝手に開けるな」リンは立ち上がって怒った。

()()()()()()()返事しなさいよ。朝ごはんも食べに来ないで……」


 時計を見ると十時半を過ぎていた。そう言えば朝食を食べていないのを忘れていた。


「それと、千二くんから電話」

「電話?」母親が渡す子機を、リンは受け取って耳に当てた。「セン?」

「ああ、リンか。今日暇?」

「うん、えーと、二時くらいまでならね。二時になったら『ジーエス』に行く予定」

「ふーん、そうか」センは何か言おうとして、言いよどんでいる様子だった。「……あのさ、リン……」

「じれったい奴だなー」ゼンが電話を替わったようだった。「おいリン、聞こえてる? ハロー?」

「聞こえてるよ。何がどうしたの?」

「この電話が盗聴されてない事を祈るよ。実は今、公園からセンの携帯でかけてるんだけどさ、家の人にはセンの家に行くって言って、こっそり公園まで来て欲しいんだ。水着も持ってね。僕の言ってる事分かる?」

「いや、分からない。なんでそんな事しなきゃいけないの?」

「昨日の盗難事件の捜査をしたいのさ。だけど、僕らのお母様はもうあのプールに行っちゃいけないって言うんだね。一歩も入るな、だとさ」

「うちも似たような事言われたよ」

「だからこっそり行かねばならぬ」ゼンは母親の言い付けに従う気など初めから無い口調だった。「公園で落ち合おう。家の人には知られないように。あと、そうそう、盗まれた服と財布は、見つかったんだよ」

「へえ? どこで?」

「451番ロッカーさ」ゼンは楽しげに言った。「利用者が全員帰った後に、掃除の人が全部のロッカーの中をきれいにするんだ。忘れ物の確認も兼ねてさ。で、見つけた。夜に電話がきたよ」

「451ってセンが使ったロッカーでしょ?」

「そうだよ。つまり元の場所に戻してあったんだ。カードも何もそのまんま。ミステリーだね。まあ百五十円こっきりじゃ、盗るほうも気の毒になったんだろうさ……」


「なんだか……」リンは違和感と、薄気味悪さを感じた。何かが普通でない。もっとも、盗難事件に普通も異常も無いのかもしれないが。「変な話だね?」


「うん、変だ」ゼンは嬉しそうに言った。「そして犯人の候補は随分しぼられてるしな。ここはやっとこさ、僕ら探偵団の出番じゃないか?」

「ああ、僕らは探偵団だったっけね。盗賊団だったかもしれないけどね」

「なに、怪盗ルパンだってよく探偵をやってたもんさ。もちろん正義のためじゃなく、自分の利害のためだけどさ。いや、でも彼は案外正義だったかな。知ってるかい? ルパンは空手と柔道の達人なんだぜ」

「なにそれ? なんかのジョーク?」

「本当だよ!」

「でも、フランス人じゃなかった?」

「でも、本当なんだよ! うん、とにかく、今すぐ公園に来い」

「分かった分かった」

「アイアイサーだよ、リン」

「それは海賊だよ」


 リンは電話を切って、扇風機のスイッチを切って、部屋を出た。階下へ行って母親に、「千二くんの家に行く」と嘘をついて出かけた。些細な嘘だったが、リンは胸をどきどきさせて玄関を出た。

 今日もものすごい暑さ。オーブンの中のようだ。


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