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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
5.ロッカーの隣人
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451は開かれた(4)

 リンの住む地区にはプールが無いが、家から自転車で行ける範囲内に三つほどプールがある。一つが私営の大規模な屋外プールで、流れるプールとウォータースライダー付き。もう一つが温水の市民プール。最後の一つが夏しか使えない市民プールだ。と言っても完全な屋外ではなく、一応屋根付きなので雨の日でも泳げる。ここのいい所は、こぢんまりしていて知名度が低いので、いつでもすいているという事だ。そして安い。時間制限も無い。何の変哲もない四角いプールに水が張ってあるだけで、滑り台もサウナも無いが、水に入って遊びたいだけならそれで充分である。それに何と言っても、リンの家から一番近いプールだった。


「へえい」券売機で入場券を買って受付に持っていくと、受付には、やる気があるようには見えないお兄さんが一人座っていて、おざなりな手つきで受け取った。ミシン目で千切って半分を返しながら、「コイン何枚ですか」と聞く。


「えっと?」勝手の分からないゼンはきょとんとした。


 お兄さんの胸には「左坂ひだりざか」と振り仮名つきの名札が留めてあって、どうやら彼の名字らしかった。

「んー、あの、ロッカーがコイン式なのね。だから、ロッカー何個使うかってこと」

「ああ、ええと、一個で」コイン式って何だろうと思いながらゼンは答えた。

「あ、一個?」左坂さんはにやっとした。「三人で一個?」

「一人一個」センが横から言った。「三人で三個」

「ん、そう。じゃこれね。帰りにここに返してね。使い方はどっかに書いてあるから」左坂はいい加減きわまりない口調で言った。「うん、あと、時間気を付けてね。一時間過ぎたら、十分ごとに追加料金とるから」

「ほんとですか?」

「ほんとだと思うんなら、払えば?」左坂はにやにやした。脇に立っているリンを見て、「あと、女子の更衣室はそっちね」

「男ですけど」

「知ってたよ」お兄さんはパイプ椅子にふんぞり返った。「さあ、なんで俺の顔をいつまでも鑑賞してるんだ? ここは美術館か? え? さっさと入った入った」

「誰もあんたの顔を美術品だとは思わないよ」とゼンはやり返し、三人はぞろぞろと更衣室に入った。


「何なんだあの職員?」センはぼやいた。

「アルバイトだろ。去年はいなかったもの」リンが言った。


 更衣室はロッカールームだった。三十センチ立方ほどの金属のロッカーが、縦に六個、横は並べる限りずらっと並んでいる。各々のロッカーにはバンド付きの鍵が差してあって、その脇にコインを入れるスリットが刻まれていた。すぐ下に細かい文字で、「コインを入れて鍵を矢印の方向へ回して下さい。使用後、コインは戻ります」と説明書きがあり、さらに下にコインの出口らしきスリットが付いていた。

「ふーむ?」ゼンは首をひねった。「これは珍妙な……」

「『貨幣経済』の時代のロッカーだよ」リンが得意げに説明した。「もともとは百円硬貨とかをここに入れて使うものだったんだ。使用後に百円が戻るっていうことになれば、誰も鍵を持ち去ったりしないだろ」

「なーるほど。貨幣時代のね……それにしちゃあ新しいな」

「いまだにどこかで生産してるらしいよ。安上がりなロッカーだから」

「ふーむ。ふーむ」ゼンは首を右に傾げたり左に傾げたりした。「長く生きてると不思議な物にも出会うものだな。こんなロッカーは初めて見た」

「ゼンは都会人だからだよ」


 三人は水着に着替えて、服とタオルをロッカーに突っ込み、受付で貰ったコインを入れて、鍵を回した。回して、抜くと、カチャンとコインがどこかに嵌り込んだようだった。ゼンはしげしげと手元に残った鍵を見た。鍵にはプラスチックのバンドが付いていて、これはどうやら手首に付けてなくさないようにしろという事らしい。

「これでまた開けるとコインが出てくるって事?」

「そう、そう」センは一度閉めたロッカーをまた開けてみせた。下のスリットからコインがぽろりと出てくる。このスリットにはコイン一枚が立ったままちょうど嵌る受け皿が付いていて、出てきたコインが床に転げ落ちないようになっているのだ。

「ほーう」ゼンも自分のロッカーを開けた。「ほー、ほー」

「フクロウ?」

「リン、そうだ、上がったらいい物あげる」センはロッカーに入れた服のポケットから、小さな財布を取り出して見せて笑った。

「何? お金?」

「お金よりもいい物、お前にとっては」


 金具か、とリンは思い当たって微笑んだ。Fで何か変わった物が拾えたのかもしれない。


「さあさあもう入ろう」センは財布を戻してロッカーを閉め、まだ開けたり閉めたり繰り返しているゼンから鍵を取り上げた。「遊んでないで」

「おい、返せよ。もう一回、開けてみよう」

「何度やっても同じだって」センは相棒を引きずって歩き出した。

「待って、おい待て、場所を覚えとかないと、どれだか分かんなくなるだろ」

「番号があるじゃないか」リンはくすくす笑って言った。

「えーと、だから、番号が……どれだっけ?」

「鍵に書いてあるだろ」センは鍵をゼンに返して、バンドの所を見せた。

「うん、ああ、そうか。そういう所は普通のロッカーと一緒なんだ」

「当たり前じゃないか。ここは未開地じゃないんだぞ」

「でも、番号の並び方バラバラだね。ほら396の隣が402だ」

「横に見てるだろ! 縦に並んでるんだよ、下は397だろ」

「ほう! なるほど!」

「もう、嫌だねえ、都会っ子は」


 プールへ出る直前の所に、シャワーが並んでいた。自動式だと思ってゼンが真下で待ち構えていると、後ろから来たオジサンが壁に付いている取っ手をひねって水を出した。

「えっ、手動……」

「料金を考えろよ」センは相棒の頭をぽかっと叩いた。「そんな高級なシステムが付いてるわけないだろ」

「ガッカリ」


 シャワーを浴び終えて更衣室を出ると、むうっと湿った空気が三人を迎えた。高いカマボコ型の天井に、水音や子供の声が、ぼわんと響く。天井や窓は半透明で、夏の昼下がりの光がさんさんと屋内を明るくしていた。


 ちょうど一人の女の子が、三人とすれ違って女子更衣室に入って行くところだった。誰かと思えば吉井モモだ。リンは気付かない振りをしようかと思ったが、モモのほうですぐ気付いて、

「あれー、リン、なに来てんの?」

「友達に誘われて」リンは他の二人を目で示した。

「あ、こんちは」モモはまじまじとセンを見つめた。「美生みき先輩、ですよね?」


 去年モモが()()()だった時、センが同じ学校の()()()だ。地区のバスケチームのキャプテンだったし、金髪で目立つから知名度は高いのだろう。


「お兄さん、ですか?」モモはゼンを見る。

「見ての通り」とゼンが答えた。「双子だね。父親に育てられたんだ」

 モモは黙り込んだ。

「うん、まあ、気にしないで」センは穏やかに真面目な口調で言った。「別に秘密でもなんでもないから」

「あ、なんですか、オレは言いふらしたりしませんよ?」モモは笑い出そうとした。


 その時、ビターンと物すごい音がして、モモのすぐ脇の床面に五歳くらいの女の子が叩き付けられた。一瞬、女の子は黙っていたが、まもなく耳が痛くなるような声で泣き叫びだした。プールサイドは布とゴムの中間のような独特の素材でできているが、滑って転んだらしい。すぐに母親と監視員が駆け付けて、女の子を抱き起こした。膝をわずかにすりむいただけのようだった。


 モモはセンに会釈して、リンには軽く手を上げ、更衣室に入っていった。


「びっくりした」ゼンはまだグスグス泣いている女の子を見やって呟いた。

「滑るもんだなあ」センも足で床面をきゅっきゅっと擦って言った。

「あの歳なら、何もなくたって転ぶだろ」リンは素っ気無く言った。妹が小さかった頃を思い出していた。まだ、思い出せる、とリンは思った。それからいち早く水に入って、一度体を縮めて、頭まですっぽり潜り込んだ。水がリンを包み込んだ。


 水中は静かだった。


 プールの中は青かった。水色に塗られているからだ。ところどころに赤や黄で線が引いてある。リンは浮力に体を任せて、ゆっくりと浮かび上がった。水から出ると、ポンと耳元で不思議な音が囁いた。天井に跳ね返った人声や水音が次々とリンの耳に飛び込んだ。気付くと、センとゼンが向こうでバシャバシャ水をかけ合って熾烈な戦いを繰り広げている。リンは少し寂しくなって、急いでそちらの方へ泳ぎ出した。


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