流れる(2)
北泉は機嫌が悪かった。あんなに罵倒されれば当然だろう。少し言い過ぎたと、八羽島は思った。自分でも自分の暴言ぶりに驚いていた。あの不可思議な少女にのぼせ上がっていたのはむしろ自分だったのかも知れない。落ち着いて思えば、個人プレーばかりしている自分が、人の纏め役として立てるはずが無いのだ。いなくなる直前、青と交わした会話も思い出された。「チームプレーは苦手だ」と自ら宣言したではないか。青が後任に北泉を指名して去ったのは、自然な事だ。
北泉は随分怒ったらしく、一晩事務室に帰って来なかった。残された八羽島達はただいつも通りに取引やら何やらやって夜を徹した。朝になって、北泉が戻って来たので、八羽島はとりあえず心ない言葉を謝った。北泉は頷いたが、疲れたような、嫌気が差したような表情は変わらなかった。こりゃあ、時間が掛かるかもな、と森谷に囁かれて、八羽島の気分は沈んだ。
仮眠をとって、事務室に戻った。北泉が一人で書類の整理か何かをしており、気まずかった。なんとなく隣の印刷室に入ると、小島がそこで立ったままサンドイッチをぱくついていた。痩せぎすの中年だ。
「コジさん。どうしたんすか?」
「え、なんか、あの人怖くって」小島はにやっと笑った。「朝食テイクアウトして戻ってみたら、皆寝てて、北泉さん一人で黙々とやってるでしょう。近寄りがたいな、ありゃ」
「すいません。俺もう一度謝ってみますよ……」
「いや、無駄無駄」小島は片手を振った。「あんなに怒ってんのは、図星指されたからよ。あの人ほんと青さんと二人でいる時は父親みたいな顔してたもん。だからね、謝ったりすると火に油」
「社長、ほんとに戻って来ないんすかね……」言いかけて、八羽島は小島の凭れている書棚に目を留めた。「あれ、いつの間に、こんな物」
「ええ?」小島は振り返った。上段に、大型の、しかも目一杯膨らんだ茶封筒が三つ、積んで置いてあった。小島は引っ張り下ろした。「ありゃりゃ」
赤いインクで「機密処理」と判が押してある。
近頃は、シュレッダーも信用ならない。細かく裂かれた紙くずを繋ぎ合わせて元の文書を復元するというべらぼうな技術がどうやら開発されたらしく、しかも、それを行っているのが当のシュレッダー製造会社だというまことしやかな噂まで流れて、不穏な雰囲気だ。結局、どうしても他社に知れては拙いような文書は、川原まで持って行って燃やす事になった。もちろん、その仕事は滅多な下っ端社員には任せられない。この十八階で働く重役達の仕事だった。
「随分な量ですね。二百枚近くあるっすよ」
「変だなあ。こないだのあれは一昨日ヤマちゃんが燃やしてきたばかりだと思ったけど」
「青さんが、出て行く前にいろいろ整理してったんじゃないすか。いいっすよ、俺燃やしてきます」
「今から?」と小島は聞き返したが、事務室の方を見やって苦笑した。「ああ、ま、そうだな。時間を置くしかないだろうしな。なるべくゆっくり行って来なさい」
八羽島は苦笑を返して印刷室を出た。北泉の脇を通りながら、
「川原行ってくっから」
なるべく明るく声を掛けたが、北泉は顔も上げず「そう」と言ったきりだった。