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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
4.氷の目隠し【過去篇】
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亀裂のある風景(1)

 目を閉じると、世界が閉じる。と、普段目の見える奴は信じている。見えないという事は、暗く閉ざされた孤独であり、全ての物が手探りでしか認識できないから、不自由で、不安で、大変な事だと、信じている。時々彼らは目隠しをして見えない人の気持ちを体験するというイベントを開き、見えない人への誤解を更に深めるのである。普段目に頼って暮らしている奴が突然目隠しをされれば、確かに不自由で不安で大変に違いない。大いに同情すべき惨事である。しかし玲磨れいまが「見る」世界は、決してそんなふうではない。玲磨は生きる事に不自由していない。目を使わなくなってから、玲磨の世界は格段に自由になり、呪縛から解放された気分になった。そう、見えるという事は、呪縛である。見えるという事は、それだけで一つの、障害である。


 見えない奴がこの社会で不自由を余儀なくされているのは、この社会の設計が悪いのだ。人類は社会を築くに当たってあまりにも視覚に頼りすぎた。最早、誰も視覚無しではこの社会で暮らして行けない。だが本当は、人間の感覚は視覚以外に四つある。人間は嗅覚中心の社会や、触覚中心の社会を作っても良かったはずなのだ。見える奴が見えない奴に「親切に」しなきゃいけないのは、見える奴が勝手にこんな社会を築き上げて維持しているせいなのだが、見える奴はそれに気付かない。飽くまでも見えないほうが異常で、間違ってて、不運なのだと、思い込んでいる。まあそれも仕方あるまい、彼らこそ憐れむべき「障害者」なのだから。


「玲磨、見ろよ、雪降ってるぜ」障子を開け放って、切真せつまがふざけた。

「そこに這いつくばれよ、何か見えるはずだ」玲磨は切真の後頭部の髪を掴んでいったん引いてから、思い切り押しやった。

「こら、玲磨」テレビの前にあぐらをかいていた黒猫は部屋の隅を振り返り、叱りつけた。「その手は、余計だ」

「余計なのはお前だ」

「はっ。ざけんな」玲磨の反抗に、黒猫はすかさずすごんだ。「いつまでもガキ面してんじゃねえぞ。もうすぐ岸が到着する。言っとくが、あいつは大人になってる。あいつの前で恥かきたくなかったら、てめえもも少し上品になることだ。お前もだぞ、切真」

「はあい、議長」切真は茶化すような調子のいい返事をする。

「議長、片腕野郎は、これ以上上品になれないそうです」玲磨は左腕の無い切真の向こう脛を蹴飛ばした。

「あいたっ」

「玲磨。分かったのか分からないのか」

「分かりました」玲磨はどうでもいいような調子で言った。


 部屋の反対側で、千種ちぐさがわざと大きな溜息をついた。隣に座っていた慕子もこが、それを見て困った顔をする。更にその隣の朝月あさつきは、買ってきたばかりの週刊漫画の付録を切り取るのに夢中で、顔も上げない。


 朝からこの調子だ。世界妖怪自治連盟会議、略して妖自連は、議長黒猫の趣味で毎年この時期に親睦旅行と称して二泊三日の温泉旅行をする。しかし、親睦になった例がなかった。メンバ一人一人の境遇や、ここに到るまでのいきさつを考えればそれも仕方ない事ではある。しかし最大の問題は、全員そろいもそろって性格がきつく、自分を曲げる事ができない、という所にあった。


「どうなんですか、議長、その岸って奴は」千種が聞いた。

「どうって何?」黒猫だけが、機嫌がいい。

「だから……性格とか」

「性格? 昔どおりだな」黒猫はにやにや笑った。「嫌な奴。なんにもできない振りしててさ、いざという時はちゃっかり。義理のお兄さん達から両親の遺産ほとんど巻き上げて、絶交されたんだとよ」

「いかにもやりそうだ」切真が笑った。

「いかにも議長のお気に入りって感じ」千種はさり気無く皮肉った。


 しかしこれには黒猫は取り合わなかった。自分の悪口には鈍感な男だった。


「あの『クチ』も昔どおりなの?」朝月がようやく顔を上げて会話に参加してきた。

「ああ。『クチ』なあ。あれは手術のしようが無いんで、そのままだ」黒猫は仰向けに寝転んで欠伸混じりに言った。「塞いだからどうなるってわけでもないしな」

「気色悪い。首ひねって死ねばいいのに」玲磨は吐き捨てるようにつぶやいた。

「玲磨」黒猫は沈みきった静かな声で言った。「お前はどうしようも無い奴だな」

 玲磨は黙り込んだ。

「本当にどうしようもなくなる前に、一度反省したらどうだ」

 玲磨は答えなかった。反省なんかする気は無かった。この「どうしようもない」という叱り方にも、いい加減慣れてしまっていた。死ぬとか殺すという言葉を使うと、黒猫は必ずこういう叱り方をする。マンネリなのだ。


 マンネリと言えば、何もかもがそうだった。玲磨の偏屈も、切真のへらへらした態度も。千種も、慕子も、朝月も。何十年も前に固定されたきり、一度も動いていない。このまま、なんの変化も無いのだろう、この連中は。ただ、だらだらと、死を待つのだ。寂しみから目をそむける為に、いがみ合いながら。見ていると息が詰まりそうだから、玲磨は目を閉じている。何も見ずに済むのなら、それ以上の救いはありえないのだ。


「玲磨。この山の頂上に、拝むと目を治してくれる木が生えてるんだってさ」ホテルの前に広がるスキー場のパンフレットを覗き込んだ朝月が言った。

「あ、そ。お前行って来たらいいんじゃないのか」玲磨は冷たく言った。

「なんであたしなのよ」

「その目があるから邪魔なんだろう。その木に頼んでなくしてもらうといい」

「あんたってほんとどうしようもないのね」この台詞もやっぱりいつもの繰り返しだった。


「さ」黒猫が突然起き上がった。「そろそろ岸を迎えに行って来る」

その途端、慕子がはっと顔を上げた。「慕子も行く」

「なんだ、慕子。お前は留守番してろ」

「慕子も行くう」慕子は立ち上がって黒猫のズボンの裾に取りすがった。千種はなぜか嫌な予感を覚える。慕子がわがままを言うのは珍しかった。

「留守番だ、留守番」黒猫は慕子の前にかがんで、その水色の髪をくしゃくしゃかき回した。「お利口にしてるんだ、今度来る奴は、面白いお兄さんだぞ」

「慕子も行くのお」

「慕子」黒猫は少し厳しい顔をした。「お前もいつまでも赤ちゃんじゃないぞ」

 慕子は俯いた。黒猫は出かけて行った。


「やっぱり『クチ』は待遇が違うよねえ!」黒猫がいなくなるなり、千種があざ笑うように言った。「帰国した途端に、黒猫議長様直々のお出迎え」

「そんな言い方するもんじゃないよ」朝月がパンフレットから目を上げずに、小さく呟いた。

「何? 聞こえない」千種はつっかかった。

「やめろよ、お前ら」切真が顔をしかめる。


 皆目を閉じればいいんだ、と玲磨は胸の内に思う。目を閉じれば、自分達がどういう場所にいるかよく見えるようになるだろう。なまじ見えるばかりに、彼らは苦しむのだ。憐れな奴らめ。目を治す木だって? 馬鹿馬鹿しい。


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