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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
3.辿れない糸口
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夜は打撃(2)

 札は特等が一番小さく作られていた。


 その後、一等、二等、三等、……としだいに大きくなる。特等と一等は一枚で、二等は二枚、三等は三枚……六等まであるので、しめて二十二枚。かまぼこ板を削って作ったに違いないと思われたが、それなりに年季が入って味が出ている。階段状の台の上に並べられた賞品の隣に、それらの札はたった今まで立っていた。ルールは百円で三発、プラスチックの弾で札を打ち倒し、その難易度に見合う賞品が貰えるという、これ以上変えようの無い明快なもの。使う銃は猟銃を模したような黒くて長いやつだ。


「あーあー、ああ」店番の兄いが心底まいったという顔をした。

まさめさん、プロの方お断りだそうですよ」弾が二発余ったと呟く柾の背中に、岸が笑いながら言った。

「すんげえなあ、おい。この人、天才だ」黒猫は無責任に喜んでいた。


 柾はきっかり二十二発撃って二十二枚の札を全て落としてしまったのだ。青は他人のふりをして眺めながら、心の中で溜め息をついていた。六等の六枚を左から順に撃ち抜いた時点で、人集りができ始めていた。最後の数枚になると、野次馬どもはカウントダウンを始め、柾も嬉しそうににやにや笑いながら特等までを外すことなく撃ち抜いた。目立ち過ぎだ。何の為にここまで来たのか、と怒鳴りたかった。遊びに行くのではないと再三釘を刺しておいたのに。


 しかも、それで終わりではない。衆目の中、柾は青くなっている店番の兄いにもう一度全ての札を立て直すよう強要し、玩具の銃をダンに回した。更に、賞品を取らない替わりに二十発タダで撃たせろと頼み込んで、余っている二発と合わせてダンの分の弾を確保した。


 ダンが台の前に屈んで構えると、さっと殺気が立ち込めた。それはド素人の野次馬どもでさえ一瞬黙り込むくらいの殺気だった。青はぞっとした。お前シャバのど真ん中で何する気なんだ?


「やばくねえか?」黒猫もさすがに笑いを引っ込めて青に囁いた。「なんかお前の彼氏そのまま戦争始めそうな顔してんぞ」

「まさに戦争だよ」岸が口を挟んだ。「大介さんが息子になるか、柾さんが弟になるか、天下分目の闘いなんだから」

「はあ? 何だそれ?」

「二人とも大ドアホって事」青はうめくように言った。


 人垣がどよめく。ダンが撃ち始めたのだ。淀みなく六等を六発で決める。拍手が起こる。しかし、囃されるほど嬉しそうな顔をしていた柾とは対照的に、ダンは次第に殺気を強めた。続きを撃たず、構えたまま残りの的を睨み付けている。そのままの状態で十数秒が過ぎた。野次馬達はだんだん待つ事に飽きて気分が冷め、ある時ふいに、沈黙がやって来た。


 一度それが来てしまうと、もう誰も口を開く事はできなくなった。特にさっきまで本気で興奮して飛び跳ねていた連中は空気に呑まれ、凍りついたように立ち尽くし、ダンの背中から目を離すことができなかった。こういう「気」に慣れている青でさえ、不安でどきどきした。早く、動いてくれ、と青は念じた。だがダンは石になったように停止していた。息もしていない。このまま永久に停止しているのではないかと思われた。状況の分からない奴は、ダンが急に柾に勝つ自信をなくしたのだと考えた。しかし立ち去る者はいない。誰もが息を詰め、次に起こる事を見逃すまいと目を見開いていた。


 やがてダンはおもむろに銃を置き、体を起こした。流れるような動作で右足を靴から引き抜き、固く巻いていたさらしの布を解く、すると爪先の無い足が現われて、皆をはっとさせた。青の脇で岸は目を細めて何か小さく呟いた。


 柾はダンのそばに立って、見ようによっては冷たくも見える、感情を含まない目で見下ろしていた。

「それで外したら笑い者だぞ」柾は低く忠告した。

「お前じゃあるまいし」ダンは溜め息のようにぼそっと返し、解いたさらし布を目の上に巻いた。自然な動作だったので、皆の反応は遅れた。


「目隠しで?」と誰かが呟いた時には、ダンは再び撃ち始めていた。狙いを付け、撃ち、弾を送る。無駄のない動きの繰り返し。当たり前のように順に札は落ちていく。だが彼は全ての要であるはずの両目を封じている。数十秒間の集中力で的の位置を覚え、その記憶を「見て」狙いを付けているのだ。目の前で奇跡が行われているのに、誰も、声一つ上げなかった。それはぞっとするような光景だった。柾だけがひとり満足そうに、微かな笑みを浮かべて、息子を見下ろしていた。


「止めさせろ」黒猫が岸の肩を掴んで言ったのと、特等の札が落ちたのが同時だった。ひと呼吸遅れて周囲はわっと沸いた。柾は目隠しを取る間も与えずダンを引っ張ってその場を離れた。青達三人も散り散りに離脱した。今さらながら青は鳥肌が立つのを感じた。理屈は分からない、ただ、シャバでしてはならない事をやってくれた、という気がした。まったくもって恐ろしい。


「お前が悪いんだぞ」落ち合うと開口一番、ダンは柾に言った。

「悪かった」柾は素直に謝った。射撃対決を提案したのは彼だった。

「お前が悪いんだぞ」ダンは繰り返した。

「今謝っただろ」

「お前が岸にデマを吹き込んだせいで俺とハナダ青の一日が台無しだ」

「え、そっちも俺か?」

「自覚が無いとは」ダンは深く溜め息をついた。

「俺が何をした?」柾は必死になって言った。「何も、なんにもしてへんよ」

「ですが貴方でしたよ、僕に向かって、ハナダ青に会いに行くなんて言ったのは」岸はぐちぐちと文句を言った。「おかげで殺される所でしたねえ」

「だって」柾は目を丸くして、「お前の質問に答えただけだろ。何処に行くとか誰に会うとか、人が出掛けようとするのを引き止めてしつこく聞くんだもの」

「風邪気味なのにと思って心配してお聞きしたのです」


「そもそもなんで貴様が出掛ける必要があった」ダンは怒るのにも疲れたという顔で聞いた。

「なんでって……」痛い所を突かれたらしい柾は小さな声で言った。「様子見に」

「覘き見じゃないか! 変態め」

「親バカだ」と岸が追い打ちをかけた。

「ハナダさん」柾は逃げた。「今度食事でもご一緒に」

「ええいいですよ」

「青! そいつと口をきくな」


 しばらくは馬鹿な遣り取りが続いて、まともな密談にはなりそうもなかった。五人はぞろぞろと人込みに流されて歩いた。柾とダンはとうとう次回の射撃対決の計画を立て始めた。この二人、ちっとも懲りないらしい。


 青の心は彼らの会話から離れ、人込みからも離れた。祭りの人込みが好きなのは、青の場合、こうして孤独になれるからだ。体はその内に、心はその外に、自由に流れ、誰に咎められる事もない。物心ついた時から、ずっとそうだった。青は祭りが好きだが、祭り自体を楽しいと思った事は多分一度も無い。ただそこに溢れている楽しい興奮の世界を、外側から冷たい目で観察している。中心に立っている自分の体を、その孤独を、内側から傍観している。強く、自分を意識する。その感覚が、好きなのだ。


 屋台の立たない校庭の隅のほうで、明かりを灯し、大勢の人間が大掛かりな機械を動かしている。打ち上げ花火だろうと思う。もう少し手前に築山つきやまがあり、その麓に立っている金属の遊具で男の子が三人、遊んでいた。使用禁止の張り紙はかなり意図的な形に破れている。青の目には、それらは酷く朧げに映っていたのだが、昔の記憶が視力を自動的に補っていた。青は遠い昔、あの遊具で禁止された遊びを楽しんだ一人だったし、張り紙を破った一人だったし、今のようにそれを傍観していた一人だった。なんとかという係に指定されて、張り紙を張り、ブランコをロープで固定するのを手伝った事もある。あれは何年生の時だったか。

 築山の頂上で、何かが動いた。人影だ。小さい。


 リンに見えた。


 そんなはずは無い。この距離、この暗さで誰かを識別できるはずが無い。青は咄嗟に目を逸らした。クレープ屋の前でダンが立ち止まり、イチゴメロンチョコという得体の知れない物を買おうとしていた。もう一度築山に目を戻すと、もう人影は見えなかった。少し不安になった。リンだと直感したのは何故だろう。あの人影が、じっとこちらを見据えているように感じたのは何故だろう。一瞬、リンが青の心の内を見透かして、その漠とした孤独に強く同調してきたような、そんな幻覚を覚えたのは、何故だろう。もし、あれが別人か、目のいたずらだったら、この感覚はただの夢だ。でも、あれが本当にリンだったなら、この幻覚も本当かも知れない。リンが何処かへ、行こうとしている。


 青はコタツに潜り込むように、眩しい人込みの中に目を戻し、ダンを探した。嬉しそうにクレープの最初の一口にかぶりついていた。

「おいしいの?」

「まだ中身まで届かない」ダンはもどかしそうに生クリームを舐めた。

「本当にメロンが入ってるの?」

「そう。皮と肉の間の、クズの部分」

「あの白くて固くて甘くない所?」

「俺はそこが一番好きだ」ダンは弁護するような口調で言った。

「そうですか。……」


「射撃の時――」ダンはふいに言った。「――リンに見られなくて良かった」

「ああ、そうだね」やっぱりあの築山の人影はリンだったのだと青は思ったが、口にはしなかった。

「笛をテープにとって、送ってやってる」とダンは言った。

「リンに?」青はそれを想像した。「それ、危険――」

「柾の実家を通して手渡しだ。勿論危険は承知だ、柾の親も、リン自身も。でも他にあいつを繋ぎ止める手だてが無い。センが頼みだったのに、あいつも一年間留学に行ってしまうんだな。ゼンも」

「あたしがそうするように岸にアドバイスしたの。この夏の闘いにあの双子を巻き込まない為の手っ取り早い方法だから。学校側にも圧力をかけました。だから、実際のところ裏口入学なんだ」

「どうせ実力で入れただろう。それにお前の責任じゃない。お前が背負い込むことじゃない」


「俺に、関わると、皆不幸になる」青は暗い谷底を想った。堕ちて行く。「リンの妹の事だって、俺が絡んだからリンは余計傷付く事になった。今また俺の都合でリンから友達を引き離すんだ。リンが、一番、必要としている時に」


「食べて」ダンはクレープを目の前に差し出した。「甘ったるくて敵わない」


「いい」青は苦笑した。「気持ちは分かった」

「あんたは分かってない。何でも背負い込みすぎるんだ」

「趣味だから」言ってみたが、自分でも笑う気分になれなかった。

「あんたの今の仕事は」ダンは紙包みの中からクレープを引き出そうと苦戦しながら、「厄介な本の事件をさっさと解決する事だ。それこそあんたがリンの為にすべき事だ、他の事は、他にさせとけ」

「変な励まし方」

「何処かへ行こうとしている奴は、顔で分かる。柾で一度経験したから」

「リンが?」

「あんただ。今も死ぬ事を考えている」

「まさかね。それ、袋を破ったほうがいいと思うよ」

「足掻けば生き残れるのに、そうしない。消極的な自殺だ。柾もそれをやろうとした」ダンは袋を破り、ようやくメロンの詰まった部分に辿り着いた。黒猫達が先へ行っているのを見て、食べながら歩き出す。青は並んだ。


「こっちから言い寄っといて悪いけど」青は呟くように言った。「あたしは十五歳じゃない」


「当然だ」

「凍結されたのが十歳で、再び目覚めたのが七十年後。それから十五年生きた。見掛け上、五歳だけ年を取った」

「見かけが十五なら中身もそれくらいという事だ。お前はまだ俺より年下だ」ダンは端的に言った。「体が成長しないのに精神だけ成長するもんか」

「嬉しくて涙の出るお言葉」

「お前を俺の目の前で死なせるつもりは無い」ダンはクレープから顔を上げた。

「それ、プロポーズじゃなさそう」

「柾の時は止める事ができなかった。柾の事は岸が止めた。俺は柾が死ぬのが分かってて、何もできないで行かせてしまったんだ。二度と、あんな事は嫌だ、だから、お前は絶対に行かせない」

「結局柾さんを愛しているんだね」

「そうじゃない」ダンはクレープとの格闘に戻る。


 どん、と耳を打つ音、花火が一つ上がった。辺りの人々が一斉に顔を上げて立ち止まったのがおかしかった。花火だ、といろんな者が口々に言った。見りゃ分かるだろう。しかし、

「花火だね」

と青もダンに言った。

「苦手だ」ダンは嫌そうに言った。「音が嫌いだ。もう少し遠くでやってほしい」

「自己中心的意見だね。自分が遠くに行けばいいじゃないか」

「なぜ俺が花火に合わせて移動しなきゃいけないんだ?」

「花火が自己中心的だからか」


 黒猫達を見失ってしまったようだ。


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