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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
3.辿れない糸口
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夜は打撃(1)

 問題を先送りするのは青の性分ではない。先送りして背を向けて、後ろから噛み付かれるよりは、早めに真っ向から立ち向かって敗北したほうがまだましだと考えている。もちろん、先送りしてもみ消せそうな時は絶対に手をつけようとはしないが。


 リンを家まで送る途中、たまたま通り掛かったセンに声をかけられて、四人で三十分ほど話し込んでしまった。結果、青とダンが図書館まで戻ったのが五時。日が傾いていた。まさめは一階のテーブルでコーヒーを飲みながら、隣のテーブルのベビーカーに座っている赤ちゃんを懐柔しようと試みていた。赤ちゃんは柾の優しげな目を見て笑っていたが、その母親は柾の長い髪と浴衣を見て怯えていた。


「また、やってる」ダンは溜め息をついて歩み寄った。

「子供好きなんだ」青は面白そうに言った。


「大人には嫌われる」柾は振り返って、歯を見せて笑った。母親は早々に紅茶を飲み干して立ち上がり、ベビーカーを押して逃げ去った。柾はちょっと寂しそうにそれを見送った。

「柾さん、結婚されないんですか?」青は突然思い付いて言った。

「ほら、ハナダさんも回転が早い」柾は背もたれに肘をかけて青達を見上げた。

「柾さんくらいの方なら相手に不自由はないでしょう」

「何処を見て言ってるんだ」ダンが嫌な顔をした。

「男前でしょう。ほら、顔立ちが基本的にリンと同じ。柾さん、岸さんに連絡をつけていただいていいですか」

「構いませんけど、俺いま携帯持ってません」

「携帯は大介さんのをお借りします。許可だけいただきにあがりました」

「ああ、そですか。どうぞどうぞ」


 岸に連絡がつくと、青はさらに黒猫に連絡をつけるよう岸に頼んだ。うやむやにするわけには行かなかった。今日、岸が黒猫と一緒にいたのなら、岸は青の事をいろいろ黒猫に説明したのだろう。その上、ダンは彼から青の居場所を教えてもらったと言う。背を向けていれば、明日にでも噛み付かれる距離だ。黒猫はまだ岸と一緒にいたらしく、頼むとすぐ電話口に出た。


「議長」青はかたい声で、ちょっと力を入れて言った。

「絵馬じゃないか」黒猫の声は明るかった。「ひっさしぶりだなあ。元気だそうじゃないか」

「議長、今日は、なんだかお世話になったようで」

「ああ、ドンピシャリだろ。昔っからお前は直進型だからな。お前の彼はお前が寄り道したんじゃないかって首都辺りの図書館と本屋を洗ったんだそうだが、ああ、無駄ですよお兄さん。あの子はね、寄り道とかできない子だから、行くとしたらお兄さんとお約束した図書館まで真っ直ぐ行ってますからね。早く行っておやりなさい、と、教えてやった。思い付かなかっただろ? 寄り道なんて」


「ええ……直進してしまってから、おかしいとは思ったんですが、引き返すのも面倒なので」

「はっはっはっ」黒猫は元気よく笑った。「相変わらず、ってとこだな。彼は許してくれた?」

「許すも何も全てが誤解だったので」

「いやあ、そうかい。うん、お前の彼には、この前会ったが、なかなかイケメンだな。頭もいいし口が達者だ。可愛い子じゃないか。どうだ、年下の男の子をからかうのは、楽しいか?」

「からかってるんじゃないですよ。それに私は十五歳です」

「俺なんか十九だぜ」

 不毛な会話である。


「十九でも九十一でもいいですけど、黒猫さん。時間を取っていただけないでしょうか。これからの事を少し、打ち合わせませんか」

「うーん……そうかな。もう、そういう時期だと思うか」

「この夏で蹴りを付けようと思います」

「あ、そう。お前がそう言うならそれでいいだろう。お前、闇町の黒幕なんだってな」

「ああ、はい」

「なのに肩書きを投げたんだって?」

 青は一瞬息を止めて、力を溜めてから、「はい」と短く、低く言った。


「よくやった」黒猫の感想は素朴で、しかもその口調は軽かった。

「そうですか」青はまだ緊張していた。

「やっぱお前はそうでなきゃな」

「投げたんです」青は正直に言った。「議長が死んだと思いました。もう望みは無いと。だから、もうやめようと。忘れて、別な暮らしをしようと、思って……」

「それでいいじゃないか。むしろ遅いくらいだな。十年間も闇町なんぞにしがみついて、馬鹿じゃないのか? 他の連中も。ぐずぐず過去を引きずって……かっこ良くねえよ」

「でも、結局議長は生きていたし、我々は闘わなければならないと思います」

「俺が生きてたから?」

「いえ。……議長がいなくても闘わなきゃならないのは同じでした。でも、議長がいなければ絶対に勝てないから。無駄死にするくらいなら、新しい生活が欲しかった」

「ふん」黒猫はなんだか面白くなさそうだった。「今でもそう思うだろう?」

「思いますよ」青はしだいに口調を強めた。「無駄死には嫌です。死ぬなら、私の命と同等か、それ以上のものを残したいですね」

「つまり、こんな闘い、お前の命ほどの価値はねえって事だろ?」

「それは言い方が逆です。私は、私の命のほうがこの闘いより重いと言ったのです」

「逆もまた真なりだ。くだらん。俺もお前に同感だ。この闘いは俺様の命ほどの価値もない。失敗すると分かっていたらやる価値はないし、成功すると分かっていても大した価値はない。やめてしまえ。岸にもそう言ったところだ」


「議長は、やめたいですか?」

「どっちでも。ただ、帰ってきて、どいつもこいつも、お前も含めてだぞ、諦めモードに入ってんの見て、うんざりだ。諦めるのが悪いって言ってるんじゃない。諦めるくらいの価値しかない闘いに十何年もしがみついて、今また俺が帰って来たってだけの理由でしがみつき直そうとしてるのがムカツクんだよ。はっ。やめてしまえ」


「でも、議長の言い分は正論でしょうけど、私は正論で生きてるわけじゃありません」青は、言いたい事が一度に沸き上がってきて、溢れ返るように感じた。これだから、黒猫のことを嫌いじゃない。いつも必ず、こちらの言いたい事を引き出してくれるのは、天賦の才能だろう。「私は今闘いたいと思っています。その気持ちは本当です。この前投げ出したいと思ったのも本当です。私の気持ちは、その時その時で変わってしまうし、正しくはないし、議長のように理屈や信念も通りませんけど、私はそれに背かないで行くつもりです。それが私の、一番納得できる生き方なんです。今、私は闘いたいと思っていますから、議長を脅してでもすかしてでも引きずり込んで闘いますから」


 電話の向こうで、黒猫は沈黙した。青はここが図書館だった事を思い出して、もう少し小さい声で喋るべきだったと後悔した。闇町ではこんなへまはしないのに、やっぱりシャバに来ると気が緩む。


 ダンと柾は黙って目線だけで遣り取りしていた。何を遣り取りしているのかは、誰にも永久に分からない。闇町では、二人はテレパシー交信できるともっぱらの噂だ。


「今からそちらへ行く」黒猫は唐突に言った。「そっちに貸し切りできそうな飯屋あるか?」

「今言って、今すぐ、となると相当な金がいりますけど」

「だろうな。あとはホテル」

「ソメイヨシノ?」

「いや、そこじゃなく、岸の彼女直営の所、あっただろ?」

「ああ……じゃ、彼に借りさせるって事で?」

「お前がきし実生みしょうと名乗って借りればいい。どっちにしろ岸は連れていく」

「駄目ですよ。直接彼が生身でカウンタまで来ないことには、彼女は信用しません」

「目立ちすぎる」

「この際、人込みの中で話しませんか。今日、こっちで春祭りだかなんだかが行われるらしいです。屋台を巡りながら昔話でもしましょう。そのほうがかえって安全です」

「あ、そう。じゃそうしよう」黒猫はすぐ決断して、すぐ行くと言って、青が返事をする間もなく回線を切った。何処で会おうとも何時頃に着くとも言っていない。こういう人なのだ。


「柾さん」青はダンに携帯を返しながら言った。「黒猫っていう人が、今から岸さんを連れてこちらへ来るそうです。三番駅で出迎えたいのですが、柾さんはどうしますか?」

「どうすればいいですか?」

「もしよろしければこの図書館は六時閉館ですから六時まで時間をつぶしていただいて、その後向かいのレストランで食事でもなさって下さい。そこで合流しましょう」

「あい分かりました」

「そして大介さん」

「付け足しみたいな扱いだ」ダンは控え目だがはっきりした言葉で不満を表した。「あんたは仕事しに風波まで来たのか」

「違うけど……成り行きでいろいろと」

「今回の事は、お前の責任じゃないかも知れないが、俺の責任でもない」

「分かってるって。三番駅前の一番高い店でおごるから、少し二人でゆっくり話しましょう」

「俺の予定を聞けよ」

「あなたのご予定は?」

「今聞けって言ってんじゃない」ダンは立ち上がった。「もう行こう。どうでも良くなってきた」

「ダンは、優しいからね……」青はそう言って柾を見た。


 柾は苦笑した。「抜け目ない」


「これでチャラって事でね。柾さん大好きですよ」

「こら」ダンは寄り道しようとする犬を叱る飼い主みたいに青の腕をぐいと掴んで、すたすた歩き出した。


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