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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
3.辿れない糸口
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午後は泥沼(3)

 上手に取り繕ってはいたが、泣いたのが見て取れた。もとの肌が白いから、一度泣きはらしてしまうとそう簡単に赤みが引かない。目も少しうるんでいるようだ。


「すまなかったね」青は結局三十分置いてから戻って来て、リンの向かいに座った。「懐かしい本を見付けてしまってね、少し読み込んでしまった。十分オーバーしたね」

「そっちの事か」リンは笑った。

「二時か」青は腕時計を見て呟いた。「あいつ、どうしたかな。そろそろ見付けてくれてもいい頃だけど」

「約束を蹴ったくせに、ダンに探しに来てもらうつもりなの?」

「一度くらい、いいじゃん」

「君がいつもダンを振り回してるんじゃないかと、僕は思うね」

まさめさんに告白したんだけど、流されてしまった」青はふらっと話題を飛ばした。

「え? さっき? 告白って?」

「好きですって。したら、にやにや笑ってた」

「なんで? なんでそんな事したの? 浮気?」

「ちょっと反応が見たくてね」


 それから青は後ろの壁に掛かっている時計を見上げて、二分ずれてる、などと呟いた。それからしばらくぼうっと時計の長針を見上げていた。数十秒すると、カン、と針が一分進んだ。


「泣くほどの事?」青は気だるい感じで聞いた。

「泣いてなんかないよ」

「でも、君の顔つき見てると、まるで俺が悪者みたいだ」

「悪者じゃないか」

「ま、その通り」


 青は闇町の中央広場の時計を思い出していた。なぜかあそこは時間に厳しい、というより時計に厳しい町だった。秒針が無ければ駄目、時報にあってなければ駄目、そのくせあの時計はきっかり五分ずれていた。誰の思いついたいたずらなのだろう。それとも偶然なのだろうか。気がついた時には、あそこの時計はいつでも五分ずれているものだと定着していて、五分ずれていないとかえって混乱するので、ずっとずらしたままなのだ。えてして伝統というものはそういうものなのかも知れない。いや、これもただの感傷か。秒針の無い時計を見たのが久しぶり、百年ぶりのように思えて、青はしばらくそれを見上げていた。


「マンジの事なんだけど」リンがぽつりと言った。

 青は時計から目を離した。

竹高たけたか満次まんじ。本を破ったりするような奴とは思えない。あいつは小心者で、どんくさくて、大それた事はできない人だ」

「そう」青は特に何の感情も込めない返事をした。

「迷彩柄のTシャツの女の子は米山よねやま亜子あこ、ヨアと呼ばれてたと思う。同じ組になった事がないので顔と名前しか知らない。満次の友達ではないと思う。満次はずっと僕と同じ組だから。それから、紙束を切る機械は、僕は自分の学校で見かけた事はない。それに、今日は春開きの祭りがあって、うちの学校の校庭にも屋台が並ぶんで、昼間から部外者が沢山出入りしている。だから、校舎自体は閉めていて、立ち入り禁止のはずだ」

「なるほど、今日は祭りか」青は頷いた。

「それから」リンは重ねるように続けた。「三人組や四人組や五人組には心当たりがない。僕はもともとそういう学校内での人間模様には疎いから……。ただ、いつもリーダーシップをとって手下を従えている奴って考えると、城文字じょうもんじ奈香なか加奈川かながわ規真きま、松平大義、佐藤始。その内の一人、奈香は、今朝からこの図書館をうろついている」

「ふむ」と青は聞いていなさそうな返事をした。

「ただし、満次もヨアも奈香の仲間ではない」

「なかのなかま」

「ちょっと、真面目に聞いてるの?」リンはテーブルを軽く叩いた。

「真面目ですよ。君がいつ本音を言うのか見極める事に」

「本音も何もないだろ。僕は君に情報を提供してるんだ」

「う……」

 闇町での取り引きの数々を思い出して青は顔をしかめた。ハナダ社は情報屋だったので、「情報を提供しているのに」と言われるのは、「もっと見返りをくれ」という意味だった。リンの場合は、違うだろうけど。

「どうかしたの?」

「どうもしない。ちょっと嫌な思い出が……()()()()()()()()……まあいい……こっちの話。続けてくれ」

「もう終わりだよ」

「終わり?」

「そう。だって、僕、君が考えてくれと言った事については全部答えたはずだよ。足りないのかい?」

「何の足しにもならないじゃないか。リンくん、君、本当に学校へ行ってるの?」

「最近行ってなかったよ。だから他の中学生の事なんてよく分からないよ。だいたい僕はあんな事、まともな中学生のやる事とは思わないね。君から見ると僕がどんなに子供っぽく見えるのかは知らないけど、僕くらいの年齢になればね、それなりに良識とか、悪い事をするのは恥ずかしいとか、そういう意識が出てくるもんだ。僕の目から見て、今回の事件は、非常に幼稚でかっこ悪い犯行だ。犯人は気が狂っているとしか思えない。青さん、あんたは仮定を間違っているんじゃないか?」

「なるほど」と青は腕組みした。「でも……」

「君の調査はどうだったのさ」リンは遮るように言った。

「本は……なくなってた。誰か借りてしまったのか、あるいは、図書館側が回収したか。とかく調査は不可能だった。外の母親どもは、何も目撃していなかった。どうせそうだろうとは思ったが、子供を見る事とお喋りに夢中で、出入りした人間はいたような気がするが、何を持ってたか持っていなかったかは、見ていない。ちょっと中間に植え込みがあって死角になってるしね。収穫なしだ」

「君も僕の事を言えないじゃないか」

「そうだな。すまん。手詰まりだ」青は素直に認めた。

「まだ犯人に会いたい?」

「会いたいね。話がしたい。でも、このまま立ち消えかな……図書館側はもっと沢山情報を持っていて、すでに犯人をある程度割り出しているのかな……だとしたらもう手も足も出ない。何もかも大人に引っかき回されて、お終いだ」

「大人を信頼しないんだね」

「彼らには彼らの立場がある。本を破った子供を見付けたら、大人は嫌でもその子を叱らねばならないんだ。でも、もし大人より先に私が介入できれば、話を聞き、事件を終わらせ、その子を逃がしてやる事だってできるんだ。私にはその子を叱る義務がないから。それがその子にとっていい事かどうかは、会ってみなければ分からないけど、なんて言うのかな……ああ、本音は自分で解決したい、でしゃばりたいだけなのかな」

「何だか分からないね。誤魔化すなよ」

「んー。犯行の動機を考えれば、分かるはずだよ。どう考えても、図書館に対する嫌がらせだろう? つまり、図書館や、本に関係する人間への攻撃なんだ。だから、犯人が子供だと仮定すれば、犯人は、図書館や本に関係する大人への不信感や反感を抱いているんだね。ま、一種のテロだよ。これは、大人への強い反抗であり、掛詞で宣戦布告を出さなければならないほど、犯人にとっては重要な闘いなんだよ。大人がそれを頭ごなしに叱るのがいけないとは思ってないよ。本を破るなんて馬鹿な事だし、頭ごなしにぶん殴って叱るべきだ。でもそれは解決ではなくて、単なる結末だ。犯人にとっては、何の解決にもならない。ますます大人への反感が高まって、同じ事を違う形で繰り返すだけだろう。そういうのが、私の目から見て、楽しくないな、と思うんだ。どうせ結末が来るのなら、楽しい結末のほうがいいに決まってる。私は大人を信頼しないとかじゃないよ。大人は犯人を叱る立場であるべきだと、思ってる。だから、違う立場にいる自分が、介入したいと思うんだ」

「ふーん。小難しい人だね、あんた」

「見かけによらずね、トラブル好きなのだ」

「いや、見かけ通りだ」


 少しの間二人はどうでもいいような軽口をやりとりした。それから、青は突然聞いた。

「リンは、学校で孤立しているの?」

「何故?」とリンはすぐに切り返した。

「春休みに入る前もあまり学校へ行ってなかったんだろう? 周りの人間模様もよく分からないし、口ぶりからすると友達も少ないみたいだね」

「変わり者である事は確かだよ。でも皆やさしくしてくれるし、馬鹿にされてはいない。最近学校行かなかったのは、疲れてただけ」

「私が学校の事を話題に出すと、辛そうな顔だ。泣いてたんだろう? 私が学校の事を考えるように君に強制したから、何か嫌な事を思い出したんじゃないのか」

「そういうんじゃないよ」リンは微笑んだ。

「その笑い方、やめてくれ」青は冷たく言った。「好きじゃない」

「何怒ってるのさ」リンは不思議そうな顔をして見せた。

「もういいよ」青は顔をそむけた。


「青、何か勘違いしてるんじゃないの」さすがにリンもむっとした様子になった。「僕は孤立なんかしてないよ。友達に不自由はしてないし、秋の事があってからはちやほやされるようになって気分がいいくらいだよ」

「分かった。じゃあ私の思い過ごしだ。ごめん。私はよく相手に自分を投影するんだよ。たぶん、自分が辛いから、リンが辛そうに見えてしまうんだ。そういう事って、あると思わない?」

「ああ……どうかな」青があっさり主張を下げたので、かえってリンはたじろいだ。「僕も誤解させるような言い方をしたかも。いい事ばかりじゃないしね……でもいじめられてるとかじゃないよ。あ……」


 ふいに、リンはちらっと青の目を盗み見た。そこに、いつにない輝きを認めて、青はびっくりした。

「急にどうしたの?」

「急に、青、後ろを見てごらん」

「え?」青は振り返った。

「お待ちかねの人じゃなかった?」

「うーん……」目の悪い青は、入口の辺りを見て目を細める。「……あれかな……あれっぽい……あ、あれだ」輪郭しか捉えられないが、大介だと直感した。今日は杖をついていない。右足もあまり引いていないようだ。あれはあいつの趣味みたいなものだからな。


「やっほう」リンは元気よく手を振った。「この人が待ちくたびれてたぞ」

「こっちもくたびれた」うんざりしたような、ダンの返事だった。

 青は黙って睨み付けていた。ダンは近付いて来て、青の隣の空席にさっさと腰掛け、開口一番、

「メロンソーダ」

 カウンタのメニュー表示を見ているのだった。


「お前、メロンと結婚しろわ」と、青は毒づいた。


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