昼は堕落(5)
『結局あの犯行声明は文学的に正しいんだろ?』
『そうだよ』
『じゃあなんで初めに間違ってるなんて言ったの?』
『犯人を怒らせるためさ』
『犯人が中学生だと思う根拠も、君は示していないけど』
『うん、根拠は無い。勘だね』
「ふざけてる」奈香は通話終了ボタンを押してカバーを閉じた。
プラスチックの円形テーブルを囲んで座っていた少女たちは、凝視していた携帯電話から目を逸らし、顔を見合わせたりリーダーの横顔をうかがい見たりした。言うべきことは、何も無かった。チーム・ホワイトは今、窮地に立たされているのだ。
「ねえ、もう、やめたほうがいいんじゃない」大崎は考えられる限り一番まっとうで無理のない意見を述べた。
「そうだよ。なんかその女、切れるとヤルそう」と、初めは乗り気だった二ノ宮も手のひらを返したように言った。言い出しっぺという奴は、だいたい上手くいかなくなると真っ先に離脱したがるものだ。言い出しっぺが物事を言い出すのは、上手くいくと信じているからなのである。そんな二ノ宮が気に食わない白津は、「大したこと無いよ」と声を張り上げる。白津は初め、このプロジェクトに反対した口だ。そういう人間は、嫌だったのに周りから説得されて考え直した、という意識がある分、ひどく諦めが悪い。
「部外者じゃない。何もできる訳ないよ」と、やはり初め反対していた阿部川も、けろりと意見を翻した二ノ宮に反抗を示した。
そして初めから反対する気力も無いくらいバカバカしいと思っていた大崎は、三人の少女の意地の張り合いを見物しながら、今夜のおかずはしょっぱいものがいい、などと、あからさまな現実逃避思考を始めるのだった。
ともあれ、四人の少女はとりあえずの決定権をもつ奈香を見た。しかし、いつも強気の彼女がこの時ばかりは顔を曇らせているので、辺りの空気は急にじっとりと沈んでしまう。
「なんか……」奈香はテーブルに両肘を突いて両腕で頭を抱え込んだ。「……今までの人生で、こんなに腹立ったの初めてかも」
「そんな、大袈裟な」大崎は苦笑いしたが、
「大袈裟じゃないよ」とすかさず白津は突き返すように言った。
「ほんと、ヤルい奴かも知れない」奈香はぼそっとつぶやいた。皆はリーダーを見つめる。
「少なくとも、頭はいい。すごく、なんて言うんだ? どういう事を言えばこちらが怒るか、完全に見透かしてる所が怖い」
沈黙が降りた。
「あたしがこうやって怒る事が、向こうの計算の内なんだから……ここで怒って変な行動に出たら、こっちの負けなんだ。迂闊に動けないよ、これは……」
そんな、大袈裟な、と言うかプロジェクトを中止すれば済む事だろ、と大崎はもう一度言いたかったが、他の皆の顔が怖いので口を閉じていた。
「やっぱり、やめよう」二ノ宮が言った。「あたしはやめるからね。後は、あなた方、勝手にやっていらしたらいいじゃないの」
「ちょっと、あんたは!」白津がかっとなって怒鳴りつけた。
大崎は、「あたしそろそろ家に帰……」
その瞬間、奈香は目を見開いて三階を見上げた。四人の少女もただならぬ気配を感じてさっと一斉に振り返った。
落下の始まりは妙に自然だった。
吹き抜けを通してこちらを見下ろせるようになっている三階の手摺の上から、まるで見えない手に押し出されたかのように、小さな塊は飛び出した。それは一般的に考えれば不自然なはずの光景だった。本はひとりでに宙へ飛び出し、落ち始めた。人影は見当たらなかった。しかし、なぜかそれは自然の摂理のように見えた。誰か人影が出現して、そいつが本を放り投げるよりも、こちらの方がずっと滑らかで、当たり前で、物理法則に適っているように見えたのだ。飛び出した本はみるみる崩れて、中身と表紙が離れ、その中身が空気の抵抗を受けて、
ばさばさばさっ
不揃いな大きさの紙片となって散った。大きい紙片は何十ページ分も重なった塊のままで床に到達して広がった。小さい紙片は更に空気の抵抗を受けて一枚一枚に分離され、見えない階段を下るかのように空中を回転しながら走りだした。最後に、
バタンッ
と、小気味良いほどの勢いで表紙が床に叩きつけられて、それを目の前でやられた若い娘が、悲鳴をあげて飛びすさった。何しろ天井が吹き抜けなので、その悲鳴は演出したかのようにきれいに響き渡った。ここまでが一瞬だった。
奈香は椅子を蹴って立ち上がり、他のテーブルや椅子を突き飛ばさんばかりの勢いで駆け出した。他の四人も慌てて追いかけた。
本は鋭利な刃物で短冊状に切り刻まれていた。大きさは不揃いだが、どの欠片も正確な長方形だ。厚紙でできた表紙は無傷で、切られた本が今人気の長編ファンタジーシリーズの第一巻であることが分かった。大胆不敵な犯行だ。
奈香はまだ宙を舞っている小さな破片を目を細めて見上げ、それから急に嫌な予感がして表紙を拾い上げた。裏を見てぞっとした。
本の内側だった面に、大きな、雑な字で、犯行声明が残されていた。
たたかいのひぶたは きっておとされた
赤いマジックペンを使ったらしいが、紙が灰色っぽい為に、その赤は血の様にくすんで見えた。
「チェリーの反撃だ」奈香は追いついた四人に表紙を広げて見せ、暗い顔で言った。「どうする? もうやめようか?」
やめられる訳が無かった。




