昼は堕落(4)
「じゃ、センとゼン、二人ともFに入学? 決定?」
青はスパゲティミートソースに、肉より多いと思われる量の粉チーズをふって、にっこりしながら言った。
「決定。合格だ。……青、かけ過ぎだよ」
「あたし本の次に粉チーズを愛しているの」
図書館向かいのこぢんまりとしたファミリーレストランだった。昼には少し早いため、店内は客が少なく静かだ。またしても青はおごるという名目でリンを無理矢理付き合わせていた。
「ゼン、どこも受けないで働くって言ってたのにな」リンが頼んだのはカツカレーだった。こう見えて成長期だ。「試験会場に行ったら、バッタリ会ったって、センが。そんでさ、試験の形式がディスカッションでね、十人ずつのグループで別々な部屋に入れられて、決められたお題で討論をするんだ。で、発言の仕方とかを、先生達が審査して合格者を決めるんだけどね」
「そこの校長、カスだね」青はにべもなく言った。
「へえ。そう? 面白い入試だと思わない? 僕も中学卒業したら受けてみようかと思ってるんだけど」
「だってFって入試の形式を当日まで公表しないんでしょ? それでディスカッションなんて、ふざけてる。討論、弁論てのは一つの技術なんだよ。スポーツや音楽と一緒。練習すればするだけ伸びる。そういうものを、練習もさせずにぶっつけ本番でやらせて、才能の発掘? 馬鹿げてるよ」
「夢の無いこと言うなよな。Fは次世代型教育システムのお手本として教育庁からも支援されてるんだぜ」
「次世代、破滅するよ」青が言うと嫌に現実味を帯びている。「まあしかし、二人でめでたく入学できたならそれに越した事はない。めでたいめでたい」
「センとゼン、たまたま同じ部屋でね、二人で討論を仕切ったんだってさ。目に浮かぶようだね」
「ふーん。まあカリスマ性は確かにあったな、あの不良少年」
青は何を血迷ったか再び粉チーズの容器に手を伸ばしたが、店員がこちらを睨んでいるので、仕方なく引っ込めた。「ケチ……」
「粉チーズって、高いんだぞ」
「知ってるよ。昔、一皿に一本丸ごと、新品だったやつを空になるまで使い切ってね、さすがに両親も恐縮して……」
「粉チーズの料金も払った?」
「いや、隣のテーブルの粉チーズとすり替えておいた」
「せこいね、君の一家」
「世の中、せち辛いものさ」
青は店員の目を盗んでもう一山粉チーズを振った。スパゲティはすでにミートソースではなくチーズ衣になっている。
「見てて気分良くないよ」リンは苦情を言った。
「私はとても、いい気分だ」青は嬉しそうにパフパフ口に頬張った。
「君って両親なんかいたんだね」リンは言った。
「あのね、あらゆる哺乳類にはパパとママが一体ずついるのです」
「知ってるけど」
「雌雄の区別があってもパパママがいない生き物もいます。多くは単細胞生物」
「君の話をしてるんだけど」
「両親ですか? 私の両親は今はこの世にいませんよ」
「あ……そう」リンはちょっと傷付いた顔をした。「ごめん」
「いいんです。ちゃんと天寿をまっとうして死んだんだから。ところで、犯人なんだけれどね」青はかなり強引に話題を変えた。
「一言でズバリ言ってやろう。中学生だ」
「えっ」自身も中学生のリンは、ぎょっとする。「なんで分かるの?」
「犯行声明が、間違っているから」
「え? あの、神の怒りってやつ?」
「そう。あの文章は意味が通らない。紙の怒りを知れ、という事は自分達は紙、ペーパーだ、その自分達が怒っているぞ、という事だ。だから本と闘う、と言う。おかしい。紙と本は同類のはずだ。紙が本の敵になる理由はない。だから、紙である彼らが本と闘うなんてのはナンセンスだ。あの文は掛詞のようだからもう一つの解釈もつけられる。神、ゴッドが怒っている。だから本当の闘いが始まる。これも、矛盾は無いが意味は不明だね。つまり、あの文章には意味なんかないんだよ」
「そうかなあ」リンは急いで考えてみた。「神が怒ってるって事は、自分達は怒っていて、その怒りは正当だ、っていう意味じゃないの?」
「そうだと思うよ。でもペーパーと本のほうが説明がつかない。実は、これはつかなくても文学的には許されるんだ。古典文学では縁語という技法があって、一つの和歌や文章の中に、似たようなものを連想させる言葉をいくつか使用して、作品を引き立たせる事があるんだ。例えば、『糸』という言葉と一緒に『ほころぶ』とか『かける』という言葉を作品の中に折り込む。掛詞と違って、文章の意味が二重になるわけではない。ただ文章中に二重の意味を持つ言葉が複数存在して、それぞれを拾いあわせると何か関連性を持った単語の集まりになっている。そういう技法、一つの言葉遊びだよ」
「『本』と『紙』もそういうものだって言うんだね?」
「うん。でも、そういう技法は現代ではポピュラーじゃないね。少なくとも、普段から古典文学を勉強したり研究したりしている人でなければ、縁語なんていう技法を知っているはずがない。大抵の人が知っているのは、『掛詞』だ。あの犯行声明を見た人は、たいていあれを『掛詞』だと思うだろうし、そして書いた本人も、『掛詞』だと思っているに違いない。ああいうものは、本当は掛詞じゃなくて縁語なんだが、書いた本人は自覚していない」
青は言葉を切った。
「で?」とリンは促す。
「いや……まあ、それだけだよ。ちょっと僕の知識をご披露したまで。とにかく、ああいう洒落た犯行声明を残したくなる年齢ってのが決まっていてね、だいたい十三、四歳から十五、六、遅くても十七までだな。中学生だ」
「いや、その年齢なら高校生も入ってるよ」
「しかし高校生なら、古典の時間に縁語というものを習うはずだね。もし縁語という技法を知っているなら、犯人は『本』と『紙』だけでは気が済まなかったはずだ。縁語ではたいてい一つの和歌に四つも五つも関連する語句を織り込むんだ。日本語には同音異義語が多いからそれが可能なんだけどね。犯人が縁語という技法を習っていればだね、『本』『紙』の二つだけで済ませるはずがないね。『とじる』とか『よむ』とか『めくる』とか、縁語として使える語句はいくらでもあるはずだ。犯行声明で言葉遊びをしようと思い付くくらいだから犯人はある程度文学や言葉への興味関心度が高いし頭も悪くないのだろうと考えられる。そういう人が学校で縁語というものを習ったのに忘れてしまったとか理解できなかったという事は考えにくい。だからきっと犯人はまだ縁語という技法を習った事がないんだよ。それにあの字も下手だった。よって中学生である」
「君の理論はさっきから無理があるよ。字は綺麗だったじゃないか」
「いや、下手だ。センスがない。おそらく何かのお手本を見ながら書いたんだろうが、ひどいものだ。筆跡鑑定すれば犯人はすぐ割れるね」
「字の上手い下手は年齢とあんまり関係ないんじゃない?」
「いや、ある。多少。統計的には」
「今まで言ったやつ、青の推理なの?」
「いやいや。ただの衒学趣味。私の知識をひけらかしたまでだよ。犯人への牽制もかねて、ね」青はそう言って、意味ありげに笑った。
「犯人が、この近くにいるの?」リンは声を潜めて、目を大きくして、青に尋ねた。
「分からん。しかし私が犯人だったら、そうするよ。犯人は犯行声明文で自分のこじゃれたセンスをひけらかしたい年頃だ。皆がどんな反応をするか、特に第一発見者であるリンがどんな感想を持ったのか、知らずには眠れるものか。犯人はまだ図書館周辺をうろついて、場合によっては次の犯行に取りかかっているかもしれない。あの声明文によると闘いは始まったばかりで、終わっていないようだし」
「さっきから何が言いたいのか、よく分からないんだけど……」
「言いたい事なんかないの。私はリンに向かって話しているわけじゃない。犯人に向かってこちらの優位を誇示しているんだよ。犯人は私の台詞の一つ一つを耳をゾウにして聞いているからね。いい気分だね。古典の知識で、私に勝てると思うなよ。ついでに言うなら物理と数学もだ。犯人の圧倒的不利。引き下がれ。でなきゃぶっ殺して……すまない」
青は急いで言った。リンの前で殺すなんて言っちゃいけなかった。しかしリンは気付かなかったらしく、
「え?」
「いいのさ。君は可愛い奴だ。俺と違う道を歩んで幸せになってくれたまえ」
「は?」青と同じ道を歩めと言われるほうが無理だと思う。「何? 青さん? もしかして頭いっちゃってる?」
「ああよく気付いたね。いつも私は狂ってるんだ」青は皿に残ったチーズを丁寧に掻き集める。
「ダンとの約束の時間、過ぎちゃったね。連絡はしたの?」
「しない。携帯も電源切った。少し困るといい、あの無礼者」
「可哀相だよ。可哀相だよ」リンは身を乗り出した。「きっと明日の朝まで待ってるよ」
「いや、そこまで馬鹿じゃないと思う。そろそろ行動し始めるはず」青は店の時計を振り仰ぐ。十一時三十七分。
「あたしが時間にルーズじゃないことくらい、知ってるはずだから。三十分待って来なければ、動くはずだ。さあ、どう出るかな。大介君」
「朝より元気になってるね」
「うん。リンのおかげだ。ありがとう」青は無表情にさらりと言った。
重大な事らしいのはリンにも感じ取れたが、意味が掴めない。
「僕が何かした?」
「いや。君みたいな人は……私みたいな堕落した人間にとって、貴重なのかもしれない」青はとうとう皿を持ち上げて、ほとんど舐めるようにして残った粉チーズを口に収めた。
「ほんと、堕落してるね」リンは呆れた目をする。「食事のマナーがなってないよ」
「いいじゃないか。楽しく食べる事が最上のマナーと言う」
「僕は楽しくないよ」
「それは失礼」青は紙ナプキンで口を拭いた。
リンは何となく微笑んでしまった。
「何だ?」
「青、ときどき僕より幼く見える」
「そだね。リンはときどき私より大人に見える」
「なんでかな」
「二人とも変人だから」
青は伝票を持って立ち上がった。
リンはコップの中に一口残っていた水を飲み干し、レジに向かう青の背中を見ながら考え込む。




