昼は堕落(3)
眠ってしまいたかった。
人込みを見回しているのが億劫だ。柱にもたれて、俯いて目を閉じて、眠ってしまいたい。あいつは目が悪いからこっちが見付けてやらなきゃ気付かないかも知れんとか、あいつは変な所で忘れっぽいから約束の日を明日だと思ってるんじゃないかとか、あいつは運の無い奴だから事故に巻き込まれたのかも知れんとか、考えずにはいられないから心が休まらない。遅れて来るべきだった。せめてぎりぎり二分前にここに到着するように計算するべきだったんだ。なんだって三十分も前に来てしまったんだろう。そしてなんだってその三十分を律義に待つ事だけに費やしてしまったんだろう。売店の雑誌を立ち読みしてれば良かった。そして結局あいつは遅刻したじゃないか。もう十分過ぎてる。つまり、俺は四十分もここに突っ立ってるんだ。それとも俺の時計がおかしいのか?
ダンは辺りを見回して時計を見付け、自分の腕時計の時刻とぴったり合っている事を確かめた。ダンはそれから、時計を眺めながら注意深く記憶を辿り、約束の場所と日にちと時間が間違っていないかどうかもう一度確かめた。金曜だし十一時だし三番駅だし。何も間違っていない。間違っているのはハナダ青だ。そうだ、携帯電話。
ダンは自分の新品の携帯を取り出して、着信履歴の中から青の番号を探して、回線をつないだ。電話局はひとしきりダンを待たせてから、青の電話は電波の届かない所にあるか電源が切れていると告げた。役に立たん。
遅れてくる奴が悪いんだ。そうだろう。何故、こっちが気を遣ってやらなきゃいけない。
ダンは柱にもたれ、俯いて目を閉じた。目の前が暗くなると少し気分が落ち着いた。誘ったのはこっちじゃないか、と誰かがダンをたしなめる。ダンはそいつに耳を貸してやった。こちらが勝手に言い出した事で、青には来ていただくんだから、三十分は早過ぎでも、十分は早く待ち合わせ場所にいて出迎えるのが礼儀ってもんだ。雑誌を立ち読みして待つなんてもっての外だ。逆に、青のほうが十分遅れて来たからと言って、こちらが怒るなんて筋違いだ。ここは闇町じゃない。これは仕事じゃない。
ダンは頭を振って、目を開けた。十一時十八分。
遅くないか?
初めて、現実的にそう思った。事故だとか日付違いだとかそういう妄想ではなく、もっと現実的な意識として、そう思った。青は時間にきちきちした奴だ。闇町にいた頃、そうだった。闇町ではそれまで、権力のある奴ほど時間に遅れる傾向にあったが、青が最高権力者になって、その青が時間に厳しいので、いつの間にか誰もが平等に時間を守るようになったのだ。
さらに十分待った。ダンは不安が確信に変わっていく苦い過程をたっぷりと味わった。青に何か起こったんだ。事故かも知れない。とにかくこれ以上ここに立っていても仕方ない事だけは確かだ。焦るな、落ち着け。予測し、行動し、対処しなければならない。まず、青が何処にいるかを考える。可能性の高い場所を数ヶ所に絞り、最も効率の良いルートで探しに行かなければならない。相手が動く、自分も動く、行き違いもあり得る。多少の無駄足は覚悟しなければ。ちらっと柾の事が頭をよぎったが、なるべくなら彼の手は借りたくなかった。何処にいるかも分からないし。二時間探して、上手く行かないようなら、柾に応援を頼む。さらに二時間探して、まだ駄目だったら、仕方ないから岸を呼ぼう。また二時間探して、それでも見付からなければ夜だ。青が重大な犯罪に巻き込まれたという事になる。警察は無駄だ……第一あいつの身元を俺は知らない。そもそもあいつがどこの国に住んでいるのかも知らない。たぶん日本だろうけど。ともかく警察が当てにならないから、闇町だ。ハナダの今の社長に青の失踪を知らせる。抜けたとは言え彼女は重要人物だ。夜まで見付からなければ、誘拐が疑われる。決まりだ。出発だ。まずは空港まで戻って、何か事故がなかったか確認する。
ダンは一時間立ち続けた場所を離れ、改札に向かった。売店の女性がこっちを見ている。待ちぼうけをくらった馬鹿な男だと思っているんだろう。別にいいが。というか、実際その通りかも知れない。待ちぼうけか。面白い言葉だな。俺の人生に縁のある言葉だとは思っていなかった。認識を改めよう……。




