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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
3.辿れない糸口
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朝は低迷(2)

 闇町やみまちの景観を一言で言うと、「石でできた森」だ。向きも高さも太さもばらばらなビルが、隙間さえあればすかさずにょきにょきと生えてきて、うっそうと生い茂ってしまう、そういう原始の森の風景だ。だいたいどのビルも互いにいがみ合っている所も、森の木々と同じだった。


 闇町に整った道路というものは存在しない。ビルが好き勝手な角度で建ち並んだあとに残った部分が地上の「道」なのだ。この道を辿ってどこか一定の目的地へ辿り着くという事はほぼ不可能である。闇町にとってビルの外側に残っている「道」とか「空間」というものは、シールをはがしたあとに残る外枠のようなものだった。街はビルの内側なのである。


 闇町のビルは全て二重構造になっている。ビル内の通路、エレベータ、そして架橋と呼ばれるビル間をつなぐ空中通路は、言ってみれば「大通り小通り」だ。どんな人間でも自由に通っていい。冷暖房も焚かれない。「外」という扱いだ。その「外」に面して、商店や、事務所や、その他いろいろな物件が建ち並ぶ。闇町では、多少のいがみ合いはあるにしろ、結局どのビルも架橋を通じて一つにつながっている。一つの巨大な建物でもあり、一つの小さな街でもあった。そして、一つの小さな「国」であった。


 闇町は、風波かざなみの首都風波市の中央辺りにあるが、ビルの立ち方にしてもその設計にしても、また都市全体としての設計にしても、風波政府の定めるあらゆる基準を完全無視していた。ことにひどいのは日照量で、闇町の中心部の地表には夏至の日の正午数分間しか日が差さないという状況。人間の住む場所ではない。コウモリが住んでいる。その他、麻薬の類の取り引き、拳銃、麻酔銃の取り引きが公然と行われ、死者の埋葬が無認可で行われ、それ以前に、「嬉しそうな顔で道を歩いていた」などというわけの分からぬ理由で殺される人が年に百人くらいいる時点で、ここはもう手のつけようのない土地であった。闇町で守られている風波の法律はたぶん一つもない。それが、この土地が「無法地帯」と呼ばれる所以である。しかし、その実態は「無法」という言葉から連想される粗野でアウトローな印象とは掛け離れていた。


「お帰りなさい」

「お帰りなさいませ」

「あ、ハナダ様ですか。お帰りなさい」

 道行く奴が会釈。悪い気分じゃないが、いい気分とも言い難いものがある。たぶん、青がそうしろと命じれば今ここにいる奴はみんな道の脇にひれ伏して大名行列ゴッコをするかもしれない。ただし、背を向けた瞬間に銃口が向く可能性七十二%。いや八十六%にしておこう。


 この微妙なバランス、駆け引き、そういったもの、闇町には法が無いのではない。法を圧倒的に制圧する秩序がのさばっているのだ。この秩序を犯すものは、例えアリ一匹、アメーバ一匹、塵一粒であれ、存在してはならない。すぐさま「嬉しそうに歩いていた」などの適当な理由をでっち上げ、回収し、抹殺し、その残骸を処理し、永久に葬り去るべし。こんな街には、住みたくないものだ。


「北泉」青は足を速めながら、隣を行く男を見上げた。「ハナダの景気は?」

「悪くない、とは思います」北泉の返事は素っ気無かった。

「とは思いますって、よく分からないね」

「俺は、もう経営にはたずさわってないんで」

 北泉は、青が以前ハナダのボスだった頃、青の側近の一人だった。一時は青の後を引き継いで二代目ボスになるという話もあったほどだが、問題を起こしたためその希望はついえた。

「何にも仕事もらってないの?」青は胡散臭そうに元部下を見つめる。

「はあ――クビにするわけにいかないんでしょう」

 これだからヤクザは困る。特にハナダ出版社は情報の売り買いで食い扶持を稼いでいるため、情報が「漏れる」「流れる」事態は極力避けねばならない。本当は、北泉みたいな用済みの社員は抹殺するのがいいのだが、青も今のボスの八羽島やはしまも死人を出すのが嫌なので、こういう事になっている。一度内部の情報を知ってしまった人間は、死ぬまで出してやるわけに行かないのだ。


「自殺はやめて下さいね」青は突然言った。

「そんな風に見えるの?」北泉はじっと青を見下ろした。

 青はそれには答えず、「金の無駄だからね」と続けた。「死ぬなら、プロを雇って、ちゃんと後始末の料金まで前払いしといて。あたしのお勧めは赤波書房だね。あそこは安くて手際もいい。解剖して詳しい死因を調べてくれるそうだよ」

「あそこは、怪しげな団体だな」北泉は仕方なさそうに言った。「あんなに安くして、元が取れるのかな」

「さあ、取れてないらしい。とにかくどうしても他の何処よりも安くして、なるべく多くの死体を引き取ろうとしている。たぶん、死体マニアの集団だよ」

「死んでもいいですか」北泉は何の脈絡も無く言った。人通りの少ない架橋に差しかかった所だった。これを渡り終えるとハナダ社のビルに入る。

「別に、いいけど」青はちょっと考え込む顔になった。「好きにすれば……私の命じゃない」

「何もなくなったから。誰にも必要とされていない」

「ふうん」青は必死で言うべき言葉を考えた。

「あなたから見て、俺は何ですか」北泉は思い詰めた声で言った。

「さあ」青は顔をしかめた。

 北泉はそれきり黙った。


 二人はハナダのビルに入り、すぐエレベータに乗り込んだ。目差すは十八階、重役事務室。そこで八羽島が待っている。

「その――」青はようやく口を開いた。「――なんの慰めにもならない話かもしれませんが、二つあります」

「はい」と北泉はエレベータの階数表示から目を離して青に向けた。青は逆に階数表示のほうを睨みながら、

「一つは、私の体験ですが、私はいろんな事情があって一度死んだ事にされました。社会から隔絶され、意識もなく眠り続けて過ごしました。再び社会に出てこれた時、関係者は大方死んでいました。私は居ない事にされた上に、居た事すら忘れ去られた人間です。だから、どんな方との関わりも、私にとっては命綱のように、たとえ頼りなさげでも、必死になって掴んでいなければならない、そういうものなのですよ。北泉さんとの関わりも、その一つです。私は一度全てから切り離されたんです。だから、誰かと関わり、私が私として他人に認識され、存在を認められている事が、どれほど重大な事だか知っています。

 二つ目は、それこそどうでもいい話ですが、今年の夏、闇町は大きな転機を迎え、個々の組織もその在り方を大きく変える事になります。北泉さんの人生とは何の関係も無いかも知れませんが、見ておいて損は無いと思います。何しろ中心人物は、私ですので、退屈はさせません……」


 青は階数表示を睨みながら気を付けて言葉の長さを調節したので、言い終わると同時に十八階に着いてエレベータの扉が開いた。妙な所でこだわりたい年頃なのだ。エレベータの前では八羽島が待ち構えていて、「お帰りなさい」とやっぱり頭を下げた。それから北泉をちらっと見て「ご苦労様」と言った。


 北泉は頷いて、青に会釈し、立ち去った。

「あの人に仕事をあげてちょうだい」青は小さな声で素早く言った。

「え?」八羽島は困った顔をした。

「あのままほっとくと死んじゃうよ。ほんとに、ね、私に免じて許してやって」

「ああ、でも、あいつ自分から事務降りたんすよ」八羽島は閉まりそうになるエレベータの戸を手で押さえて青をうながし、乗り込んだ。再びエレベータは上へ。


「自分から?」と青は話をつなげる。

「はい。俺は別に、あの件でいつまでもごたごたしたくなかったんすよ。他の連中もそうです。あれは俺も俺で悪かったわけっすから。北泉は仕事ができるし、誰もあいつにやめて欲しいなんて思ってません。でも、あいつが、もうこれ以上重役はやれないって言うんで。なんか、すっごく傷付いたみたいで、深刻な目をして、チームから外してくれって言うんで、俺もあんまり深入りしちゃまずいのかと思って……それこそ余計にまずかったのかな……無理にでもそのまま仕事させるべきだったでしょうか。――駄目なんですよね、俺は。人の上に立って、上手く割り振りしてやるってのが、苦手です。適材適所って奴ですか? 北泉にとって、何が一番いいのか、俺には分かりません」

「そんな事……誰にだって、分からないんでしょう」青はちょっと悲しげに言った。

 エレベータは最上階で二人を降ろした。

「あ、まだ朝早い」窓から廊下に差し込む朝日を見て青は目を細めた。十数分前に日が昇ったばかりのようだ。

「大丈夫ですか。眠くないですか」

「いえ、飛行機の中で熟睡してたんで」

 青が仰々しいのを嫌うのを心得ている八羽島は、自分がいつも使っている机しかない部屋に案内して、きしきし鳴る丸椅子に青を座らせ、自分でコーヒーを淹れて持って来た。

「八羽島さんも、死にたいですか?」青はカップを受け取って八羽島を見上げた。

「え? 何?」八羽島は向こうから持って来たパイプ椅子に腰掛けながら目を見開いた。

「みんな死んで行くね。私の周りの人は。私以外は、みんな」

「俺は死んだりしません。北泉も」八羽島は真っ直ぐ青を見据えた。「貴方と約束しましたから」

「みんな約束を破って死んだ……」

「部下に甘えるもんじゃありませんよ」八羽島は穏やかに言った。


 青はちょっと驚いて彼を見た。八羽島は微笑んでいた。青も仕方無く弱く笑い返した。


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