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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
3.辿れない糸口
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朝は低迷(1)

「あたしはあなたと同じ道を歩んできたわけじゃない、立場も違う、そうでしょう、黒猫さん。あたしは確かにミナタクルを投与されているけれど、あなたほどの量じゃない。いずれこの効き目は切れ、次にあっちのほうの副作用が来る。あたしに残された時間は長くない。あたしは残された短い時間の中でやれるだけの事はやったと思うの。闇町を情報統合したのは他の誰でもなくこのあたしよ。この、統合された闇町が、あたしからあなたへ残す最後にして最大、必要かつ十分なプレゼントになるはずです。後はあなた方がどう闘うかであって、あたしがいるべき場面じゃないでしょう。あたしは闇町という武器をあなたが扱いいいように加工したんです、あたしにとっては、これで十分、あなたにとっても、これで十分、これにて私の幕は終了、閉幕、役者はバトンタッチ。健闘をお祈りします、黒猫さん――うん、我ながら迫力ある文章だな。これを黒猫さんに向かって一気にすらすら――言えれば、苦労は、無いんだ」

 あおはがっくりとうなだれた。


 午後の日差しは障子を開け放った和室にさんさんと降り込んでいた。空の色もやわらかそうな春色だ。ガラス戸を開けて風を入れてもいいかも知れない。箪笥や机が壁に寄せてぽつりぽつりと置いてあるだけの青の部屋は、簡素で淡白で、そして春の日を浴びてひどくのどかな背景を演出していた。越してきた時に入れたばかりの畳もようやく部屋になじみ、自分の納まるべき場所を心得たような顔だ。部屋は平和であり、満ち足りて穏やかであり、自分たちのあるじの苦悩については、まるで理解しない様子であった。


「冗談じゃない。笑い事じゃない。ええ? どうしてあの妖怪、生きて戻って来れたんだ? 予定外だ。計算外だ。いや、あなたが生きててがっかりしたわけじゃありませんよ、議長。心臓が止まりそうなくらい喜んでいますとも! 本当です議長。抜け駆けするつもりじゃなかったの。それに、やるべき事はちゃんとやっといてあげたでしょうが? だから許して、この私をどうか見逃してたもう、この通りです、と言って土下座してみる。……ダメだ、全然ダメだ」


 青は畳に座り込んだまま溜め息をついた。人は何故溜め息をつくのだろう。しようと思わなくてもしたくなってしまうのは、それがきっと体にいいからだ。肺の中の空気をしっかり吐き出すと、リラックス効果があるのかも知れない。あるかも知れないが、何の得にもならん。


「戻るしかないか――兄貴には悪いけど。でも、ハナダに戻る必要はないな……あそこは八羽島やはしまがなんとかしといてくれるだろう。何処へ行きゃいいんだ? また『妖自連』の連中と付き合わなきゃならんのか。あのくそにっくきミツメもまだ生きていやがる……しかし……あいつらは赤波んとこで養ってもらってるからな……仲間になっとけば赤波とつながる……赤波とつながれば自動的に大介との関わりは深くなる……苦しい選択なのか?」


 青は大好きな大介の背中を思い浮べた。あいつには背中が似合う。やる気なさげに丸まった背中が。正面からの顔というものはなかなか思い浮かばない。それでも証明写真なんかが必要になったらやっぱり正面からカメラを睨むんだろうか。なんか、似合わなさすぎて微笑ましいかも。流し目とかだったら爆笑ものだな。


「違う違う」青は首をぶるぶると振った。「こんな場合じゃない。だめだめだめだめ。黒猫だ黒猫。黒猫議長、議長様? 議長様々? 増やせばいいってものなのかなこれは。議長様様様様。それとも本名で呼ぶべき? たかはし様。ミスター・タカハシ殿。うーんうーんうーん……バタッ」


 いよいよ煮詰まってきた青は、自分で効果音をつけて畳に寝転んだ。ドーナツ型の蛍光灯を見上げながら、

「どうしよう。どうしよう。ドとレとミとファとソとラとシの音が出ない。シャープとフラットは全部出るのかな。ああ、恐ろしい、おぞましい、世界妖怪自治連盟会議議長、ブラック・キャット。とうとう俺の前を斜めに横切り――俺は破滅だ。お終いだ。殺される。昔から闇の組織を抜け出す奴には素晴らしい終末が用意されていたな――小指ツメるとか。まだいい。抜け忍は死あるのみ。どうよ。海賊なんかは」


「誰と喋ってんだお前」いきなり襖が開いて継優つぐひろが入って来た。


 青はあまりにもぎょっとしたので跳ね起きて立ち上がり、二三歩無意味に歩いてしまった。

「な、な、なんですかあなたは。仮にも妹の部屋に、ノックもなしに立ち入るとは。もし、着替え中だったら、どう申し開きを……」


「独り言だったのか。またダが付く人と長電話してんのかと思った」


「彼は、昼は忙しいのよ」青は立ち上がった理由が見当たらないので、また畳に座った。


「店手伝ってくんない?」


「んー」青は嫌だと言おうとしたが、おぞましき妖自連議長の事などを考えると、自分の余命はもう長くないかもしれないと思い、そう思うと急にこの義理の兄との生活が都会の中の小さな緑地のように儚いものに思えたので、「いいよ」と言った。


「なんだ、素直だな」継優はいつもと態度の違う青に嫌な予感を覚える。ラーメン屋になっている一階へと階段を降りながら、後ろからついてくる青をなんとなく振り返る。彼女は十五歳と自称しているが、もう二、三歳下でも通用しそうな体格だ。おそらく、その気になればかなりすばしこく、身軽に立ち回れるのだろう。しかし普段はその気がないのか、階段一つ降りるにしても、どこか気だるい、だらだらした足取りだ。


「お前学校とか行かねえ?」継優はふいに思い付いて言ってみる。


「ガッコウ? は?」すかさず痛い返事が返ってきた。「それ、何語? あたしに向かって言ったのそれとも壁に向かって言ったの?」


「うん、いや、壁だ」継優は背を向けて階段の続きを降りる。


 その背中に、「今週金土、出掛ける」と青の声が降ってきた。


「どこ? 泊まり?」


「ちょっと風波かざなみへ」


「何しに?」


「大介とデート」


「言いたくねえんなら、別にいい」


「ほんとだってば。ほんとに大介に誘われたんだってば。ほんとに」


「あっそう。初デートで、泊まり?」


「うーん日帰りするには遠いからね……とにかく、金と土」


「分かった」


 継優はそれ以上詮索しない。青もそれ以上弁明しなかった。


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