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消える流れるすり替わる  作者: 羊毛
2.メロンの楽園
27/81

月曜日――銀色(3)

「共犯者は、無し?」

 俺が自分からかけたのであおは大いに機嫌が良かった。


「無しだ。因みに彼はその後、平然と土管を担いで、エレベータに乗っていなくなった」


「エレベータ使えたの? なんだか、反則気味だなあ」


「まだ分からないのか? リンはすぐに見抜いたぞ」


「あなたもすぐ見抜いたの?」


「当然だ」


「ふうん……なら、そう大層なトリックではないな……」

 彼女は世の中に自分より頭のいい奴はいないと信じている。

「話を整理しよう。闇町中央に土管とその持ち主が現れた。彼は丸二日そこに居座り、三日目に姿を消し、四日目にまた戻って来た。その時水溜りが出現した。そこへ彼の追っ手がやって来た。追い返した。彼はその時土管を持ち上げて相手を脅した。また、土管を担ぎ、エレベータに乗って帰って行った」


「その通りだ。さて、この真相は――」


「言うな。謎は全てあたしが解くのだ」青は大急ぎで言った。


「俺には、謎というほどのものだとは思えないんだが」


「まず、ポテンシャルエネルギーの計算から始めよう」青は俺の言う事なんか聞かないで滔々と喋り出した。「今ひとつ土管の重量の相場は分からないが、一トン、つまり千キログラムと仮定してだね、MKS単位系で質量、重力加速度、それに高さを掛け合わせると、重力による位置エネルギーが計算できる。単位はジュールとなるんだけれど。したがって千キログラム掛けることの高さは一階につき三メートルとしてそれが十五階だから四十五メートル。いや待てよ。一階はゼロメートルなんだから二階が三メートル、三階が六メートル、十五階は四十二メートルか。重力加速度は九.八メートル毎秒毎秒。全て掛け合わせて……電卓が欲しいな……兄貴、電卓。ああ、いい。筆算できる。……桁をずらしての……四十一万千六百ジュールだね。これを四.二で割るとカロリーとなる。あ、これはすぐ出るね。九万八千カロリー。九十八キロカロリー。食事一食分にもならないな。ま、地上十五階にある一トンの土管が有する、重力による位置エネルギーはざっとこんなものだよ。ここまで分かったかな、大介さん」


「途中から聞いてなかったけど、お前時間稼ぎしてないか」


「まあまあまあ。ここから本腰を入れて推理に入りましょう」


「エネルギーなんか関係無いじゃないか」


「この場合はね」


「この場合はって、他の場合があるのか?」


「いやいや。そう辛くつっこまない。大介さんが土管の重さを確かめたのが、昨日だったってところが一つの鍵だ。まず初めに別解を言っとくと、その黒猫さんが超怪力で、エレベータも超強力だったっていう可能性もある。その場合不思議な事は何もない。ただ黒猫さんが腕力に任せて土管を運んで来ただけなんだ。しかし、今は、黒猫さんが人並みの腕力で、エレベータも月並みのエレベータだった場合を考えよう」青は漸く本題に入る気になったようだった。「まず、結論を先に据えるとだね、その土管は実は重くなんかなかったということだ。それは少年が一人で自在に振り回し、エレベータにも乗せられるほどに軽かったということなんだ。しかし、土管は実際多くの人が確かめたとき重かったし、大介さんもそれは確認している」青は間を置いた。「つまりだ。その土管は本当は軽いんだけど、その必要がある時には重くする事もできる土管なんだ。……うん。なるほど。やっと分かった」


「いま分かったのか」


「うん。こういう風に結論を先に据えて推理するのは、数学の証明に似ているね」


「数学の講釈は結構だ」


「分かった分かった。要するに土管は中が空洞で、コンクリートに見えるようなもっと軽い材質でできていたんだね。土管の縁には突起があった。それは給水口だったんだ。何度も開け閉めしたために、手垢で黒ずんでいた……そこからホースで水を注ぐと、土管を重くする事ができるんだ。突起は複数あったはずだね。水を注ぐと同時に空気を追い出す必要があるし、それに水を抜く時には逆に空気を入れなきゃいけない、だからそのために水の出入り口以外に空気の出入り口も必要だ。よって、最低でも二つの穴が欲しい。実際、突起は三つあって、どれも何度も開け閉めした形跡があった……そうだね。彼が闇町中央を選んだのは、噴水があったからなんだ。あの噴き出し口にホースを嵌めて、その水を土管の中に引き込んだんだね。夜、人通りの無くなった時を見計らってやったわけだ。そのままぐうたらと居座り続けて、二日たっても岸さんを見つける事ができない。彼は三日目、痺れを切らして闇町の外へ探しに行く……すると、偶然、センとゼンを見かけた。つい話し掛けてしまって、二人の警戒を煽る事になる。さて、しかし彼は気を取り直して闇町に戻って来る。そして真夜中、こっそり土管の給水口と、空気の出入り口を開ける……中に入っていた水が流れ出して広場に水溜りを作り、朝になるまでにすっかり凍り付いてしまった。これで何時でも土管を担いで帰る事ができる。彼がどういうつもりだったのかは知らないけど、まあ今日のうちに岸さんが見つからなければ闇町を去るつもりだったんじゃないかな」


「まあ、そんなとこだな」


「因みに、リンはそこまで気が回らなかったと思うけれど、彼が土管を持ち歩いていたのはある程度意味のある事だったんだよ。水には温まりにくく、冷めにくいという性質があって、温まるのに時間はかかるけれど、そのぶん一度温まるとなかなかその熱を逃がさないんだ。これを一言で言うと、比熱が高いという事だね。比熱の単位を説明する為にはまずケルビンという単位から定義したいところだけれど……」


「その講釈は結構だ」


「あら、そう。で、とにかく、水のそういう性質は真冬の路上でなるべく体温を無駄に奪われない為の保温材として使う事ができる。彼が土管に潜りっぱなしで出ようとしなかったのは、その土管が彼にとっては一種の防寒具だったからだよ。水を抜いてしまった後では、彼は土管の上に座っているだけで中に潜ろうとはしなかった。水を抜いてしまった土管には殆ど保温作用が無いからだね。そういうわけで、すっきり説明が付きましたね。どんなもんでしょうか」


「水溜りが凍ったのに噴水の池が凍らないのは、やっぱり水溜りの方が浅いからだと思う?」俺はなんとなく気になっていた事を聞いた。


「ああ、そうだね。水溜りの方は床の上に薄く広がってたんでしょう? だから、床が冷えるのと一緒にどんどん冷えてしまったんだよ。石は水よりもずっと比熱が低くて……」


「比熱の話はいい」


「日が沈めばすぐに冷たくなってしまうのさ。石の床は。それに、あそこの噴水はライトアップされてるでしょう、一日中。あのライトから出る熱が相当あるからね。冬にあの噴水に手を突っ込むと、意外にあったかいんだよ」


 やはりリンよりは場数を踏んでいる。彼女の強さは、案外経験の深さから来るものなのかも知れない。


「一応聞くけれど」俺は少し声を低めた。「お前、黒猫と知り合いじゃないか?」


「何故?」青はすぐ切り返した。


「彼は不老長寿の薬を投与された事があるそうだ。岸も。彼は三十年前と殆ど変わらない姿で現われた。見かけは二十歳に届くかどうかくらいなのに、老成してるというか――何事にも動じないし、自分のペースを崩さない、怖いものなんか無いみたいだ。何処かで聞いたような話じゃないか」


「ふうん」と青はどっちつかずの声を出した。


「俺は元からお前が十五だなんて信じてない。それしきの浅い経験でハナダのような組織を動かせるはずがないんだ。俺は、お前がもっとずっと、歳を食ってると思う――」


「黒猫さんとは、知り合いですよ」青は素っ気無い感じで言った。「でも、彼と同じ道を歩いて来たわけじゃないの。あたしも別な実験のモルモットとして使われたのは確かだけどね。あたしが十五と少ししか生きてないのは本当だけど、生まれたのは確かに一世紀前だと思う。その差し引きして余る分の時間は、ずっと眠っていたの。夢も見ないで、息もしないで、それだけの時間停止していた。目が覚めた時は、何も思い出せなかったし、自分に起こった出来事を理解して受け入れるのは怖かった。あたしは虚無の時間を経験したのよ。目覚めた時には何もかも失って、ひとりぼっちだった。何年もかかって、その事実を受け入れながら、少しずつ昔を思い出していった――その経験があたしの自信になってる。決して、人より早く生まれたからじゃない。自分は、苦しみや、悲しみや、恐怖を経験した事がある、この世界で誰よりも強くそれに立ち向かって、勝てたと思う、だから人が何と言おうと自分は自分にとって最高の人間だと思う。老成とかじゃないよ。子供じみた意地だよ。その意地で、あいつらの上に立ってきた。まあ、要は度胸と気迫だね……」


 俺は黙っていた。


「ダン」青は勝手に続けた。「ずっと考えてたんだ。星の元に跪きお前を踏み躙る者の為に祈れ……っていう言葉。あの時は、他人を許せっていう意味だと思った。お前のムカつく奴を許してやれ、そうすればいつかお前もお前をムカつくと思ってる奴から許して貰えるだろう……って。そういう意味かと。でも、考えたんだが、お前を踏み躙る者って誰だろう。それは自分自身だよ。自分こそが、自分を踏み躙り、貶める事のできる唯一の人間なんだよ。他人を許しているつもりでも、それは自分自身への許しなんだ。人はね、他人の表面に自分の姿を投影して、そのかげを眺めながら人と関わっていくんだよ。いつだって自分自身ばかりを見つめているんだ。他人を許すという事は、鏡に映った自分自身、自分を最も踏み躙る張本人であるところの自分を――許すという事だ」


「ああ、そうか?」青がすっかり自分の言葉に酔いしれている様子なので俺はやや白けていた。「じゃ、何事も自分中心に解釈できるという事だ」


「自分中心にしか、解釈はできません。そこが、自分というものと世界との関わりの中で最大の不思議であり、しがらみであり、根本なのです」


「お前、新興宗教の開祖みたいだな……ハナダってもしかして宗教団体?」


「宗教を差別するでない。宗教というものは、そもそもその価値は」


「宗教の講釈は結構」


「あら、そう。じゃ、お休みなさい。明日もお電話下さいね」


「気が向けば」


「あなたは必ず気が向くでしょう」青は決め付けた。「持ってると、掛けずにはいられない、それが携帯電話の魅力だね」


「そんな偏見に満ちた講釈は結構だ」


「これは偏見でもなんでもない、ただ大間違いで何処も正しくない文章だよ」青は自信を持って断言した。「実際のところあたしは電話というものはどういう形であれ煩わしいと思う。人間関係もまたしかり。しかし俺はそれでも人恋しいとかあなたが好きだとか思ったりするんだよ。電話は嫌いだ、人間も嫌いだ、それでも、切り捨てる事ができないところが、魅力なんだね」


「もういい。もうたくさんだ。お前の主張は大変よく、分からないが、もう充分聞いた。さよなら」


「はい、はい、お休みなさい」


 回線が切れても俺の耳元に青の気配が残っているようだった。その日、闇が銀色だった。黒いようでいて何処か、ちかちかと輝きながら俺を取り巻いていた。俺はその輝きを胡散臭い思いで眺めていた。眠りたくなかった。いつまでも眺めていた。いつ眠ってしまったのか、覚えていない。


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